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特攻するヒーロー~地球の英霊たち

アトムの壮絶な死

♪空を越えてラララ、星の彼方~
 日本初のテレビアニメとして知られる『鉄腕アトム』(虫プロ)。何度もリメイクされ、世代と国境を超えて今も多くの人に愛されるアトムだが、その最期もまた衝撃的なものだった。ここでは、アニメ第1作最終回「地球最大の冒険」(脚本・演出/手塚治虫)から振り返ってみたい。
 ある日、太陽の黒点が異常な活動を始め、その影響を受けて地表の温度が急上昇、このままいけば、地球は灼熱の惑星へと化すことは必至となった。アトムは、地球を救うために、太陽の核融合活動を抑制する装置を搭載したロケットで飛び立つことを決意。ロケットを黒点にぶつけて帰還するという捨て身の作戦だった。しかし、途中でロケットは故障し自動制御を失ってしまう。かくなる上は、アトム自身がロケットを操縦し太陽に突っ込むしかない。「地球はきれいだなあ」。最後のつぶやきを残して、アトムからの交信は途絶える。……そして、地球は救われたのだ。
この最終回をリアルタイムで観た子供たちはみな泣いた。自己犠牲の精神などという難しい言葉はわからなくても、とにかく「アトムありがとう」と空を見上げずにはいられなかった。ちなみに放映は1966年の大みそかである。
さて、アトムのこの最期、身を捧げて敵に挑むということでいえば、明らかに第二次大戦末期の特攻隊を連想させる。ある意味、日本人好みの悲壮の美といえる。

 実は、アトム特攻の結末はアニメ版のオリジナルで、手塚治虫の原作にはない。しかし、手塚はのちに、アニメ版の最終回を下敷きにして後日談を何度か描いているし、『新鉄腕アトム』の実写テレビ化の企画(1959年の松崎プロダクション製作のもととはむろん別物)に合わせ、新デザインのアトム(太陽に接近し半分溶けたアトムが宇宙人に回収され、新たにプロテクターなどを装着した改造バージョンとして蘇ったという設定)を学年誌などで披露している。虫プロ倒産後の複雑な権利問題が絡み、結局実写版製作は実現しなかったが(代わりに作られたのがアニメ『ジェッターマルス』)、以上のような事実から見ても、手塚が「地球最大の冒険」を『アトム』公式最終回と認定しているのは間違いない。

アイウエオの歌と『ジャングル大帝』

『アトム』で科学が作る近未来のユートピア世界を描いた手塚治虫だったが、彼の中にも戦前の日本というものが血肉となって残っていた。一例を挙げるなら、『ジャングル大帝』である。主人公レオが建設を目指すのは、肉食獣も草食獣も鳥類も仲良く暮らすジャングルの理想郷、いわば五族協和の王道楽土だ。レオがジャングルの動物たちに人間の言葉(むろん日本語)を教えるために歌う「アイウエオマンボ」が、1945年3月公開の国策アニメ映画『桃太郎海の神兵』(瀬尾光世監督)の挿入歌「アイウエオの歌」のオマージュであることはつとに知られている。ちなみに、白人に殺されるレオの父王パンジャの名は、JAPANのアナグラムだそうだ。

 SFと戦争映画

 紙面の都合上、詳しくは触れられないが、日本のアニメや特撮の技術発展は戦前の国策映画を抜きにして語れない。特撮の神様・円谷英二の出世作はなんといっても、1942年の『ハワイマレー沖海戦』(山本嘉次郎監督)だ。戦後の円谷特撮もその延長線上にあるのは確かで、たとえば、『ゴジラ』(1954年)や『宇宙大戦争』(1954年)は、SFに名を借りた戦争映画として観ることもできる。『妖星ゴラス』(1962年)では、死を覚悟で謎の巨星ゴラスの観測を続け、最後は宇宙船ごとゴラスに吞み込まれながら「万歳!」を叫ぶクルーが英雄的に描かれており、東宝SFが大東亜戦争の記憶を引きずっていることを示唆していた。

『妖星ゴラス』の万歳シーン。アナクロニズムと笑うなかれ。当時の観客には自然と受け入れられていたのだ。

 映画ばかりではない。60~70年代の特撮&アニメでは最終回、主人公が敵に特攻、玉砕するというパターンは珍しくなかったと思う。当時はまだ、「戦争賛美だ」などというヤボな突っ込みをいれる大人もなく(しょせんジャリ番と思われていたということもあったのだろうが)、僕らも素直に楽しみ感動していたと記憶している。というわけで、本稿の後半は、それら壮絶な散華を遂げられた地球の英霊たちを振り返ってみよう

エスパーの首が飛ぶ

『光速エスパー』(1967年)。エスパーは変身ヒーローではなく、強化服を着たヒーローということで、いわば東映メタルヒーローや『サイバーコップ』の先駆者にあたる。主人公・エスパー=ヒカル少年を演じたのは当時14歳の三ツ木清隆だったというのは有名な話。最終回「宇宙の果て」では、エスパーが、地球に接近する彗星(実は擬態した宇宙人の巨大UFO)を破壊するために宇宙空間での特攻を試みる。彗星に激突、爆発とともにエスパーの首がもげて吹っ飛ぶシーンは、飛び人形とはわかっていながらも実にショッキングだった。首がちぎれて死んだヒーローというのも、彼ぐらいなものだろう。

バンダーの死と『同期の桜』

『魔神バンダー』(1969年)。超エネルギー・オランの行方を追って地球にやってきた正義の宇宙人パロン王子、従者X-1、そして彼らの守護神バンダー。最終回では、無事地球での任務を終え母星に帰還しようとしたパロン王子に、某国が日本に向けて核ミサイルを誤射したとの報が入る。ミサイルはあと1時間後に日本に到達するという。王子は苦渋の末、バンダー出撃を決意する。太平洋上で、生物パトリオットミサイルとなって、核ミサイルとともに散ったバンダー。水平線の彼方に向かい、バンダーの名を呼び続ける王子に、地球での後見人・立花博士は「戦争中、日本人はみな同じ気持ちを抱いていたのだよ」とちょっとズレた慰めの言葉をかける。なんとこのときかかるBGMは『同期の桜』だ。う~ん、確信的だな。

ギロチン最後の日

『ジャイアントロボ』(1967年)。実写巨大ロボット物の元祖的存在。体内に各種武器を装備しているところなど、のちのアニメ『マジンガーZ』にも大きな影響を与えた。最終回「ギロチン最後の日」で、ロボと彼の操縦者・草間少年は宿敵ギロチン帝王との最終決戦を迎える。巨大化しロボに迫るキロチン。実はギロチンの体は高濃度の核物質でできており、彼を攻撃することは同時に、地球に壊滅的なダメージを与えることを意味するのだ。敵を面前にしながら手を出すことができぬ草間少年。しかし、そのとき、マシーンであるはずのロボの電子頭脳(AI)に自我意識が目覚め、ギロチンを抱きかかえると宇宙空間に旅立ち敵もろとも隕石に激突し果てるのだった。コンピューターが意識をもつという設定は、翌年公開の『2001年宇宙の旅』のHALに先立つものだった?

ギロチン帝王を抱きかかえて宇宙空間へ。
隕石に向かって特攻。

ライダーよ永遠に

『仮面ライダーVS』の第1話・第2話は、ライダー1号、2号から新ヒーロー・V3への主役シフトの意味合いの強いエピソードでもあった。ゲルショッカーの後継組織デストロンからの日本防衛の任務をV3に託し、1号、2号は、体内に水爆を擁する怪人カメバズーカを洋上に運び自爆する(ライダーがいつ飛行能力を身につけたかは不明)。
誰もがWライダーは死んだものと納得したが、劇場版『V3』で、何の説明もなく助っ人として再登場したときは、嬉しくもありながら、あのときの涙を返してくよと言いたくもなったのは正直なところだ。その後もライダーマンが同様の自爆→復活を見せており、「ライダーは死んだと見せかけて実は生きている」という暗黙の約束を定着させることにもなった。実はこれ、シリーズの生みの親である平山亨プロデューサーの意向でもあったようだ。本郷猛役の藤岡弘がバイク事故で出演続行不可能になったときも、ドラマ上での本郷の死去による主人公交代劇という案もある中、平山Pは最後までこれを拒否。結果、藤岡の復帰によるWライダーの誕生→シリーズ化へとつながったわけだ。

Wライダーの霊に誓いを立てるV3だったが。

ヤマト、最初の「さらば」

 劇場版『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(1978年)では、白色彗星帝国との闘いで、古代進を残しクルーの多くが名誉の戦死。自身も満身創痍の古代だったが、最後に現れた巨大戦艦と刺し違えるべく、恋人雪の亡骸を抱いてひとりヤマトを発進、白い閃光とともに宇宙に消えた。
プロデューサーの西崎義展がかねてより「本作をもってヤマトを最後にしたい」と名言していたとおり、有終の美にふさわしい感動のラストだったが、公開からわずか2カ月後にテレビ版『宇宙戦艦ヤマト2』が放映され、ファンは肩透かしを食らうのであった。その後も『宇宙戦艦ヤマト新たな旅立ち』(79年)、『ヤマトよ永遠に』(80年)が製作され、古代の特攻も「なかったもの」にされてしまった。
ちなみに、東宝が『スター・ウォーズ』ブームに便乗し、わずか2カ月間で製作した宇宙戦艦モノ『惑星大戦争』(1977年)のラストでも、宇宙戦艦轟天の機首に装備してあるメインドリルに池部良扮する艦長が乗り組み敵の大魔艦に特攻、金星ごとこれを吹き飛ばしている。

ゴースン、土に還れ 

他に『快傑ライオン丸』(1972年)のライオン丸や『ゲッターロボ』(1974年)のムサシの最期も、敵と刺し違えるという意味では、特攻死と呼んで差し支えないだろう。ヒーローではないが、『ウルトラQ』(1966年)の第14話「東京氷河期」では、元ゼロ戦パイロットという経歴をもつ浮浪者が怪獣ぺギラにセスナで特攻、みごとこれを敗走させている。

80年代を境に、子供番組からこのような「特攻するヒーロー」は姿を消してしまったような気がする。やはり、時代とともに特攻という結末そのものが、アナクロニズム、右翼的センチメンタリズムとして忌避されるようになったのだろうか。脚本家・監督に戦争体験者が少なくなったのも大きい。
と思っていたら、1996年のアメリカ映画『インデペンデンスデイ』で、戦闘機乗り上がりのラッセルが敵主砲に向けカミカゼアタックを敢行していた。死をいとわぬジャパニーズ・サムライ精神はむしろ、アメリカ映画に受け継がれていたということかもしれない。


初出・「昭和39年の俺たち」(一水社)2021年3月号

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