ガラスの靴を穿いた老女たち ~高齢者問題から見た慰安婦問題~

(リード)
元慰安婦たちが受難の聖女として崇められる一方で路傍の石のように打ち捨てられるソウルの独居老人。この社会的矛盾が、慰安婦問題をさらに複雑にしている

                                            但馬オサム

元慰安婦・金学順はなぜ名乗り出たのか

 金学順(※キム・ハクスン)さん(故人)の名を覚えているかと思います。いわずとしれた、韓国人元慰安婦カミングアウト第一号女性ですが、その存在が最初に日本に紹介されたのは「元朝鮮人従軍慰安婦戦後半世紀重い口開く」と題した1991年(平成3年)8月11日付の朝日新聞の記事で、これを書いたのが、一連の慰安婦問題の焚きつけ役の一人ともいわれている、植村隆記者(当時)でした。記事を見てみましょう。
《日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、十六団体三十万人)が聞き取り作業を始めた。同協議会は十日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。テープの中で女性は「思い出すと今でも身の毛がよだつ」と語っている。体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近くたって、やっと開き始めた。》
 この時点ではまだ匿名でしたが、同月14日には金さん自身が本名で記者会見に臨み、日本政府に対する糾弾の声を上げるのでした。植村記事はいわば、その露払いの意味があったのです。ところが、記者会見では金さんの口から「女子挺身隊」という言葉も「連行」という言葉も一切出てきてはいません。では彼女は何と告白したのか。「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のある妓生(※ルビ・キーセン)置屋に売られていった。三年間の置屋生活のあと、置屋の義父に連れていかれたのが、華北の日本軍だった」というものです。
 要は当時日本の貧農などでもよくあった娘の身売り話に他ありません。悲しい話ですが、これも家族が生きるための最後の手段だったのです。
 金さんについては、西岡力著『よくわかる慰安婦問題』(草思社)に興味深い記述がありました。西岡氏は韓国でこの問題を調査中、金さんの通訳係を担い個人的にも親しく相談役になっているという一人の在日韓国人女性と知り合いになり、彼女からこのような秘話を明かされたといいます。金さんは、妓生であったこと、親によって身売りされたことをその女性には隠しもせず、マスコミに名乗りを挙げた理由を問う彼女にこう答えたそうです。
「わしは寂しかったんだ。誰も訪ねてこない。ある日、食堂でテレビを見ていたら、戦時中に徴用で働かされていた人たちが裁判を起こすという場面が出たのさ。それでわしも関係あるかなと思って電話をした」。
"寂しかったから"――この何気ない告白に、慰安婦問題を複雑化させている隠れた要因のひとつを垣間見る思いがしました。ずばり、韓国社会の深刻な高齢者問題です。

バッカスおばさんとは

 ソウル特別市随一の高級住宅地で、最近では歌のタイトルとしても知られる江南(※ルビ・カンナム)地区、ファッションビルが建ち並ぶその華やかな町並みの一角に、廃品回収や日雇いで暮らす独居老人たちが身を寄せるバラック集落があることを以前、TVの特集で知りました。人口約5022万人の韓国で高齢者の実に20パーセントにあたる120万人が一人暮らしで、うち23万4000人が生活保護自給者だそうです。また、韓国の高齢者の自殺率はOECD加盟国でダントツの1位だという報告もあります。それに合わせるように老人の孤独死も年々増えているとのことです。
 こんなニュースもあります。独立運動の聖地といわれるソウルのタプコル公園で近年、"バッカスおばさん"と呼ばれる60~70代の高齢素人売春婦が出没しているというのです。もともと彼女たちは、段ボールや空き缶回収の仕事(1月働いて手取り2万5000ウォン=2500円程度)でその日暮しを続けていたのですが、それでは食べていけず、売春に手を染めているとのこと。バッカスとは滋養ドリンクの商品名(日本のリポビタンDとデザインもそっくり)で、「バッカスはいらんかね」という言葉で売春を持ちかけることからその名がついたといいます。ちなみに平均的な"バッカス代"(売春代)は一回2~3万ウォン(2~3000円)だそうです。
"儒教文の国"、"孝行を尊ぶ東方礼儀の国"韓国の悲しい現実がここにあります。
 路傍の石のように撃ち捨てられた多くの老人がいる一方で、上は大統領から下は幼稚園児、いや全大韓民国国民から、あたかもアンネ・フランクの如き受難の聖女として崇めたてられているのが金学順さんら、元慰安婦のハルモニ(おばあさん)たちです。最近では金さんがカミングアウト会見を行った「8月14日」を国民の祝日にしようという運動まで起こっているといいますが、まさに殉教者並みの扱いといえます。
しかし、よく考えていれば、その金さんも「元慰安婦」と名乗り出るまでは、120万人の忘れられた独居老人の一人に過ぎなかったのです。廃品回収をしながら、ひっそりとソウルの片隅で生涯を終えていたのかもしれません。今、バッカスおばさんを嘲笑する人も、ひょっとしたら、金さんにも同じ視線を向けていたのかもしれないのです。

元慰安婦というガラスの靴

 言葉を変えていうなら、金さんを初めとしたハルモニたちは「元慰安婦」という告白によって、一度は断ち切られた社会との繋がりを再び取り戻したともいえるかもしれないと思うのです。
不謹慎な喩えとお叱りを受けることを承知であえて書くならば、金さんたちは「元慰安婦」という"ガラスの靴"を穿いたのです。一度シンデレラになった彼女が、どうしてその靴を脱いで「誰も訪ねてこない」寂しい老婆に戻ることなどできましょうか。今さら、ただの戦地売春婦(キャンプ・フォロワー)でした、などとは口が裂けてもいえるわけがありません。いわんや、妓生だったなどという過去はないものとしなければならない。信奉者たちの求める偶像(=残忍な日帝によって花のような少女時代を汚された犠牲者)を演じ続けるしかないのです。人情というものからすれば、それは理解できなくもありません。
 社会と繋がるということは、社会の奉仕者であるということを意味します。よくTVのローカル・ニュースなどで、リタイヤした高齢者がボランティアとして地域の子供たち相手に竹馬やベーゴマなどの昔ながらの遊びを教えたり書道教室を開いたりという話を見聞します。子供たちに囲まれ生き生きと輝いている高齢者の方々を見るのは大変気持ちのいいものです。彼らもボランティア活動を通し、社会に奉仕することの喜びを実感していることでしょう。元慰安婦のハルモニも同じです。「残忍な日帝の被害者」という役柄を演じ、日本政府を糾弾することは、彼女らなりの韓国社会に対する一種の奉仕行為なのです。ソウルの日本大使館前で毎週行われる水曜デモに参加しているハルモニたちの生き生きとした顔は、TVで見たボランティア老人のそれと何ら変わるものはありません。慰安婦ハルモニはまた、総じてお元気で長生きのようです。金福童(※ルビ・キム・ポクドン)さんなど、その顔色の良さはとても90歳近く人には見えません。2013年の秋にはなんとパリにまで出向かれ、シャイヨー宮前の広場で開かれた集会では、「朝鮮戦争当時(※傍点)、日本軍に無惨に踏みにじられた」と、愕くほどしっかりとした声で日本軍の悪行(?)を糾弾されていました。
 慰安婦もバッカスおばさんも売春婦です。しかし、両者が受ける世間の風はあまりにも違うといわざるをえません。

慰安婦問題と反捕鯨運動

 一方、ハルモニたちを聖女に仕立て上げた韓国人民の心理にもまた屈折したものが見え隠れしています。普段は顧みることのない高齢者という存在に対する罪悪感です。
 韓国は儒教道徳の国です。老人を敬うことを建前としています。同時にウリ(身内)とナム(他人)という対人文化をもつ国です。赤の他人、つまりナムに対しては時に驚くほど冷淡な態度をしめすこともあります。韓国社会にとって、120万人の独居老人は所詮「ナム」に過ぎません。ところが、「日帝の被害者」に認定されるととたんに、その老女たちは、国民にとっての「ウリ」になるわけです。というよりも国民の方が、聖「日帝の被害者」様のウリになりたがるといった方がいいかもしれません。聖「日帝の被害者」に寄り添うことで、自分が座る「善人」の座を確保したいのです。しかし、同時に日頃ナムとして切り捨てていた孤独な老人たちの存在も意識しないわけには
いかなくなります。無意識の罪悪感が生じているのです。それがなおさら、彼らの血液に大量の反日アドレナリンを送り込むことになります。クローゼットにゴージャスな毛皮のコートをしまい込みながら反捕鯨運動に励むハリウッド女優の心理に近いものがあるのかもしれません。心のどこかに後ろめたい感情がある者ほど、それを払拭するためにことさら「善人」になりたがるものなのです。手っ取り早く「善人」になるためには、わかりやすい「悪玉」を見つけて、そこに矛先を向ければいいのです。「悪玉」=日本ということでいえば、慰安婦問題も反捕鯨運動も実に構造が似ているといえます。

高齢者社会が生んだ豊田商事事件

 とはいえ、高齢者問題ということでいえば、日本も決して胸を張れたものではありません。2010年(平成22年)の段階で、65歳以上の高齢者の総数の男性の11・1パーセント、女性の20・3パーセントが一人暮らしという報告があります。1980年(昭和55年)に調査を開始して、30年間で男性は3倍、女性も2倍の増加だそうです。このままいけば、2030年には東京の高齢者世帯の4割以上が一人暮らしになるという統計も出ています。かく申す私も20年後には、その4割の仲間入りは必至です。
 80年代に、豊田商事事件という大規模な詐欺事件がありました。地金の購入と偽って実態のない証券を売りつけるいわゆるペーパー詐欺で、被害者の多くが独居老人だったということで単なる刑事事件を越えた社会問題として大きく取りざたされたものです。
 手口は簡単かつ狡猾で、狙いをつけた老人の家に社員が足しげく通い、仏壇にお線香を上げたり、身辺の世話をしたり、「息子だと思ってくれ」などと言って人情に訴えかけ、徹底的に相手につけ込んだ挙句、インチキな契約を結ばせるといったものです。被害老人からしてみれば、定期的に自分を訪ねてあれこれ話を聞いてくれる豊田商事社員は、久しく縁の切れた「社会」と自分を繋いでくれる使者のような存在だったと思います。
 近年のオレオレ詐欺、振込め詐欺も構造的にはまったく同じです。長らく会うこともなかった"息子"や"孫"から突然電話があり、助けてくれという。電話を受けた老人にとって、自分を必要としてくる、それだけで充分なのです。声を疑う、確認の電話を折り返し入れてみる、それらは相手の愛を試す行為に他なりません。人間は常に誰かを必要とし、それ以上に、誰かに必要とされていたいものなのです。肉親ならばなおさらでしょう。家族は一番小さな単位の「社会」ともいえます。

慰安婦狩り告白(?)が寂しい老人の生活を一変した

 私は一時期、旧軍関係の取材をかねて軍隊バーの類にも出入りしていたことがありますが、こういう席で、こちらが聞くこともなしにあれこれ戦時中の"武勇伝"を熱弁したがるオジイチャンには要注意、せいぜい話半分に聞いておいた方がいいというのが、取材過程で得た教訓でした。かくいう私も何度か信じ込まされたクチです。ちょっと調べれば、その人がいた時期の予科練は、既に燃料もこと欠き、練習機すらまともに飛んでいなかったなどという事実はすぐにわかるわけなのですが、当時を知る「生き証人」という先入観から、ついつい真に受けて聞いてしまう。疑うことは失礼だという前提が出来上がっているのです。
当のオジイチャンにしてみれば、若い者が話を聞きにきてくれたことが嬉しく、酒の力も加わりサービス精神でつい話がデカくなったというところでしょうか。暴走族OBが地元の後輩に飲み屋で聞かせる現役時代のヤンチャ自慢を想像してもらえばいいかもしれません。
 酒席での武勇伝も困りものですが、より罪深いのはその逆パターン、つまり、ありもしない「日本軍の悪行」を創作し自分がその当事者であるかのように吹聴して回る自称・旧軍人たちの存在です。その代表格があの稀代の詐話師・吉田清治であるのは言うまでもありません。
吉田は著書や講演で、「労務報国会下関支部在籍中、軍令(※傍点)を受け兵士10人を引き連れ済州島で慰安婦狩りをした」としていますが、労務報国会と日本軍は関係なく、報国会の人間が「軍令」で動くということはありえませんし、その吉田が「元日本軍人」の肩書きで講演活動をすること自体がまず詐称行為といえます。その他、彼が自称する学歴(法政大学卒とあるが、同大に吉田雄兎=本名の在籍記録はない)、職歴どれもが怪しいことだらけなのです。
 吉田本人は、根っからの反日家というよりも、「虚言癖のある寂しい老人」だったというのが本当のところではないかというのが私なりの見解です。彼が慰安婦狩りを最初に告白したのは1977年(昭和52年)の『朝鮮人慰安婦と日本人・元下関労報動員部長の手記』(新人物往来社)という本でしたが、当時、吉田は事業に失敗、雌伏の時期だったといいます。「大正2年」(1913年)という公表されている生年が正しかったとすれば、このとき彼は64歳。そして満70歳の1983年には第二弾にして、慰安婦ポルノの傑作『私の戦争犯罪』(三一書房)を世に出し、そのスジの第一人者となるのです。
 その後、吉田の書物や証言を朝日新聞や赤旗といった左系メディアが好んで取り上げるようになります。「寂しい老人」に過ぎなかった吉田は、いつの間にか「勇気ある告発者」「善意の元日本兵」ともてはやされている自分に気がつくのです。全国の小中学校からは講演で呼ばれ、孫やひ孫のような子供たちには拍手で迎えられる。「悪行」の告発は孤独な老人の生活を一変させたのです。その意味でいえば、吉田清治もまたシンデレラの靴を穿いて脱げなくなった一人といえなくもありません。

「高齢者はただ、単に話し相手が欲しいだけ。高齢者福祉にとって大事なことは、寂しいと感じさせないことだ」
 これは韓国で無縁老人の葬儀を執り行うボランティア団体を主催するKang Bong-hee氏の言葉です。(ロイター2013年1月21日)
 老人の虚言は、多くは孤独が生むのです。慰安婦問題をひとつ例にとっても、韓国と日本それぞれの高齢者問題が見えない形で絡み合っている、その事実を脳裏の片隅において置くことも必要ではないでしょうか。

 

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