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さあ、ロンドン・ナショナル・ギャラリー展へ

予約が始まってすぐにチケットを取っていた国立西洋美術館の「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」に行ってきました。今回も平日11時からの枠をとっていたのですが、こちらは30分刻みの予約となっているので、11:30までに入場しないといけません。11:15くらいの到着を狙っていたのですが、11:05くらいの到着となりました。やはり「ピーター・ドイグ展」より入場者も多く、そして年齢層も高めです。入場に少し並んで待つ形となりました。一定人数を一定時間の間隔を開けて入場させていくシステムのようでした。(5、6人入れて数分待つっていう感じですね。)もう少し遅めにつけばすんなり入れたのではないかと思います。

ロンドン・ナショナル・ギャラリーの成り立ちからそうなるのですが、まさに美術史の教科書のような展示内容です。そして、クオリティもさすがというコレクション展となっています。昨年、私は美術検定の2級と3級を同時受験したのですが、その時に本で勉強しただけの絵がまるで教科書をそのまま飛び出してきたように、たくさん展示してあります。これから美術史を勉強される方には、まさにぴったりの展示といえるでしょう。

初めはやっぱりルネサンスから。そう教科書で見たこれ。

パオロ・ウッチェロ《聖ゲオルギウスと竜》(1470年頃)です。教科書で小さな絵の写真を見てもふーんとしか思えませんでしたが、それまでの伝統的で平面的な宗教画ばかりを見ていた当時の人々が、ルネッサンス初期の遠近感のある生き生きしたアニメの一場面のようなこの絵を見て、どんなに衝撃を受けたのだろうとその時代の人になりきって見てみると楽しいです。きっと大人から子供まで夢中で絵の世界に入り込めたのではないでしょうか。


こちらはポスターなどにも使われている作品のカルロ・クリヴェッリ《聖エミディウスを伴う受胎告知》(1486年)です。先程の作品もそうですが、こちらも油彩ではなく、卵テンペラによって描かれています。独特のタンパク質っぽいツルッとした質感なども、油彩や水彩をみなれている方には興味深いのではないでしょうか。そして、この設計図をひいてそれぞれの配置を考えたのではないかと思うような人物や物の配置、細かい技巧的な描き込み、物語性、遠近感による奥行き、そこに差し込む光が際立って見えます。207x 147.7cmという大きな作品ですが、隅々まで細かく観ていたいですよね。リンゴやユリ、孔雀など宗教的な意味をもつモチーフもあちこちに散りばめられています。左の階段の上の女の子は小さな目撃者で、その表情も面白いですよね。


こちらは図録のアップの画像です。ほら、鳩の周りの光とか髪の毛、うしろのクッションの金の装飾とか木の板目とか。ただの平面が全然見当たらないくらいの描き込み具合です。

こちらは、ジョバンニ・バッティスタ・モローニ《円柱の上に兜を置いた紳士の肖像》(1555−56年頃)。なんだか目の前に本人がいるような、人間性がボワっと浮き出てくるような作品でした。肖像画はいろいろありますが、私は飾り立てたり実物以上によくみせようとしたりせず、こういうまるでその人と対峙しているような、人柄がにじみでている作品が好きです。もうこの時代には、こういう絵があったんだなあ。

ほかにもティントレットやティツィアーノ、ボッティツェリなどルネサンスの代表的な画家の作品があります。

そして、ここからは17世期のオランダ絵画です。

フランス・ハルス《扇を持つ女性》(1640年頃)です。フランス・ハルスの描く肖像画もとても好きです。綿密に描くことよりも、人間がどのように知覚するのかということに関心をよせていたというハルス。レースやブレスレットの細かい描写はもちろん素晴らしいのですが、この彼女の愛情深そうで穏やかで思いやりに満ちたであろう人柄がにじみでているのが本当にすごいなと思います。こんな方のお隣に住みたいなあと、思ってしまいました。

こちらは、ウィレム・クラースゾーン・ヘーダ《ロブスターのある静物》(1650−59年)です。全体に暗い画面の中に、赤いロブスターや黄色いレモンなどが効いています。金色のコブレットもその繊細な細工が素晴らしいですよね。そして、目を惹かれるのは中央のグラスです。拡大してみると

ほら、こんなにくっきり写り込んだ窓がみえます。うわあ、と思わずマスクの中で小さく声がもれたほどです。観ている私たちの背後にほんとに窓があるように思えてきます。でもそこは美術館の展示室、窓などありません。いったい私たちは何を知覚しているのか、考えさせられます。

次のセクションは、ヴァン・ダイクとイギリス肖像画。17−18世紀のイギリスの肖像画のコーナーです。

私が一番すきなのはこれ。トマス・ローレンス《シャーロット王妃》(1789年)。とても大きな作品でした。239.5x147cmという見上げるような大きさの絵で、実物大のように描かれたこちらの物憂げな彼女。目には諦めさえ感じられます。当時夫のジョージ3世は精神疾患に悩まされており、後継者問題もあり、苦悩していたといいますが、その表情にあらわれていますよね。白髪の柔らかな描写やドレスの一番上の生地の薄さ、そしてこの憂いのある目。王妃に同情すら覚えます。

次のセクションはグランド・ツアー。美術史を勉強すると出てくるこの単語、一般的にはあまり馴染みはないですよね。私も美術検定の勉強をするまで聞いたことはありませんでした。18世紀のイギリスでは、紳士の教育のための重要な活動として旅が行われており、ヨーロッパの重要都市や見どころをみてまわる、いわゆる修学旅行のようなものをグランド・ツアーとよんでいました。当時ギリシャはオスマン朝トルコに支配されていたため、イタリアが古代世界を代表する都市としてグランド・ツアーの定番でした。その頃、グランド・ツアーのお土産として人気のあった画家、カナレットの描いた《ヴェネツィア:大運河のレガッタ》(1735年)がこちらです。

細かい描き込みの遠景に対し、近くの人たちはペタっとした質感で描かれているのが意外な発見でした。写真でみていただけの今までは、そういうのはわからなかったですね。でも遠くに奥行きのある絵ですので、目線をその遠景にいざなうためには、逆に手前は描き込み過ぎない方が効果的と思われます。実際に自分の目で風景を見るときに近い感覚になるのではないでしょうか。

次のセクションは、スペイン絵画の発見。イギリスはいち早くスペイン絵画を評価し、コレクターも現れました。

こちらは、バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《窓枠に身を乗り出した農民の少年》(1675−80年頃)です。スペイン絵画は、全体に背景が黒に近い暗い色の背景が多いですが、その画面にふわっと浮き上がるこの男の子、近くの人がかわいい!って思わず声を出していました。ちょっと画面では伝わらないと思いますが、暗めの展示室に暗い背景、そこにまるで浮かび上がる天使のように、でも素朴な笑顔のこの子です。ほんとに、暗い世の中に希望の光を灯すように、浮き上がって見えるのです。ぜひ、展示室でごらんください。

こちらは、エル・グレコ《神殿から商人を追い払うキリスト》(1600年頃)です。エル・グレコも私はあまり実物をみたことなかったのですが、なんともいえない底知れない恐怖感を抱きました。やはり全体に暗めのトーンの中に、キリストの衣装の赤や青、そのまわりの人たちの黄色と、エル・グレコらしいコントラストの強い配色のせいでしょうか。少し狂気も感じます。畏怖という言葉が勝手に頭の中にでてきました。そんな印象の絵でした。

このセクションには、ゴヤやベラスケスといった大物の絵もあります。なかなかの傑作ぞろいのセクション、お楽しみいただけると思います。

次は、風景画とピクチャレスクのセクション。イギリス美術を代表する風景画の巨匠、ターナーやコンスタブルの登場です。

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ポリュフェモスを嘲るオデュッセウス》(1829年)。横2メートル以上ある大きな作品で、とてものびやかです。ホメロスの『オデュッセイア』の逸話を描いたとされるこの作品。とにかく絵に対峙するとこの太陽が、その光が本物のように自分を照らすようにすら感じます。ターナーが生涯、追求していたという太陽の光、そしてそれが反射する水面、光を浴びに観に行ってください。

最後のセクションは、イギリスにおけるフランス近代美術需要。私の一番好きな時代です。もう私のなかでは、これだけでも観て欲しい。

フィンセント・ファン・ゴッホ《ひまわり》(1888年)。ひまわりは、アルル時代に7点描いたといわれていますが、私はダントツこれが最高傑作ではないかと思いました。観た瞬間、「うわあ、なにこれ?!」とつぶやいてしまいました。

アートに関して、いろいろな意見はあると思いますが、私は最近、「うわあ、なにこれ!」と人に感じさせるものが芸術なのではないかと思っています。それが、人によっては恐怖感であったり、幸福感であったり、興奮したり、全然わからないと感じたり、びっくりしたり、とにかく感情が動く、これが感動であり、そのきっかけとなるもの全般を芸術と呼べるのではないかと思います。つまり、それは既成概念や今までの自分の価値観の上に立っていた自分の足元をぐらぐらさせるもの、そういうことなのではないのかと考えています。

画像では全く伝わらないとは思いますが、とにかくエネルギーがすごい作品でした。黄色の濃淡と緑、そして、花瓶の模様とサインの少しの青という、この色のパワーももちろんですが、絵全体が放つパワーは、まさしく太陽のようなエネルギーの塊だと思います。光とエネルギーを感じるとともに、そこに吸い込まれるような重力もあるのです。それは、ゴッホの強い求める思いなのではないかと思います。そのあまりに強すぎるゴーギャンや絵画への思いが、私をこの中に引きずりこもうとするのです。

いままで、ゴッホの元を離れてしまったゴーガンのことをあまり理解できなかったのですが、この絵を観て、ああ、こんな絵を描かれて贈られて毎日観ていたら、離れずにはいられなかったのではないかと、初めて思いました。それくらい、放つエネルギーも、吸引するエネルギーも同時にあまりに強すぎる絵なのです。

でも、ゴーガンはこの絵をとても高く評価していたそうです。そして、ゴッホも、敬愛するゴーガンの私室に飾るにふさわしいと自ら認めた2点のみしたというサインも施しています。

それを予約制のおかげで、ゆっくりと鑑賞できるのはこの上ない喜びで、久しぶりに涙が出てきました。ぜひぜひ、その場で感じていただれば思います。よくみると、後ろの背景もこまかく縦横縦横という塗り方をしていて、立体的で光の反射も面白いですよ。

他にも、フェルメールやセザンヌ、ゴーギャン、ルノワールといった有名な画家のものがたくさんで、全部紹介しきれません。ぜひご自身で体感していただきたいなあと思います。ゴッホのひまわり一枚だけでも価値ありだと思います。

なかなか貸し出しをしないロンドン・ナショナル・ギャラリーの全点日本初公開とのことです。西洋絵画史を俯瞰できる、まさにマスターピースぞろいです。国立西洋美術館で、10月18日までに会期変更しています。日時予約制なので、事前にチケットを予約してぜひお出かけください。


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