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朝鮮人の内部に衡平運動が始る 水平社と同様の主張で全鮮に檄を飛ばす 大阪毎日新聞 1923.5.1 (大正12)

自覚せる朝鮮人は内地人と同様の権利を主張して差別撤廃を絶叫し各種の運動を続けているがその朝鮮人の内部に更に差別撤廃の運動が開始されたそれは内地における水平運動の精神と同様の色彩を帯びている、従来朝鮮では獣類の屠殺に従事する者を白丁と呼び特種扱いをしていたものに対し人間礼賛の見地から平等の取扱いを要求するというのである、この運動は晋州の姜相鎬氏の主唱で同氏は去二十四日晋州で衡平社の発会式を挙げ委員長に選挙されたが同社は更に二千万朝鮮人中四十万の多数に上る白丁に檄を飛ばし全国的の大運動を起す計画で想像以上の底強さと真剣味を持っている

衡平社(ヒョンピョンサ)ポスター。
水平社とは友好関係にあった。

 階級は旧韓国時代に両班と称する貴族と平民の外に白丁と称する特殊民があり、日韓併合以来幾分其の区別は緩和されている以前は白丁に対し全く人間扱いをしなかった、また現今でも近隣の交際は勿論、婚姻などは絶対に差別され不合理に社会の冷遇と虐げを受けていてその歴史は我国のそれよりも古く長年の鬱勃たる忽従の不平が爆発したものと観るべきである、彼等の多数は柳行李の製造を生業とし副業として牛豚等の家畜の屠殺をやっているが最近では実業家として官吏としても相当成功している者もある
要するに内地の水平社と同一事情の下にあるので衡平社の運動は軈て海を越えて内地の水平社と握手し同一の歩調をとるに至るかも知れぬといわれている、尚この運動に対し鮮人貴族などの保守派は次期尚早を以て迎えているが新人間では当然な運動として声援を与えている(京城来電)

データ作成:2009.4 神戸大学附属図書館

(追記)衡平社(ヒョンピョンサ)は日本の水平社運動に刺激され組織された、朝鮮の非差別階級である白丁(ペクチョン/ペッチョン)の解放を目指す運動体である。
白丁は、屠畜、皮革製品、柳細工を生業として、居住地は制限され移動の自由もなかった。戸籍がないので兵役や納税の義務もなかった。一部の地域では、チョゴリ(上衣)の襟に白丁であることを示す黒い布きれを付けさせもした。通りを歩く時は、腰をかがめて早足で歩く“白丁歩き”を強いられた。身なりも制限された。絹の服を着ることは許されず、成人男性なら誰もが被る“カッ”(帽子)の代わりに、粗末な笠を被ることしか許されなかった。女性の場合は、結い上げた髪にかんざしを挿してはならないとされていた。さらに、婚礼の時には輿にも乗れず、死んでも遺体をサンヨ(喪輿:棺を墓まで運ぶための輿)に乗せることすら許されなかった。

典型的な白丁部落。皮をなめしている。
衡平社運動にもっとも反発を示していたのは農民だという。彼らにしてみれば、自分より下の者のいなくなるのは面白くないことなのだ。

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