追悼アラン・ドロン ”犬死に”の似合う男
アラン・ドロンが亡くなった。かねてより闘病中ということだったので、いつかこの日がくるものとは思っていた。88歳という年齢を聞けば、なおさらか。
ドロンとの初対面は中学時代、テレビの洋画劇場で観た『太陽がいっぱい』で、それまでアメリカ映画こそ映画の王道だと信じて疑わなかった僕に、フランス映画というジャンルに目を向けるきっかけを与えてくれた作品でもあった。何よりも印象に強く焼き付いたのは、ドロン扮するトム青年のあの目である。卑屈さと野望を奥に秘めた妖艶な目。まさに、美貌ひとつを武器に成り上がった男の人生(当時ドロンは25歳。「人生」というにはまだ若過ぎるか)を映した目である。確かこの時点ですでに大女優ロミー・シュナイダーのモノム(いい人)だったはずで、女をステップアップの道具にしたなどというそしりは彼には馬耳東風だったろう。
『太陽がいっぱい』のトムを見ているとドロンそのものに見えて仕方がない。淀川サンによれば、これは同性愛映画なのだという。それを念頭に観返してみると、いろいろ発見があって面白い(たとえば、フィリップ=モーリス・ロネの服を着て鏡に映る自分に口づけするシーン)。実際、ドロンは役を得るためルネ・クレマン監督と同衾したとも噂されている。
『太陽がいっぱい』をきっかけにして、僕はドロン映画の、すべてとはいわないが、意識してかなりの作品を見てきた。VHSもなかった時代、主に3本立て400円の名画座である。『危険がいっぱい』、『地下室のメロディー』、『悪魔のようなあなた』、『冒険者たち』、『さらば友よ』、『ボルサリーノ』…。今、フィッルモグラフィを確認して驚いたのだが、『山猫』(ヴィスコンティ監督)が『地下室のメロディ―』と同じ63年の映画だったということ。そんなに古い作品だとは思わんだ。『地下室』がモノクロのせいもあるかもしれん。
それはともかく、ドロン映画のファンならわかると思うが、彼は結構、ラストに犬死にというパターンが多い。『シシリアン』のように大御所ジャン・ギャバンに蜂の巣にされるような例外はあるものの、多くは名も知らない敵に撃たれ、いいとこなく死んでいくパターンである。しかも、余韻などまったくない。ここいらへんは、『西部警察』で部下に囲まれながら、回想シーンつきで絶命するまで10分かけた渡哲也とは大違いである。
それはともかくとして、スクリーン上のドロンはまた、犬死にがよく似合った。
ドロン犬死に4連発
『冒険者たち』(1967年)
※男二人に女一人の三角関係なのだが、男の友情に女が割って入ろうという構図が粋。ドロンがふられ役なのも面白い。
『サムライ』(1967年)
※色のない灰色の部屋に、カナリアの駕籠。これがかえって観る者に殺し屋ドロンの孤独を感じさせる。ドロンは後年、SAMOURAIという香水をプロデュースしている。
『帰らざる夜明け』(1971年)
※頑固で人間嫌いな老未亡人が一瞬だけ見せる”女”の表情。シモーヌ・シニョレの貫禄の演技。
『ボルサリーノ』で犬死にするのは、ベルモンドの方だったのはちょっと意外だった。その代わり、キャストロールではベルモンドが先で主演。このへんはプロデューサーを兼ねるドロンが気を遣った結果だろう。
『太陽がいっぱい』にしても、完全犯罪の崩壊という意味では一種の犬死にだろうし、『地下室のメロディー』のラストも同じ。ユダヤ人に間違われて収容所列車に乗せられる『パリの灯は遠く』の美術商はまさに。
やはりドロンには犬死にが似合った。その犬死にには不思議な色気があった。
アラン・ドロンの死は、フランス映画におけるひとつの時代の終焉を意味するのかもしれない。すでにフランス映画界は、今世紀になって、ベルモンド、トランティニャン、ミシェル・ピコリ、アヌーク・エーメ、ジェーン・バーキンを失っている。
史上最低といわれたパリ五輪の年と重なったこともどこかブキミだ。移民問題に揺れ、暴動に荒れるパリは昔日の面影を消しつつある。
ドロンの死が、フランスそのものの終焉を意味しなければいいが。
D'urban,C'est l'elegance de L'homme modern(ダーバン、それは今を生きる男のエレガンス)
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