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ピーター・ドイグ展!

やっとこんな日がやってきました。

いろいろな展示が行けないまま終わってしまいましたが、ピーター・ドイグ展やっと行けました!再開ありがとう。会期延長ありがとう!嬉しい限りです。

私はコロナ以前より、ぜひどこの美術館も時間予約制にすべきと思っていたのですが、今回こちらの東京国立近代美術館も時間予約制となっての再開です。

結論、やはり予約制は良い!快適!こんなにどっぷり絵の世界に飛び込んで浸れるのは至福の時間です。これこそオンラインではない生で観る醍醐味なのですから。どこの美術館も予約制にての再開は本当にありがたいです。ただ、収益の面ではかなり厳しくなると思われるので、その点は心配です。

さあ、入り口で検温して、入館です。私は平日の11:00〜12:00の枠のチケットを購入していて、11:20くらいに到着。

これは、前回フェルメール展で、時間予約制だったときに学んだのですが、枠の開始時間に行くよりも終わりに近い時間に行くと混雑を避けられます。真面目な日本人は時間ピッタリとか、もしくは5分前とかに着くくらいの方が多いので、むしろその方達が落ち着いたあたりの時間帯が良いと思います。

入ってすぐはこんな感じ。撮影可も嬉しいですよね。ちょうど良いとてもゆったりとした展示に、この時間をきっと心待ちにしていたであろう方達が程よくいらっしゃって、快適に絵の世界に入ることができました。特にしゃべることはなくても、少し互いに距離をとっていても、きっとこの絵と対峙する喜びを一緒の空間で感じているという、妙な連帯感のようなものさえ感じます。こんな感情が出てくるのは、このウィズコロナ時代ならではなのかもしれません。ピーター・ドイグご本人とも話し合って決めたというこの展示の並び、配置、空間の取り方、照明などもとても良かったと思いました。あまり現代美術を今まで多くは観ていなかったのでびっくりしたのですが、なるほど画家ご本人がご存命の展示は、こうやってご本人の意思も展示の仕方にコミットできるんだなあと感心しました。

ピーター・ドイグは初めてでしたが、私の第一印象はまるで能を観ている時と一緒だなという感覚でした。私は能を観ている間、意識がスーッと下の方に降りて行って、たとえば深海の底に降りていくような、意識の下の無意識の世界に降りていくような、そんな感覚になるのですが、それと同じような感覚を覚えたのです。

私はここにいるけど、ここにいない。現実のような、パラレルワールドのような、物語の中に入ってしまったような感覚です。そういう入り口をこの現実世界にポッカリ開けるのが、このピーター・ドイグの絵なのだと思います。

こちらは、ポスターなどにも使われている『ガストホーフ・ツァ・ムルデンタールシュペレ』(2000ー2002年)。あちらの世界の入り口の門番のような案内人のような二人が立っています。さあ、奥に行きますか?その勇気はありますか?もうこちら側には戻れないかもしれないですよ。そんなセリフが聞こえてきます。

不思議の国のアリスの穴の入り口のようです。物語の一場面のようだとドイグの絵を形容する方がいらっしゃいますが、むしろ、物語の中への入り口がドイグの絵だと感じます。そう、この絵の中に意識をダイブさせて、物語の世界に迷い込んでしまうのです。これだけゆったりとした展示と空間、人の密度ならそれがたっぷりとできてしまうのが、本当に幸せなことだと思います。

こちらは『天の川』(1989ー1990年)。水面に星空の写った湖の絵にみえるのですが、じっと観ていると不思議な感覚になってきます。初めは画面の上が実像で下が水面に映った鏡像だと思うのですが、よくよく観ると水面に映っている方がくっきりと木の幹が見えたり、はっきりと描かれているのです。あれ、もしかして実像と思っている方が鏡像で、これは上下逆にみているのではないか。そんな風にみえるのです。私たち人間は、みんな虚構の中に生きているのだ、見ていると思っているものは本当にそこにあるのか、と言われているようです。

こちらは、『ブロッター』(1993年)。こちらも凍った湖の湖面に立っていると思われるこの人物、でもその足元の凍っているはずの湖面は波紋が立っています。しかも人物まで映り込んでいます。題名のブロッター(blotter)とは、吸い取り紙の意味。これも絵の中に吸い込まれるような、足下がぐらぐらするようなそんな絵なのです。

その場で近くで撮った写真がこちら。今回の展示はどれもそうですが、とても大きい絵が多く、しかもこんな近くで筆遣いや息遣いを感じられるのは、やはりその場で直接対峙してこそ。存分に堪能できます。

『ラぺイルーズの壁』(2004年)。ぽっと置かれているこの展示の仕方もとてもいいなあと思いました。映画「東京物語」の計算された静けさを念頭に置いたとも言われるこの作品。たしかにどこか日本の海辺の街の空気すら感じます。すっきりとしたこの展示の仕方、美しいです。塩気を含んだ暑い湿気の多い空気が漂ってきます。

こちらは、『無題(肖像)』(2015年)。色づかいのせいでしょうか、私はこの絵からしばらく目が離せなくなってしまいました。他に比べると小さい絵ですが、なにか惹きつけるものがありました。いったい誰なんでしょう。ちょっと特別な関係でもありそうではないですか。邪推はあまりしないでおきましょう。意思の強そうな、でもすこし物憂げなこの方とは友達になれそうです。

『馬と騎手』(2014年)。こちらも門番のようなこの紳士にどこか別の世界に連れていかれそうです。この奥は一体どんな世界なのか、ついていって見たくなる、怖いもの見たさの好奇心が意識を奥にひきずりこんでいきます。おぼろげな月のようなものがなにかに映っているように二つ見えていて、村上春樹の小説にありそうな世界に入り込んでいけそうです。

出口へ向かうこのスペースは左右の壁にこのようにポスターがずらり。トリニダード・トバゴに住むようになったドイグが友人と始めたスタジオフィルムクラブという映画の上映会のためのポスターです。このスペースもとても良かったです。かなりのスピードで描きあげていたというこのポスター、彼の中に印象として残った場面をさらっと画面におこしていったのであろう、このデザインも勢いもさすがという感じです。画面奥の方は、「座頭市」や「HANA-BI 」など邦画のポスターもありますよ。

他にもご紹介したい作品はたくさんありますが、あとはぜひご自分の体で没入感とともに体感していただきたいと思います。

東京国立近代美術館で10月11日まで会期延長されました。日時指定チケットが必要です。事前に購入して、ぜひお出かけください。私ももう一回行っちゃおうかな。


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