秋葉原の添い寝屋にハマった話
2016年、夏。あの頃、僕は落ち込んでいた。
病んでるって表現はチープだ。なぜって、そんなもん人それぞれだからである。
疾患、パーソナリティ、一時的な抑うつ、ただの落ち込み、気のせい。
病んでるって状態も1か0かの二進数ではなく、長いグラデーションの上のどこにいるか、という話なのだ。
その頃の僕は22歳、新卒2年目。大したことはないが、それなりには落ち込んでいた。
無理もないだろう。
就職、人生で初めての上京。大都会。優秀な同期。電車の乗り方も分からない田舎者の僕。
幼馴染相手に大失恋をカマし、ヤケで友人と繰り出したコリドー街でも鳴かず飛ばず。
某ハイブランド勤務の超高身長女性とコレド日本橋で連絡先を交換し、精一杯の格好つけで駅まで送るも、そもそも山手線と京浜東北線の違いも分からず、逆にホームまで送られる始末。
仕事でも日々基本のイロハを叩き込まれ、うだつの上がらない日々。
いつからか僕は、大都会東京で寂しさを自覚し始めていた。
運命の電話予約
その日僕は、JR秋葉原駅の昭和通り口前でうなだれていた。金曜日、18時。
「しんどいわー。転がってないかな。あー、その辺に癒し転がってないかなー」
待てよ。あるじゃないか、癒しを販売している場所が。
いつものJR高架下で添い寝のビラを配っているメイド達が。
あれを試せば手に入るんじゃないのか?「金で買う癒し」とやらが。
気がつくと僕はおもむろに検索サイトを開き、添い寝屋を探し始めていた。
検索エンジンが吐き出す検索結果。1行目に現れる不穏な文字列。
「萌え萌え添い寝屋ふぁんたじー 秋葉原店 」
「萌え萌え......ファンタジー......ですか......」
落ち着け。今必要なのはこれのはずだ。
覚悟を決め、ファンタジーの園に電話を掛ける。
ファンタジーの領主に入店時間と女の子のタイプを伝え、終話。
あとは運命の時を待つのみであった。
マヨネーズの妖精
19時、金曜日、外神田。街は華金の高揚感に包まれていた。
僕はといえば。仄暗いテナントビル「第一中島ビル」の前に佇んでいた。
ファンタジーとは程遠い古びたビル。本当にこのビルで間違いないのだろうか?
人ひとりすれ違うのも精一杯な階段を登り、3階の鉄扉には「萌え萌え添い寝店」の文字。
ダイアゴン横丁の魔法の杖の店に入るハリー・ポッターのごとく恐る恐る入店すると、そこに現れたのは、いかにも歌い手とかやってそうな前髪テロンテロンのボーイ。その前髪はカーテンですか?
料金コースは40分6,000円、60分8,000円。迷わず60分コースを選択。
1分あたり134円の癒しを購入。高い。高いが、癒しを天秤に掛ければ安い。
それに、その時今まで感じたことのない好奇心が僕の心を満たしていた。
ここは陰部。明らかに社会の闇だ。そんな闇の爆心地、グラウンド・ゼロに今、僕はいるのだ。
それまで東京で感じたことのない不思議な高揚感に包まれながら、僕はカーテンで囲まれた空間に通された。
待つこと40分。待たせすぎだろ。その妖精はガムを噛みながら現れた。
「ういー、お待たせしゃっしたー」(クチャクチャ)
大リーガーの入場かな?ガムは集中力を高める効果があると聞いたことがある。
その妖精の名前は、あすか。ガムを噛んでいたのは、前の客が買ってきた銀だこを食べていたからだそうである。
「お兄さんは添い寝しに来たの?」
「そうですが......」
「助かるわー。添い寝楽だからさー。本当に寝落ちしちゃうんだよね」
しかし、僕がその店で寝落ちすることは一度もなかった。なぜなら、この妖精が爆弾のような粗挽きトークを連発するキレキレのフェアリーだったからである。
「妖精さんは.....どこ住みなのカナ(^ ^)」
「三郷中央」
「え?」
「三郷中央」
「wwwwwwww」
ゴリゴリのつくばエクスプレス沿線じゃねえか。止まらぬ笑い。妖精さんが住んでる三郷、奥深すぎるだろ。さすがだわ埼玉。翔んで埼玉。
「君、荒削りすぎだろ。妖精コンセプトぞ?」
「飲み過ぎで疲れてんだよ、私。コンセプトとかもう良いでしょ?一応オプションとか見る?」
気怠げなあすかちゃんに促され、オプション表を確認する。
・ハグ 30秒1,000円
・ささやき 3セリフ1,000円
・腕まくら 30秒1,000円
「じゃあ、腕まくらを注文しちゃおうかな......(´∀`)」
「もうさ、そういうの良いよ。お兄さん楽だから金取らんわ、好きなだけしな」
「wwwwww」
イケメン過ぎるだろ。この日は腕まくらオプションを60分利用していたため、仮に課金された場合は30秒1,000円x120セットで、120,000円(税抜)である。
この経験から、今でも僕は「添い寝1時間=12万円」という謎の相場感が叩き込まれている。コーヒー1杯20ユーロのモナコもびっくりの物価だよ。
その後もあすか嬢からは「昨日、彼氏の実家で友達と飲んでたら興が乗ってきて、壁にマヨネーズを塗り込んだ」話など、速度のあるトークが炸裂して僕は笑い続けた。マヨネーズの妖精、恐るべしである。
それから僕はほぼ毎月、添い寝屋に行ってはマヨネーズの妖精を指名していた。
突然のエピローグ
日曜日。その日も僕は秋葉原の添い寝屋に向かおうとしていた。
今夜もあのマヨネーズの妖精に会いたい。今夜はどんなスベらない話が聞けるのか。
笑いながら癒される謎時間を満喫し、月曜の憂鬱に備えたい。
しかしその日は、なぜか秋葉原が遠く感じたのだった。
理由は思い出せないが、つくばエクスプレスの快速が運休だったか、家で飲みたいビールが買ってあったか、またはその両方か。
僕は「また今度でいいや」と、添い寝屋を諦めた。
翌日、月曜。会社の食堂で昼飯を食べた後、デスクでゆっくりとYahoo!ニュースを眺めていると、目に止まったのは一つの記事。
日曜日夕方、警視庁は秋葉原で営業する「第一中島ビル」など約10店舗のマッサージ店に対し、一斉家宅捜索を実施した。利用中の顧客への聞き取り調査の他、一部店舗に対し「個室での添い寝屋マッサージ」などを無許可で実施する有害業務を認め摘発し...
摘発食らってるやんけ。怖すぎる。行かなくて本当によかった。
それ以来、店舗は閉鎖しマヨネーズの妖精とも会ってはいない。
Twitterも知っていたが、もう行くこともなかったので削除してしまった。
あれ以来、添い寝屋には一度も行っていない。
やはり、それなりに社会の闇な側面は認めざるを得ないし、摘発されるような裏オプションを利用する層がかなり多いことも、実は後から知った。
純粋な添い寝を求める層って、そう多くはなかったようである。
時間が経ち恋人も出来るようになると、次第にそんな店のことは忘れていくようになったのだった。
それでもキューピーを見ると思い出す
拝啓、マヨネーズの妖精。そちらの空は青いですか。海は凪いでいますか。山蔭は澄んでいますか。まだマヨネーズを壁に塗り込んでいますか。
僕は、何とか元気にやっています。友に囲まれ、寂しくない日々を送っています。
ですが、マヨネーズをテーブルにこぼした時、たまにあなたを思い出します。
東京で寂しくうずくまる僕に笑いをくれたあの日々よ、ありがとう。
そう、2016年、夏。あの頃、僕は落ち込んでいた。
敬具
※この作品は事実を元に再構成したフィクションです。本編に登場する名称は全て、実在する人物、団体、事件と一切関係がありません。
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