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賢者の贈物のゆくえ~Merry Christmas

さあて、クリスマスである。
  O・ヘンリーの名前は知らなくても『賢者の贈物』という物語は誰でも知っているだろう。
  あるところに、貧しいけれど誠実な若い夫婦がいた。お互いにプレゼントを贈りたいのだが、お金がない。妻は腰までたれる美しい金色の髪をもっていた。その髪を売って、夫の大切にしている金の時計につけるプラチナの鎖を買った。夫は大切にした金時計を売って、妻のためにきれいな鼈甲の櫛を買った。結局、二人の贈物は無駄になってしまったけれど、愛する人への「思いやり」を受け取り、とても幸せなイヴの夜を迎えたのでした。めでたし、めでたし。

それでも、デラは、このクリスマス・イヴを、なんとか楽しく過ごしたいと思っていました。そして愛する夫のために何かすばらしいプレゼントを買いたいと思いましたが、1ドル87セントしかありません。何度数え直しても、1ドル87セント。これでは何も買えません。デラの目から涙が出て来ました。

 僕は子供のとき、このお話を読んだとき、妻が夫のために自慢の美しい髪を売る場面に、妙にドキドキしたのを憶えている。正直いえば興奮したのである。むろん、自覚こそなかったなかっただろうが、今思えば、女性の髪に対するフェティシズムを認めざるをえない。
 そのせいだろうか、この年になるまで、どんなに目鼻立ちが整っていようと、髪に栄養がなかったり硬く跳ね上がったりしていると、とたんに“その気”がなくなる。美しく豊かな髪も含めてこそ美女が成立するのである。

しかし、デラが姿見の前に立ちお化粧を直していたとき、すばらしいことを思いつきました。デラには膝の下までとどく美しい髪の毛があったのです。


 よくよく考えると『賢者の贈物』は、夫には不公平な話で、売ってしまった金時計はよほどのことがないと買い戻せないのだが、妻の金髪はやがてまた伸びてくるのである。もっとも、彼は金時計を失ったが、愛する妻の蜂蜜色の髪を愛でる、夫としての最大の特権は手放さなかったともいえる。それこそ両方失ったら、あまりにも不公平といえるだろう。
 さて、妻が売った長い髪はその後どうなったのだろうと想像するのもまた楽しい。きれいなウィッグとなって若い娘さんの頭部を飾るならまだしも、どこかの呪物崇拝者の手に落ち、夜な夜な彼のベッドの上での奇怪な儀式の捧げ物になるのか。フェティシスト紳士にとって、人妻のつややかな髪を愛撫する悦びは、それこそ姦通者の秘め事に等しい。
 そんなことも知らず『賢者の贈物』の若夫婦は、暖炉のない部屋で体寄せ合いぬくもりを確かめ合う。妻は貞淑だが、その髪は今、不貞の最中にあるのだ。
 聖夜の贈物もそれぞれである。

 みなさまはどうお過ごしになるだろうか。
 Merry Christmas

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