【短編小説】亀田製菓
■ 6月17日
梅雨が開けようとしていた。雨の中を自転車で走った。
ハンドルから手が滑った。僕は、転んだ。びしょ濡れの地面に、びしょ濡れの僕が転がった。
土砂降りの雨が降っていた。そういえば、今日も天気予報に傘マークが出ていた。傘も差さずに僕は、信濃川の堤防を、自転車で走っていた。裾花中学校へ通う、いつもの通学路だった。
小学校へと向かう小さな女の子が歩いていた。彼女が持つには、大きすぎる傘だ。きっと、父親か母親の傘だろう。彼女は今、両親に傘をさしてもらっているみたいな気持ちなのか。それとも自分自身でさしている気持ちなのか。わからない。
僕は欲張りだ、それだけはわかるから苦しい。気持ちの焦りと共に、梅雨が明けようとしていた。
■ 5月29日
それは梅雨入りの日の放課後だった。その日は、妙に林さんと気が合った。ミセスドーナツの話だったか、いろんな話をしたけれど、緊張していたからか覚えていない。でも、その日は妙に話が合ったのだ。
前から好きだった林さんとやっと話せた。想いを寄せる人との初めての親しい会話だった。二人で玄関まで行くと、雨が降っていた。
僕は、傘を一本持っていた。僕は"そういう"備えが好きで、トートにはガーゼ、頭痛薬、ばんそうこうをいつもいれていて、友達から「ドラえもんのポケット」と呼ばれている。
林さんは、そういう感じの子ではない。休み明けの月曜日は一回だって、リコーダーを忘れなかった事はなかったくらいだ。通学鞄の横にさしておく、ただそれだけで忘れることなんか無くなるのに。
傘、一本しか、ないね。二人は、苦笑した。でも、この土砂降りを考えれば、仕方がなかった。
「一緒に傘をさして帰ろっか」
先輩が来た。先輩とは小学校で一緒の委員会で仲良くなった。いまでは冗談を言い合う仲だけれど、ジャイアニズムの持ち主として校内では有名人だ。
「いいだろ?助かったぜ」
先輩は僕の傘を、持って行った。僕はただ、ヘラヘラ笑っていた。林さんの表情は、見なくたって分かる。言い返してほしかったんだろう?
僕は、もう一本、傘を取り出した。そういう事なのだ。シチュエーションに憧れただけ。相合い傘に憧れていただけだ。
林さんも笑っていた。我ながら、いい演出だ。
すべてが、上手くいった気分だった。きっと心を通わせることのできた時間だった。興味なさげに、僕は裾花中学校の校門を一瞥した。
■ 7月9日
梅雨が明けた。あの後、林さんとは気まずくなった。
「お互いに意識している」
あの暗黙の了解の後から、話しづらくなった。最近は僕の話題を、突っ返すこともせず、ただ受け止めるだけだ。力が抜けてしまう。話す機会がどんどんと減っていく。焦りを覚える。林さんと帰ったあの日から、もう一ヶ月が過ぎていた。
その日の放課後、夕立ちが降っていた。玄関で林さんが、男の後輩と立っていた。嫉妬心からか、彼女にひさしぶりに話しかけた。見知らぬ後輩の邪魔をしてやろうと思った。
林さんは傘を持っていた。
「林さんが持ってるなんて珍しいね。助かった、借りるよ」
「う、うん......」
二人で帰るつもりだったのだろうか?雨の中、この傘一本で。邪魔してやりたい。知ったものか。親にでも迎えに来てもらえばいい。
歩き始めて、僕はふと玄関が気になって振り返った。
林さんは、通学鞄から、もう一本傘を取り出した。二人とも苦笑いしている。
「ああ、そういうことか」
僕は、微笑んでいた気がする。あの傘の演出は、気に入ってくれていたらしい。彼女はいま、幸せな気持ちなのだろう。僕が感じた幸せは、いま彼女の許にある。彼女の許にもどってきたのだ。
幸せは、誰に渡してもいつの日か必ず、自分の許に戻ってくる。
自分が渡した幸せは、いつ戻ってくるのだろう?
ハッピーターン。
亀田製菓
※本稿は、筆者の高校2年次(2008年)にケータイ小説サイト「魔法のiらんど」に投稿した短編小説を一部加筆修正したものです。
※"ハッピーターン"は亀田製菓株式会社の商標及び登録商標です。全ての商標権は各商標の所有者に帰属します。
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