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僕が語っておきたい下北沢⑬~開かずの踏切のことなんぞ

 このコーナーは、80~90年代の古き良き下北沢、駅前再開発’&小田急線地下化以前の下北沢を語るもので、どちらかというと再開発後の下北沢には冷ややかな論調にならざるをえないが、小田急が地下化されよかった点を挙げるなら、やはり夕方のあの開かずの踏切状態がなくなったことにつきるだろう。とにかく、カンカンカンが20分以上も続くのである。ようやく遮断機が開いたと思ったら、またカンカンカン。仕方がないので、駅の高架を通る、あるいは井の頭線の方にまわって北沢ヒルトンの方からかたばみ方面の階段を下る。この手間がいかんともしがたかった。
中には、遮断機が上がるのを待ちきれず、くぐって向こう側に渡る剛の者もいるが、これは危険だ。いくら駅に向かって減速しているといっても、電車は急には止まれない。上り電車を避けたと思っても、今度は下り電車が入ってくる。
 実際、死亡事故もあった。僕がもうシモキタから離れたあとだったから、知ったのはニュースである。遮断機をくぐり、向こう側に渡ろうとして、列車にはねられ、頭部と胸部を強打。すぐに救急車に搬送されたが、31歳のその青年は翌日に亡くなった。彼は、あの俳優・菅原文太氏の長男で、自身も若手俳優として売り出し中だった菅原加織氏であることもニュースが教えてくれた。2001年、つまり今世紀の始まりの年の11月のできごとである。
 実は文太夫妻には長く子供に恵まれず、『トラック野郎』シリーズで共演した子役の梅地徳彦さんを公私にわたって可愛がっており、一時は養子にしたいといっていたという。そんな矢先にできた第一子が加織氏で、長じて自分と同じ俳優を目指したということもあり、その我が子の早すぎる死はどれほど打撃となったことだろう。
 ちなみに、梅地氏は、僕らの世代では『快傑ライオン丸』の小助役が有名である。
 下北沢で起きたいたましい事故といえば、やはり漫画家・岡崎京子氏の飲酒ひき逃げ事件だろう。岡崎氏は夫と下北沢の自宅付近を散歩中、この災難に遭った。犯人はすぐに捕まり、彼女も一命をとりとめたが、後遺症で現在も車椅子生活。作家生命は事実上絶たれてしまった。1996年、33才、まさに表現者として脂の乗りきろうとしていた時期だった。
 岡崎氏とは同時期、同じ町内に住み、近い業界にいながら、僕はまったく接点をもたなかった。同じころ、彼女と並び称された桜沢エリカ氏とは、面識はないものの、僕の書いたパロディ小説に挿絵を描いてもらったこともあり、細々とした糸でつながっていた。編集者曰く、エリカ氏は僕の書いた原稿を読み、「こんな下品な話に挿絵を描くの?」と言ったそうだ。今はなき土曜出版での仕事である。その後、気づいてみれば、桜沢エリカ氏は押しも押されぬメジャー漫画家になっていた。

岡崎京子氏

 事故というより、これは立派な事件であるが、殺人も起っている。南口商店街を下っていくと、100円ショップの近く、今は不動産屋になっている地下店舗がある。ここは昔、ディスコがあった。ある晩、この前を通りかかると警告灯をつけたままのパトカーが2台停まっていて野次馬が取り囲んでいた。聞いたところによると、客同士のトラブルで、一人が刺され、ほぼ即死だったという。そのディスコは事件から半年も待たず店をたたんでいる。 火事もあった。南口駅前、現在ドトールのある場所は昔はマクドナルドがあり、ここから出火。店舗2棟と駅舎の一部を焼いている。店員が客の灰皿の火を確認しないままゴミ箱に中身を捨てたことが原因だったという。 今回は暗い話ばかりになってしまったが、長年住んでみると、それなりに事故、事件に遭遇するものなのである。

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