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男は誰も人生のプロレスラー③~逆三角形のジーザス、スーパースター・ビリーグラハム

スーパースターと呼ばれた男

 スーパースター・ビリー・グラハムというレスラーを初めて知ったのは、「別冊ゴング」のグラビアだったと思う。逆三角形にビルドアップされたマッチョボディ、金色の長髪に絞り染めのサイケなロングタイツ、正直カッコイイと思った。そして、僕にとってのまだ見ぬ強豪レスラーとなった。
 待ちに待ったグラハムが来日した。1974年9月の国際プロレスである。TBSから放映打ち切りに遭った同プロが、東京12チャンネルに移っての仕切り直しを飾るにふさわしいスター外人だった。
 12チャンネルもそれなりに力を入れていたのもわかる。ヒッピー・エイジのキリストの物語、ロックオペラ『ジーザス・クライスト・スーパースター』のテーマチューン「スーパースター」をバックに現れたグラハムは本当にカッコよかった。日本マットでレスラーに入場テーマ曲がついたのは、これが最初である。選曲は12チャンネルのスタッフだそうで、正直、センスがいい。グラハム自身も気に入ったのか、のちにアメリカでもこの曲を入場に使っていた。

西部邁先生、スーパースター・ビリー・グラハムに似ている。

 そして、彼の腰に巻かれたチャンピオンベルト。ビル・ロビンソンによって海外に流出した同プロの看板タイトル、IWA世界ヘビー級のタイトルをグラハムがデンバーで奪取(この交代劇に関しては疑問も残る)、堂々チャンピオンとしての来日だが、ベルトは新調されていた。当時、米マットで流行していた流線形タイプのチャンピオンベルトだが、グラハムには実によく似合っていた。このベルト新調も12チャンネルの指示で、おそらく製作費も局から出ていると思われる。グラハムは後年、このベルトによく似たWWWFヘビー級のベルト(製作者はIWAと同一人物)を腰に巻くが、これがまたハマっていた。73年、アントニオ猪木がジョニー・パワーズから奪取したNWF世界ヘビー級ベルトも同タイプである。中央に鷲が描かれ、レスラーのレリーフがあるのも、全ベルトに共通した特徴だ。

IWA世界ヘビー級のベルトを巻いて日本上陸したS・ビリー・グラハム。このベルトは崩壊まで国プロの至宝となった。
こちらはWWWFヘビー級のベルト。このタイプのベルトが

あのホーガンもフォロワーの一人だった

 さて、肝心のグラハムだけど、やはりボディビル出身のアニマル浜口とのベンチプレス合戦や遠藤光男レフェリーとのアームレスリング(腕相撲)ばかりが印象深く、試合の方はなぜかほとんど覚えていない。YouTubeでいくつかの試合を観直すことができたけれど、なるほど大味な試合展開で、ここいらへんが日本の批評家スジの「筋肉だけが取り柄のでくの棒」「見掛け倒し」という評価に繋がっているのだろう。
 日本ではせいぜい、1・5流といった評価しかないスーパースター・ビリー・グラハムであったけれど、アメリカでは文字通りMSG(マジソン・スクエア・ガーデン)のスーパースターだった男で、ハルク・ホーガンをはじめ、ランディ・サベージ、ジェシー・ベンチェラ、ポール・エラーリングなど、多くの逆三マッチョ・レスラーのモデルとなった、そのジャンルの元祖的存在なのである。
 特に、ホーガンにとって、グラハムは少年時代のヒーローであり、彼のサイドロープに昇り耳に手を当て観客に声援を要求するポーズや、着ていたTシャツをびりびりに破くパフォーマンスは、すべてグラハムから引き継いだものなのだ。現在のWWEを見ると、グラハム系マッチョ・レスラーが主流だし、彼が後世の米マット界に与えた影響は多大といえた。

マイクパフォーマンスの元祖

グラハムはマイク・パフォーマンスを本格的に導入したレスラーとしても元祖的存在だ。マイクを向けられると、言葉巧みに相手レスラーを罵倒する。ひとしきり相手をコキ下したあとは、イヤ見たらしく筋肉を誇示して見せることも忘れない。御贔屓のレスラーを罵倒された観客は当然ヒートする。こうして彼は、ヒール・チャンピオンとして、MSGの帝王に上りつめたのである。彼が日本で今ひとつ本領を発揮できなかった、もうひとつの理由として、この英語のマイクアピールが使えなかったから、と指摘する人もいる。
グラハムのマイク・パフォーマンスのお手本は二人いる。一人はホラ吹きクレイの異名で知られたモハメド・アリ(カシアス・クレイ)。グラハムは彼のファンであり、アリも多くのプロレスラーと親交があった。
もう一人の師匠は、グラハムのリングネームの元ネタともなった、20世紀最大の伝道師ビリー・グラハム。スーパースター・ビリーはここでもキリストとつながっているようだ。
 ビリー・グラハム(むろん宣教師のほう)は、テレビ時代の新しい宣教師としてメディアを積極的に活用、その説教は情熱的で、興が乗ると演壇を飛び出し、オーバーアクトを交え、時折客席を指さしては直接聴衆に訴える。難解な用語を避け、聖書を引用しながら、センテンスを巧みに区切って、ストレートに、そして畳みかけるようにこう語るのだ。「イエス・キリストを、私たちの罪の身代わりとして死なれ、甦られた救世主と受け入れなさい」。
グラハムはまた、マジソン・スクエア―・ガーデンといった大会場を伝道の場所にした人物でもある。スーパースター・ビリーがMSGの帝王として君臨する20年も前だ。こちらのほうでも彼の先輩なのである。
グラハムまたは政治にも積極的にコミットしている。スタンスは右派(人工中絶、同性愛には反対)だが、福音派の大ボスとして、共和党、民主党問わず時の政権が無視できない存在であり、グラハムも多くの大統領の宣誓式を執り行っている。ビリー・グラハムは2018年に数え100歳で物故。息子フランクリンが跡を継いだが、カリスマ性では父に遠く及ばないようだ。

スーパースター・ビリーがお手本にしたふたり。モハメド・アリと伝道師ビリー・グラハム。アリはムスリムのはずでは?
1967年、東京後楽園球場で行われた福音イベント。共和党、民主党問わず米大統領はノースキャロライナのグラハム邸詣ではかかせない。湾岸戦争、イラン戦争の開戦をアドバイスしたのも彼だという。プロテスタントとネオコン、それがアメリカである。

10か月だった王者時代

 プロレスのほうのビリー・グラハムに話を戻そう。彼が、ブルーノ・サンマルチノを破ってWWWFチャンピオンの座についたのは77年4月。ヒール・チャンピオンとしてNYのプロレスファンを沸かせたというのは先に記したとおり。しかし、彼の王座は10カ月と、そのネームバリューに比して短命だったともいえる。彼からタイトルをもぎ取ったのは、文字通りのベビーフェイス(童顔)なボブ・バックランドだった。一説によれば、バックランドには一時的にベルトを預けるだけで、すぐにグラハムに奪還させることを条件に、チャンピオン交代を承知させたが、それがかなわず、グラハムはWWWF会長のビンス・マクマホン(シニア)に不信感をもったともいわれるが、定かなことはわからない。
 それはともかく、僕にとってMSGの帝王は、サンマルチノでもなくバックランドでもなく、ホーガンでもなく、スーパースター・ビリー・グラハムなのである。それは彼の独特のリング上でのハードなたたずまい、そしてあのたまらなくハマったテーマ曲「スーパースター」の記憶によるものだろう。

シュワルツェネッガーはトレーニング仲間であり友人。

ホーガン、友情のポージング

 時は経ち、79年にWWWFはWWFと名称を変え、さらに83年から経営権はシニアから息子のマクマホン・ジュニアに移った。父以上にビジネスにシビアなジュニアとグラハムは反りが合わなかったらしい。この頃になるとグラハムは、長年の腰と脚の故障とステロイドの後遺症で、リングに立つこともしんどくなっていた。得意の喋りを買われてコメンテーターとして再契約するが、それさえも解雇されてしまった。
 これによって、グラハムとWWF(というか、マクマホン・ジュニア)との関係はしばし険悪な状況になる。グラハムがWWFのステロイド禍告発の先鋒に立ったことから、それは決定的なものとなったようだが、2002年に、WWFはWWEに再度名称してからは、関係もじょじょに改善に向かったようだ。
ちなみに、この改名は、プロレス団体WWF(World Wide Wrestling Federation)が、世界自然保護基金のWWF(World Wide Fund For Nature)から起こされた名称改変要求の裁判に負けたためで、WWEのEは「Entertainment」。マクマホン・ジュニアにとって、プロレスはあくまで、エンタメであり、レスラーはタレントに過ぎなかった。改名以後、WWEは開き直ったのか、むしろ堂々と、すがすがしいほどにエンタメ路線を突っ走っている。
 2004年、スーパースター・ビリー・グラハムはWWEの殿堂入りを果たしている。探せば、そのときの動画はYouTubeに残っていると思う。プレゼンターはハルク・ホーガンだった。人工関節に支えられたグラハムは、歩行ももったりとしていて、檀上には杖をついて上がった。すると、なんとホーガンはその杖をひったくると、バキッと二つに折ってしまったのだ。
「俺の憧れだったぜ、スーバースター。アンタにこんなもの(杖)、似合わねえ」とばかりに。そして、二人仲良くボディビルのポージングを決めたのである。
 演出であることはわかったが、それでも思わずウルウルと来てしまったのを覚えている。

このツーショット、このポージング。

2023年5月17日、スーパースター・ビリー・グラハムは天に召される。それ以来、青い空に浮かぶボディビルダーのような積乱雲を見るたびに、僕の耳の奥には「スーパースター」のメロディが流れてくるのである。

🔺映画『ジーザス・クライスト・スーパースター』サウンドトラックより。歌うはカール・アンダーソン。

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