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反日と恨日(前編)~のたうちまわる愛

「恨」とは何か

 朝鮮民族の精神構造の底流にある情緒、情念といわれる概念が「恨」(ハン)といわれるものです。
「恨み」―― 日本語にするとおどろおどろしい限りですが、韓国出身の評論家・呉善花氏は著書の中で「恨」についてこんな説明をしています。
《恨は単なるうらみではなく、達成したいこと、達成すべきことができない自分の内部に生まれる、ある種の『くやしさ』に発している。それが具体的な対象を持たないときには自分に対する嘆きとして表され、具体的な対象を持つとそれがうらみとして表されるのだといってよいように思う。さらに重要なことは、そうした恨を溶いていくことが美徳とされ、美意識ともなるということである。》(『続・スカートの風』三交社)
 筑波大学教授で歴史学者の古田博司氏は、「恨」の精神文化的源泉を朝鮮独特の階級社会に求め、
《伝統規範からみて責任を他者に押し付けられない状況のもとで、階層型秩序で下位に置かれた不満の累積とその解消願望》(『朝鮮民族を読み解く』筑摩書房)と解説しています。
 李朝時代の伝統的階級は上から王族、両班、中民、常民、奴婢で、この他、階級制度の外に置かれる白丁(被差別民)がいました。日本の士農工商が、階級というより職業区分の傾向が強かったのに比べ、朝鮮の階級制度はどちらかといえばインドにおけるカーストに近いものがあるようにも思えます。日本にも白丁にあたる被差別階級(エタ・非人と呼ばれた人たち)は確かに存在しましたが、一方で彼らはまた利権の保有者でもあり、皮革製品や履物、ろうそくの芯作り、などは事実上彼らの独占産業といえました。江戸時代のエタ頭である弾左衛門は江戸浅草に旗本並みの屋敷を構え帯刀を許されていたといいます。もちろん、だからといって日本に差別がなかったなどとは申しませんが。
 驚くべきは朝鮮における賎業のカテゴリーの広さです。妓生(キーセン)や遊芸者はむろんのこと、医師や女官、調理人や僧侶までもが賎業とされていたのです。韓国における階級制度は近代化以降、建前上はなくなりましたが、さまざまな差別が露骨な形で存在しています。今でも製造業や飲食業は地位の低い者の職業とされ蔑視の対象です。
 また地域差別―とりわけ全羅南道や済州島出身者に対するそれや障害者に対する偏見など韓国社会における差別の根は深いといえます。差別の種類が多ければ多いほど、生じる「恨」も多種多様ということになります。歴史上、周辺大国のさまざまな干渉を受け続けていたことも「恨」文化の醸造に大きな影響を及ぼしていることは確かでしょう。とりわけ、文化的に弟(格下)と見なしていた日本に支配された屈辱は彼らの中に深い「恨」のリゾームを張り巡らせることになったと想像できます。

韓国の「恨」と日本の「諦」

 海に囲まれた日本は幸いなことに、戦後7年間アメリカの占領下にあったことを除けば、他国に征服されるという経験はありませんでした。しかし、神様はよくしたもので(?)、まるで帳尻を合わせるかのように、日本列島を地震や火山噴火、津波、台風といった自然災害の宝庫にこしらえたのです。また、ご承知のように、徳川時代、江戸の町だけでも何度も大火に見舞われています。木と紙でできた家がひしめく世界一を誇る人口密度の八百八町、火災が起きればひとたまりもありません。家族を失い文無し家無しとなって焼け出された人々の悲嘆はいかようか。それこそ、天に向かって恨みの言葉を吐きたくもなるでしょうが、不思議なことに、日本人には「恨」に類似する精神文化は育ちませんでした。
 その代わりに、日本人に培われたのは「諦念」、つまり諦めの心です。「失ったものはいくら嘆いても返ってはこない。そう思って諦めよう」。涙を拭いて、一から出直そう、無くしたものは一生懸命働いてまた築けばいいではないか、というのが日本人に染み付いた「諦」の考え方です。
 先の大戦で東京、大阪をはじめ日本の主要都市のほとんどは灰燼に帰してしまいました。その焦土からわずか19年でアジア初のオリンピックを開催するという奇跡の復興を成し遂げたバイタリティの根源は実はこの「諦」の精神にあったのかもしれません

天災も人災という考え方

 日本人の諦念は仏教の無常観と密接な関係にあります。呉善花氏が、韓国人の「恨」に対比させる、日本人の心情として「もののあはれ」を挙げているのは、卓見であると言わざるをえません。「もののあはれ」は無常観そのものだからです。
 日本人でもよく混同してしまうのですが、「無情」と「無常」は似て非なる言葉であり、無常はその字の通り、「常では無い」、世の中に変化しないものなど存在しない、という意味の言葉です。「形あるものいつかは滅す」「朝の紅顔、夕べの白骨」という言葉にも象徴されています。
 一方、「恨」は、儒教的な色彩の濃い概念です。儒教は人間を君子と小人に分け、君子の生き方を示す一種の人間学、人間宗教であって、信仰対象は祖先であり、基本的に人間以外の至高の存在を置きません。
 日本人にとって天災はあくまで「天のなせる災い」であり、いくら人間が抗っても天(自然)には勝てないという「諦」があります。これは仏教的無常観と日本人特有の自然崇拝が合わさった考え方なのです。
朝鮮が歴史的に受けて来た辛苦の多くは、侵略や悪政といった人為的な要因によるものといえます。つまり広い意味での人災です。さらに言えば、儒教では天災もまた人災なのです。旱魃や疫病などの天変地異が続くと、民衆は、為政者の徳がついえたからだと考え、天がこの為政者を見放した証拠と考えます。そして、王、あるいは王朝そのものの交代が起こるとされるのです(易姓革命)。天災といえども、自然界にその原因を帰するのでなく、誰かに責任を被せるのが朝鮮儒教式の考え方といえます。

日本と韓国、それぞれの「徳」

 そして、徳を失い王座から去った者への容赦ない仕打ちこそは、易姓革命の最大の特徴ともいえるのです。韓国の歴代大統領の退陣後の末路がまさしくそれを物語っているでしょう。           
 初代大統領の李承晩(イ・スンマン)は追われるようにしてハワイに亡命、死ぬまで祖国に戻ることはありませんでした。全斗煥(チョン・ドファン)(第11・12代)は1980年(昭和55年)の光州暴動に対する武力鎮圧が問題となり死刑判決(のちに減刑)を受け、盧泰愚(ノ・テウ)(第13代)金泳三(キム・ヨンサム)(第14代)、金大中(第15代)もそれぞれ任期中の収賄や不正蓄財がもとで投獄を経験し、さらに盧武鉉(ノ・ムヒョン)(第16代)の謎めいた自殺。朴槿恵(パク・クネ)大統領の父君・朴正煕(パク・チョンヒ)(第5~9代)にいたっては任期中に暗殺の憂き目にあっています。犯人は朴氏の用心棒とも言われた側近中の側近の男でした。
 ついでに言いますが、日本人の考える「徳」と韓国人の考える「徳」では根本の意味が大きく違います。ざっくり言えば、「徳の高い人は嘘をつかない」と思うのが日本人であり、「徳の高い人だから嘘をついてもかまわない」と考えるのが韓国人なのです。彼らのいう「徳」とは天から預かった権利・権力のような概念と思ってください。したがって、「徳」も貯金と同様、使い切ってしまえば無くなるのです。むろん、徳を積む、良い行いをして「徳」の預金残高を高くするという手もありますが、人間、とりわけ権力者の思考と行動は、なかなかそちらも方には向かわないもののようです。
 一度「徳」を使い切ったと判断された為政者は権力財産のすべてを失うどころか、一気に人民の「恨」の対象となるのです。まさに一寸先は闇、オール・オア・ナッシング、が韓国の為政者ということになります。いきおい、権力(徳)のあるうちに奪えるものは奪う、貪れるものは貪るという発想になります。権力者の親族や側近が私服を肥やすのはそのためです。

セウォル号沈没事故で問われた大統領の「徳」

 修学旅行生300人の人命が失われた貨客船セウォル号の沈没事故、あれこそまさしく人災が人災を呼んだというべき複合的人災による前代未聞の大惨事でした。当初こそ、船長や運営会社に対して向けられていたマスコミの責任追及の矛先が、事故後の不手際もあり、ある時期を境に一転、朴大統領へと向かったのを記憶している読者も多いことでしょう。マスコミと大衆は朴大統領の些細な失言を突き、犠牲者の追悼所に贈られた彼女名義の花輪が打ち捨てられるというこれ以上ない非礼で報いました。まさしく国を上げて、朴大統領の「徳」を問いだしたのです。大統領にしてみれば、「徳を喪失した」という風評が国中に蔓延することが何よりの恐怖だったに違いありません。
 現在、韓国では朝鮮戦争時代に始まったアメリカ軍向け慰安婦(洋公主)の問題が浮上し、元慰安婦たち122人が韓国政府相手に謝罪と賠償を求めて訴訟の動きがあります。朴大統領が無事任期満了で大統領職を終えたとしても、野に下ったとたんに、今はまだ火種に過ぎないこの問題が、枯れ草に放たれた炎となって彼女に襲ってくることは必至で、なぜなら、米軍向け慰安所の設置を許可したのは他ならぬ朴大統領の父君・朴正煕大統領だったからです。ことの次第によれば、朴槿恵大統領の逮捕(罪状は何でもかまいません)、そして父の代からの財産没収などという事態も充分考えられるのです(※朴槿恵の末路についてはご承知のとおり)。

全斗煥に対する朴槿恵の恨

 現に全斗煥氏は、30年も前の大統領時代の不正蓄財に関する未納追徴金を巡って徹底的な押収捜査を受けています。その際、検察は金属探知機まで動員し全氏の家はもちろん長男の会社からも金目の物一切を差押えて行きました。あわれ全氏に残された財産は、夜くるまる布団だけとさえ言われています。さらに、全氏が死後、歴代大統領が眠る国立墓地への埋葬を拒否する法案が議会に発議されました。その後、この法案が可決されたという報は入ってきていませんが、何より祖霊の墓を大事にする儒教国家において、これほど屈辱的な仕打ちはないといえましょう。
 全氏に対するこの徹底的な見せしめ捜査は、朴槿恵大統領の意向が強く働いているといわれています。全氏が大統領就任後、大恩あるはずの朴正煕元大統領の娘で、夫人の死後は母に代わって事実上のファースト・レディ役だった槿恵氏を冷遇したことへの意趣返しとも噂されており、まさしく「私怨」であり「恨」なのです。
 槿恵氏が私怨の人であるのは、セウォウル号事件の当日の彼女の動向を巡ってゴシップ調の記事に仕立てたということで、産経新聞社元支局長の加藤達也を名誉毀損で在宅起訴するという愚挙からも伺えます。
 当然、朴槿恵大統領が元首の座を去ったあと、青瓦台周辺から彼女に対する「恨」が一気に噴出する可能性は充分ありますし、その兆候として現れたのが洋公主問題なのです。

愛する「恨」

 金素月(キム・ソウォル)という併合時代を生きた朝鮮の詩人がいます。彼のもっとも有名な詩が「チンダルレ」で、現在の韓国でもこれを諳んじる人も多いそうです。チンダルレとは「つつじの花」の意味。1922年(大正11年)といいますから、三一独立運動のわずか3年後の作です。

 「チンダルレ」(つつじ)

 わたしが嫌いで
 行くのなら
 なにもいわずと見送りましょう
 寧辺の薬山の
 つつじをば
 ひと抱え 行く手の道に撒きましょう
 ひと足ごとに
 その花を
 そっと踏みしめ お行きなさい
 わたしが嫌で
 行くのなら
 死んでも涙はみせませぬ  (金思燁訳)

 
 哀切極まりない男女の別れの歌です。しかし、呉善花氏によれば、韓国人がこの詩を読めば、詩に込められた壮絶な「恨」を感じずにはいられないのだそうです。
《時代的な背景からして、この詩は、失われた祖国への恨を歌ったものと言われている。「去り行く恋人」に仮託して「去り行く祖国」への悲しみが、恨として歌われているのだ。詩のテーマは、国民を見放して日本の統治下へと去り行く祖国、なのである。
 この詩は、けっして「やさしさ」の心情を表したものではない。自分から去って行く恋人を「黙って優しく送る」ことなど、とても常識でできることではなく、すさまじい恨なくしてはできないことである。》(呉善花著『ワサビと唐辛子』祥伝社)

 ラブソングに身を借りた祖国喪失の「恨」を歌ったものなのだというのです。なるほど、そう思いながら改めてこの詩を鑑賞すると、また違った味わいがあります。その上で、興味深いのは、この詩の「恨」が、去り行く祖国に向けられており、祖国を併合した日本に向けられたものではないということでした。併合にいたらざるを得なかった(無力な)祖国、あるいは時世や運命に対して怨嗟の声を上げているのに過ぎないのです。ここではあくまで「恋人」を奪ったどこかの女(男)(つまり日本)は、赤の他人(ナム)といえます。韓国の反日は併合当時よりもむしろ戦後、扇動されて肥大したものではないかという私の仮説の一助となりました。そして、よくよく考えてみれば、これも"寝取られ"の歌です。
 チョー・ヨンピルが「NHK紅白歌合戦」で歌った、その名も『恨五百年』という歌があります。もともとは、高麗を滅ぼし李朝を建てた李成桂に対する高麗残党の「恨」を歌ったもので、メロディは伝統的な江原道民謡からの借用だそうです。この曲もまた、男女の別れ(こちらは死別)に仮託した祖国への「恨」が歌われています。

 恨五百年

 恨多きこの世 薄情な人よ 情を残して 体だけ逝ってしまった
 ああ 恨み五百年生きようというのに どうしてもやりきれない
 白砂の砂畑に七星壇を祀り あなたを生き返らせてと祈る 
 ああ 恨み五百年生きようというのに どうしてもやりきれない

 ここでも、愛するがゆえに、その愛する人が黄泉の世界に旅立ったことへ「恨」が向けられているようです。
 私が子供のころ、ある芸能人夫婦が離婚し、当時としては破格の2億円の慰謝料が大いに話題になったことがあります。果たして、この夫(俳優)は、2億円ぶん愛されていたということなのか、あるいは、2億円ぶんも嫌われていたということなのか、そんなジョークのネタにもされていました。さしずめこの歌をそれ式に解釈するなら、五百年愛すると誓った恋人が先に逝ってしまったら、その「恨」を溶くには五百年かかるということでしょうか。
「恨」とはこのように愛が窯変したものでもあるようです。愛してもつくしても報われない、そのとき彼(彼女)の愛は「恨」となって燃え上がるのです。

「のたうち回る」愛

 その上で私なりに「恨」というものを解釈するならば、ずばり、それは「のたうち回る心」です。
 知り合いの編集者で、過去、何人かの韓国人のホステスさんと個人的に交際を経験した人がいて、その彼に何度となく、韓国人女性の愛情表現の大胆さ、情の濃さについて聞かされてきました。たおえば、食事のとき彼は一切箸を持つ必要がないのだそうです。ア~ンと口を空ければ、女性の方が食べ物を箸で食べさせてくれるのだとか。これは彼がつきあった韓国女性に共通した行動だそうです。おそらく妓生式の食事作法がそのまま持ち込まれたものでしょう。ある意味では男性天国といえます。
 かと思えば、韓国の女性に共通する傾向として、悋気(やきもち)の方もかなり苛烈だったようです。
 雑誌編集という仕事柄、入校間近になると会社に泊まり込みが続いたりしますが、一時間おきに、女性からの電話があって居場所の確認を迫られたと言っていました。明け方、女性から呼び出しがあり、徹夜明けの朦朧とした頭を抱え待ち合わせの深夜喫茶に行ってみると、髪を残バラにした化粧っ気のない顔に、泣き腫らした目を二つ並べた彼女が待っていて、ひとしきり恨みごとを言われたと、その編集者は苦笑していました。
 要は「私はあなたのためにこれほど泣きました」「あなたのためにこんなにのたうち回ったのよ」ということを、この韓国人女性は、半ば意識的に恋人に示しているのです。これが韓国流の愛の表現なのです。韓国人は喜びも悲しみも怒りも、むろん愛情も、あらゆる感情は可視化、言語化させることで初めて相手(周囲)に伝わると考えます。葬儀の席で「のたうち回る」ように嘆き悲しんで見せるのはそのためです。
「アポジ(お父さん)、アポジ、なぜ私たちを置いて逝ってしまうの。あなたのカバンに私を詰めて、一緒に天国に連れて行ってください……哀号!」――。これは知人が韓国である葬儀に出席したとき、実際に目に耳にした、棺に取りすがる遺族の言葉です。本当に悲しいとき、人はそこまで饒舌になれるだろうか、と正直、知人は思ったそうですが、決して演技ともいいきれないわけで、ここいらへんは、感情の表し方のシステムが違うのに過ぎません。ある意味でいえば、とても情熱的です。日本人のように、抑えた感情からぽろりとこぼれる涙や優しさに、美的なものを見出すという精神文化とは対極にあります。いい悪いではありません、犬はワンワンで猫はニャンニャンといったものと考えてください。
 韓流ブームのとき、「韓国人男性は情熱的」といった喧伝がさかんになされていましたが、わかりやすく言えば、「韓国人男性はあなたのために"のたうち回って”くれますよ」と言っていのるに過ぎないのです。「のたうち回る」ことに不得手な日本人男性に比べれば、女性の前で堂々と「のたうち回る」ことのできる韓国人男性は、一見、情熱的でストレートな性格に映るのも理解できなくもありません。おもちゃ売り場で泣きながらおもちゃをねだる子供の姿を想像してみてください。あれも子供なりの情熱なのです。

恋人や肉親ゆえの恨

 いわゆる元慰安婦のおばあさんたちが日本を非難するとき、まさしく「のたうち回」っていますが、あれのビジュアル効果というものは絶大です。「のたうち回る」文化を持たない日本人はそれだけで圧倒され、おばあさんたちがあそこまで泣いているのだから、日本軍はとても酷いことをしたのに違いない、多くの日本人はそう思い、ひたすら贖罪感にかられてきたのです。近年では、さらなる反日宣伝効果を狙って、アメリカやヨーロッパといった第三国で「のたうち回り」フォーマンスに余念がないようですが、あれを止めさせる手だては今のところ私たちにないのが現状であり、憂慮されます。
 こういった「のたうち回り」のパフォーマンスに関しては朝鮮半島の巫女文化や芸能とも根の部分でつながっていると見ているのですが、それについてはいつか稿を改めて言及したいと思います。
 怒りに、悲しみに、喜びに、愛に、「のたうち回る」心、それが要するに「恨」である、と私は解釈しています。感情表現においては「のたうち回る」ことに価値があるのです。一度よりも二度、二度より三度、「のたうち回」った回数が多いほど、その対象への、怒りが、悲しみが、愛が、深いということになります。もっとわかりやすく言えば、愛すれば愛するほど、憎しみも深くなるという心理です。可愛さあまって憎さ百倍の世界。「のたうち回る」こと自体にある種のマゾヒスティックな快感があります。
「単なる恨みの感情ではなく」――、「恨」を語るときの典型的な枕詞ですが、のたうつほどの「恨み」とはどのような感情かと考えると、どうしても、赤の他人に向けられるものでなく、恋人や肉親といった身内が対象のような気がしてなりません。愛憎です。

(初出)

『韓国呪術と反日』(青林堂)

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