My journal #1 幼少期 〜愛を感じる3年間〜
この世に生まれて
1981年1月8日(木)母親から聞くに、おそらく未明に、母の故郷である山形県新庄市で生まれました。
父と母はお互い、30歳ちょっと手前で結婚しているのですが、私が産まれるまでには苦労したそうです。なかなか子供ができなかった二人にとって、私は待望の男の子、だったのだろうと思います。
それはこれからたくさん紹介していく数々の写真によく現れています。
今回、こうやって私がどんなコーチであるかをお伝えするにあたって、数十年ぶりに実家からアルバムを引きずり出し、あらためて過去を振り返ると、とても多くの写真が出てきます。 私には弟がいるのですが、やはり最初の子供、ということのもあり、写真は私の方が多いのです。弟からしたら面白くない話ではありますが(笑)、まぁ、その話も後ほど出てくると思います。
生まれた当日は豪雪だったそうで、茨城で土木建設業をやっていた父は、タイヤにチェーンを巻いて8時間以上かけて駆けつけたそうです。当時は高速道路もまだ今ほど整備されていませんでしたから、仙台、笹谷峠と難所を越えるのに難儀したのだろうと思います。
当時の父がどんな気持ちだったか。 そんなところに思いを馳せると、自分が愛情をもって育てられてきたのだ、ということをあらためて思います。
100日目
まだまだ小さく、一人では何もできない。
私には1人の息子がいます。
これも後ほど登場しますが、息子は2011年1月に生まれています。
息子は生後50日ちょっとで、東日本大震災を経験しました。
まだ100日も経っていない。
座布団の感触、陽だまりの感覚、自然とこぼれる笑み。
憶えていないところでの経験が人を作る。
そんなこともあると思います。
私のコーチングでは
「本来の自分を取り戻す」
「本当の自分につながる」
ということも一つのテーマです。
何人にも侵害されることのないあなたの本来の姿。
あなたは忘れていませんか?
母と私
母です。若かりし頃の。
土と、緑と、花。
真ん中のゲンゴロウみたいなのが私ですね。
“写真”というものがどちらかと言うと私は得意な方ではなかったように思います。
写すのも写されるのも。被写体になるとわかった瞬間に構えてしまって、それを隠すようにおどけてしまいます。この後の写真でもそれはよく表れていると思います。
この写真の私に「構え」はありません。
母は「構え」がありますね。
えぇ、明らかにね。
狙ってますね。
“写真”というものはその当時の事実のみを映し出します。
人って面白いもので、同じ写真でも捉え方が異なります。
同じ写真でも別の日に見れば別の見方もできます。
そこに写った事実を、どのように思うか。
ここが自分探求の入り口です。
人は事実から「意味付け」をしながら行きていると思います。
ある人にとってはその「意味付け」が重要であり、時に人生を変える作用をもたらすこともあるでしょう。
でもある人にとってはその「意味付け」はなんの意味も持たない、ということもあるでしょう。
フロイト、ユングに続く、現代心理学三大巨頭の一人、アルフレッド・アドラーも言っています。
「過去をどうみているかは、今の自分が決めている」
みなさんは「過去」をどうみて、今、何を感じていますか?
私は母に愛されて、大事にされてきたんだ。
いや、この写真はこれから起こる未来に向けて、母は常にともにいるんだよ、ということがよく表れた1枚だな、と思うわけです。
父と私
父です。
後ろ姿ですが、もう少し後で正面も登場します。
先に断っておきますが、父はれっきとした堅気です。
道を極めたその筋の人ではありません。
当然、私にこの頃の記憶は残っていません。
しかし、父も私を待っていたんだな、ということが伝わってきます。
今ではお酒が入らないと話をしない父ですが、いつになっても息子に対する想いがある、ということは帰るたびに感じます。
そして、この写真から30年後。
父と同じことをする父となった私。
子に想いを馳せる。
たとえ言葉にできなくとも、想いを馳せること、というのはとても愛があることなんだな、と思います。
コーチングをすると思うことがあります。
想うだけでなく、言葉にしてみよう。
あなたは自分の想い、誰に伝えますか?
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