見出し画像

万博、ハレンチ、性教育の時代 君はアポロの塔を憶えているか?

性教育の政治利用(?)にNO

 2000年代初頭、教育現場での過激な性教育が社会問題になり、国会で取り上げられたこともあった。どんな教育かといえば、黒板に貼りだされた男女の性器の図解を教師が指差し部位の名称を生徒に呼ばせたり、やはり性器の呼称を入れ込んだ奇怪な歌や体操をやらせたり、性器を象った立体物を使ったり、と長年アダルト雑誌で飯を食ってきた筆者もドン引きするほどの内容なのである。こういった「性器」教育が多くの公立小中学校で行われており、東京ではなぜか下町の学校が熱心だという。
筆者は、この異様なブームを「第二次性教育ブーム」と名付けた。1960年代末から70年代初頭にもちょっとした性教育ブームがあり、こちらを「第一次性教育ブーム」と呼びたいからだ。本稿で語るのは、「第一次ブーム」の方である。
第一次ブームが雑誌やラジオといった媒体を通して、識者がローティーン読者(あるいはリスナー)の「親や先生には聞けないアノこと」の素朴な疑問に答えるといったスタイルを主としていた。いうならば、「課外授業」的あつかいだったのである。主体はあくまで子供たちだった。
一方、第二次ブームが舞台とするのは、公の教育機関である。30年の時を経て、正規の授業で堂々と性が語られるようになったのだが、それはよしとして、背後に男女共同参画の美名を隠れ蓑としたジェンダー・フリー思想が見え隠れするのが気になる。どんなものでも政治運動やイデオロギーに染まったものは胡散臭くなる。
今思えば、たわいのない内容だったが、ページをめくる僕らをただただドキドキさせてくれた第一次ブームがひたすらなつかしくもあるのだ。

カバゴン阿部進

第一次性教育ブームを語るとき外すことができないのは、それにやや先んじて起きたハレンチ漫画ブームだ。いうまでもなく、その嚆矢となったのが、「少年ジャンプ」連載の永井豪『ハレンチ学園』(68)である。今では漫画の中で当たり前のように描かれるボインタッチやスカートめくり、全裸の磔シーンなども最初に登場したのは『ハレンチ学園』だった。その人気はすさまじく、後発で「マガジン」「ジャンプ」に大御所作家を押さえらえて苦戦続きだった「ジャンプ」を二誌と並ぶ存在に押し上げた功績は大きい。
作者の永井豪は後年、たまたま本屋で中学生がこそこそとエロ本を立ち読みしているのを見て、性というものを日陰から引っ張り出しカラっと笑えるものにしたいと思ったのが『ハレンチ学園』執筆の動機だと語っている。
しかし、当然ながらPTA(これも今では死語だな)や教育関係者からは目の敵にされたりもした。一方、擁護の声もあり、元小学校教諭で教育評論家という肩書で雑誌やテレビで活躍していたカバゴンこと阿部進は、その筆頭だった。
 この阿部進こそ、第一次性教育ブームの立役者の一人でもあったのだ。
ちなみに、愛称のカバゴンは、阿部が『日清ちびっこのど自慢』の審査員を務めていたとき公募で決まったものだが、実はもっとも投票の多かったのがブタゴンだった。ブタは日清食品のライバル会社であるエースコックのイメージが強いということから次点のカバゴンに落ち着いたという。阿部自身もこの愛称を気に入っており、子供向けの自著には必ず「カバゴンの~」と冠した。これが高じて、特撮ドラマ『スペクトルマン』に、その名もカバゴンという怪獣にされてしまう阿部先生という教師役でゲスト出演までしている。なお、出演エピソード(第43話「怪獣カバゴンの出現!!」)は、米のSF映画『光る眼』(57)を下敷きにしており、阿部を怪獣に改造する秀才生徒グループのリーダー役は『超人バロム1』の白鳥健役で知られる名子役・高野浩幸。高野は白鳥健のような優等生的な役よりもこういった魔性を秘めた少年(『ウルトラセブン』のペロリンガ星人人間体とか)が似合うと思うのは僕だけか。おっと、これは余談。

怪獣カバゴン。高山良策造形です。
アニメ『チャージマン研!』には、蝋人形のカバゴン先生が登場する。阿部進の認知度の高さが伺える。

アポロの塔そそり立つ

「少年ジャンプ」が『ハレンチ学園』旋風を巻き起こしているのとほぼ時を同じくして「少年キング」誌上では阿部進・監修構成の『カバゴンの現代っ子性教育』が密かなブームを起こしていた。この手の図解記事としては大判振る舞いともいえる16ページ、しかも全編、思春期の心と体にまつわるものといった内容は当時としてはかなり冒険的だったはずだ。「キング」は「ジャンプ」ほどではないにしろ後発組で、発行部数も「マガジン」「サンデー」に大きく水をあけられていた。逆にいえば、こういった思い切った企画が通ったのも、マイナー誌(というのも失礼だが)の強みだろう。それは『ハレンチ学園』連載の「ジャンプ」にもいえた。

ちなみに「現代っ子」という呼称もカバゴン発なのだ。


「カバゴンは、学校の先生や、おとうさん、おかあさんみたいにコチコチになって、性の話をつまらなくしないこともおしえてくれるだろう」「カバゴンは性の話は、国語や算数のような学校の勉強と同じように、またそれ以上に大切に考えている」(『カバゴンの現代っ子性教育』第1回)
 阿部の文章はこのように「カバゴン」を一人称にしているのが特徴で、このエラぶらない感じがちびっこ読者には受け入れやすかったのかもしれない。カバゴン阿部のもうひとつの特徴は、独特の造語感覚にある。とにかく、性について子供たちと話すとき、苦慮するのは性器をどう呼ぶかだ。陰茎や膣ではとっつきにくい。さりとて、いくらなじみがあるといっても××××(漢字では汚門戸と書くらしい)とはいえまい。
阿部はそこをオリジナルのカバゴン語でクリアー。ペニスのことを「アポロの塔」、女性器のほうを「アポロの泉」あるいは「アポロの壺」と名付けたのだ。
 読者の質問コーナーも「ぼくは、ときどきアポロの塔が大きくなるけど、大人のひとも同じですか。(東京・小四・木村篤くん)」という感じで、「アポロの塔」はコミュニティ・ワードとして認知されていたようだった(もっとも、この手の読者の手紙はヤラセも多いが)。
 当時、アメリカの宇宙船アポロ11号の人類最初の月面着陸が、世界中の話題となっていた。日本でも、アポロロケットのプラモデルは飛ぶように売れ、アポロと聞くと血わき肉おどらぬ男の子はまずいなかった。「アポロの塔」は、ペニス=ロケットという連想からの命名か。また、「アポロの塔」という響き自体、やはり当時子供たちの関心事だった大阪万博のシンボルである「太陽の塔」を思わせる。アポロは太陽神である。そういえば、万博の一番の目玉は、アメリカ館の月の石で、これはアポロが地球に持ち帰ったものだった。
 さらにカバゴン語を紹介しよう。睾丸=「アポロの玉」、精子=「アポロの種」、卵子=「アポロの子」はまあわかるとして、精巣=「アポロの倉庫」、卵巣=「アポロの宝庫」、尿道=「アポロの水道」はちょっと無理があるような気がする。

 結局、「アポロの塔」という呼称はカバゴン一代きりのもので定着はしなかったようだ。こういうのは一種の隠語だから、シュンも短いということだろうか。性教育とは直接関係ないが、同じころ愛川欽也がラジオの深夜番組で、「ポールとテトラ」という語をひんぱんに使い、一部で流行らせたが、今では憶えている人もほとんどおるまい。案の定、ググってみてもヒットがなかった。ポール(棒)=ペニスはすんなり理解できるが、テトラって? 調べてみると、tetraはギリシャ語で「4つの文字」を意味するらしい。つまりオ×××。へえ、なかなか学があるなあ、キンキン。

われめちゃんの歌

「アポロの塔」や「ポールとテトラ」より多少は寿命が長かったのが「われめちゃん」(女性器)である。特殊漫画家の根本敬が80年代に入って韓国に旅行したとき、釜山で知り合った日本びいきの現地老人から唐突に「日本では今、われめちゃんていうんだってね」といわれたたという(日本ではすでに死語だったが)。
 この「われめちゃん」の名づけ親が北沢杏子。彼女もまた第一次性教育ブームの立役者のひとりである。脚本家、放送作家としてのキャリアは長く、われわれになじみの深いところでは、『ウルトラQ』の第22話「変身」、第25話『悪魔ッ子』を担当している。シナリオライターと並行して60年代から性教育関係の本を数多く執筆。1969年には、性教育専門出版社・アーニ出版を立ち上げ(北沢は共同代表)、90歳を超える現在も現役で活躍する性教育界のビッグママだ。

やなせたかし絵の性教育本。
マダムわれめちゃん・北沢杏子女史。

「われめちゃん」の初登場は、72年に出版した幼児向け性教育絵本『なぜなのママ?』である。この本の絵を担当しているのが、のちに『アンパンマン』で大ブレイクするやなせたかしというのだからちょっとすごい。さらにフォノシートが2枚ついていて、今でいうDVDマガジンのような体裁となっている。1枚は絵本の内容を朗読した音声版で、もう1枚は歌が2曲入っている(ともに、北沢杏子作詞・小林亜星作曲)。
A面の「おとこのこ おんなのこ」(むろん郷ひろみとは無関係)。歌うは現在、作曲家として活躍している和泉常寛。
♪オチンチン オチンチン みんな みんな 男の子にはついているよ 女の子にはどうしてないの オチンチンはないけど われめちゃんがついているわ
 という、まさに、われめちゃん伝道のためのわれめちゃん愛あふれるわれれちゃんソングだ。

われめさん

 B面はなんと『硝子のジョニー』のアイ・ジョージが、父親心を渋く歌う『わたしは忘れない おまえの生まれた朝を』。
♪はらんでいるママは ステキだったよ 
という直球な歌詞にドタマやられた。ママをはらませたのは俺だぜ、とニヤリとゆるむ男の浅黒い顔が目に浮かぶ。

北沢女史とアイジョージ。

 北沢によれば、本を書くにあたって、男の子の性器はそのまま「おちんちん」でいいが、女の子のそれはどう呼んだらいいか苦慮のはてに、ある日、天啓のごとく「われめちゃん」という言葉が思いついたという。まさに「われめちゃん」は神からのいただきものだったのだ。
1973年には、性教育の本場・北欧を視察旅行したレポート、『白夜のエロスたち われめちゃん北欧をゆく』 を上梓している。

長髪にフォークギター、いかにも70年代。

手塚治虫もブームのキーパーソン

第一次性教育ブーム、本稿最後のキーパーソンはなんと、漫画の神様・手塚治虫である。
『ハレンチ学園』が先鞭をつけたハレンチ漫画ブームは、日大健児『ドッキリ仮面』(71)、吾妻ひでお『ふたりと5人』(72)といった数多くのフォロワー作品を生み、少年漫画にパンチラやハダカは不可欠なものになっていた。漫画界のトレンドに敏感で、かつ売れっ子後輩へのジェラシーを隠さぬことで有名な手塚センセもこの潮流を無視できず、『やけっぱちのマリア』(70)で参戦。掲載誌はやはり新興誌の「少年チャンピオン」である。
しかし、そこは天下の手塚治虫、露骨なハレンチ路線への迎合は避け、医学博士としての肩書を活かして男女の体の不思議や性へのめざめをテーマにしたジェントルな作品に仕上げ、粗製されたハレンチ漫画家たちとの格の違いを見せつけた。
手塚の性教育漫画路線の第1作といわれているが、今の目で読み返せば、早すぎたラブコメとしても楽しめる。タイトルロールの「マリア」は、主人公やけっぱちの分身が憑依した、意志をもつダッチワイフである。男言葉を使う短髪の美少女ということでは、『三つ目が通る』の和登サンのプロトタイプともいえるかもしれない。

異色性教育コメディーと銘打った『やけっぱちのマリア』。

 手塚が『やけっぱち』と同時期に「少年キング」(!)に連載を開始した『アポロの歌』では、性愛というテーマがよりストレートに描かれていた。またしても「アポロ」なのだが、こちらはギリシャ神話のアポロとダフネの物語が下敷きになっている。
愛を知らずに育った少年がさまざまな愛の試練を経て、人間らしさに目覚めていくというのが大まかなストーリーで、性交自体は暗示的な表現だったが、当時の少年漫画としてはかなりきわどいシーンが満載だった。手塚は色気のある女体を描くのが苦手という評があり、本人もそれをコンプレックスにしていたようだが、本作を見る限り、まったくそんなことはないといいたい。特に、お尻から脚へ流れる女体の曲線は実にエロティックであると思う。事実、本作を読んで小学校4年生だった筆者はアポロの塔が大きくなった記憶がある。
『アポロの歌』はいろいろな意味で、野心作、話題作といえたが、手塚本人が後年語るところによると、内容全体が暗く不本意な部分が目立つとのことだった。

『アポロの歌』。小6の但馬は、遠足にこの本をもっていったら先生に没収された。

 同作は手塚プロのアニメ第一作としてテレビ化の企画もあったが、実現を見ず、その代わりに制作されたのが、性教育アニメの傑作と誉れ高い『ふしぎなメルモ』(71)である。なお、『アポロ』のヒロインのひとり渡ひろみは、『メルモ』にメルモのママと大人メルモ役でスピンオフ出演している。


HOW TO SEXの奈良林祥センセも性教育ブームに便乗。オナニーの語源は旧約聖書のオナンからとか。フムフム。

・・・・・・

(初出)「昭和39年の俺たち」

よろしければご支援お願いいたします!今後の創作活動の励みになります。どうかよろしくお願い申し上げます。