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目からビーム!52 だってうちパン屋だもん

 脚本家の上原正三氏の訃報が届いた。
 上原氏は那覇市出身。同郷の金城哲夫に誘われ円谷プロ入り。同じ沖縄県人でありながら、南国育ち特有の天真爛漫さで宇宙人と地球人をつなぐ「まれ人」としてのウルトラマンを描いた金城氏と自身のアイデンティティを「琉球人」と断言する上原氏では、その作風は、単純に陽と陰に分ける以上に大きく違う。しかし、ピアノに白と黒の鍵盤があるようにどちらを欠いても初期「ウルトラ」のあのメロディーは生まれてこなかっただろう。
多くの特撮・アニメの脚本を手掛けた上原氏だが、その資質がもっともよく表れているのが、『帰ってきたウルトラマン』(1971年)の第33話「怪獣使いと少年」であるという論に、異をはさむ人はいないだろう。
差別や公害問題をテーマにした重く、そして暗澹たる思いにさせてくれる作品だ。それを象徴するかのように全編を通して画面には雨が降っていた。常に雨のシーンということでいえば、リドリー・スコット監督の伝説のSF映画『ブレードランナー』が思い出される。こちらは1982年の公開だから、「怪獣使い」は10年以上も早い。『ブレードランナー』の近未来のLAの街に降り注ぐ酸性雨はどこか生暖かい印象を受けるが、「怪獣使い」の少年の頬や肩を濡らす雨はどこまでも冷たく映る。
劇中、描かれる少年とパン屋のお姉さんとの交流が、唯一救いとなる場面だが、実は脚本にこのシーンはなく、「あまりにも内容が暗い」と放映に難色を示した放送局側の意を受けて、あとから追加撮影されたものだという。しかし、このシーンがあったからこそ本エピソードは「ウルトラ」屈指の名作となり得たのも事実である。
 このパン屋のシーンは、当時、円谷プロのあった小田急線祖師ヶ谷大蔵の駅周辺で撮られた。今、僕はこの街に住んでいるが、映像に映っている線路は現在高架になっており、パン屋があったと思われる場所には小田急OXという高級スーパーが建っている。
「だってうち、パン屋だもん」。あのお姉さんのセリフを心に口ずさみながら、家路を急ぐ。今日、東京は朝から冷たい雨だった。

(初出)八重山日報

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