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月光仮面は誰でしょう~悪がある限り、白覆面のおじさんは復活する

実態は月光覆面

「憎むな、殺すな、赦しましょう」をキャッチフレーズに、黎明期のTVにさっそうと登場したのが『月光仮面』。放送開始は1958年(昭和33年)2月である。
 原作はいうまでもなく“生涯助っ人”川内康範。ターバンにマント、白タイツといった東洋的なスタイリングは康範ヒーローの定型であり、のちの『アラーの使者』『愛の戦士レインボーマン』に受け継がれる。
 テレビヒーローの元祖といわれる月光仮面だが、その本体は宇宙人でもサイボーグでもなく生身の人間(私立探偵・祝十郎が正体なのは視聴者には明らかなのだが、作中では「謎」とされている)で、いでたちも仮面というよりは覆面、変身というよりは変装。現在のヒーロー慣れした目からすればいささか頼りなくも見えるが、逆に「ターバンとサングラス、マントさえあれば誰でも月光仮面になれる」という身近さ、現実世界に一歩踏みとどまったリアルさが、後述するように、時代を超えて愛され続ける秘密なのかもしれない。

白と黒は、正義と悪の定番カラー。

 平成ウルトラマン、平成仮面ライダー以降、イケメン俳優がヒーロー人間体を演じることが定番となった感があるが、「月光仮面のおじさんは」と主題歌(川内康範作詞)に歌われているように、月光仮面は決してアイドルではなく、「おじさん」なのである。主演の大瀬康一も時代劇出身のダンディなおじさんだった。まだまだおじさんが頼もしく見える時代だったのだ。

脳殺の白タイツ

昨今のイケメン・ライダーにしても、ターゲットは主な視聴者である子供でなく、その横で番組を観ているお母さま方だといわれているが、その伝でいえば、月光仮面もそこらのジャリタレイケメンに負けないマダムキラー的武器をもっていた。それが、ボディコンシャツな白タイツである。もともと覆面にタイツの衣装は、低予算、早撮りという悪条件の中から生み出された苦肉のアイディアで、代役が利くということから役者待ちの時間的ロスを軽減するために採用されたという(実際、助監督が月光仮面を演じた回もあった)。スケジュールが合う限り大瀬が月光にも扮していたが、時代劇が多かった大瀬はタイツの下につけるサポーターを忘れることもたびたびで、当時の走査線の荒いブラウン管からも股間の“もっこし”がはっきり分かったという。アクションシーンなど、そのもっこしが悩まし気に左右に揺れるのである。実際、月光仮面の白タイツを目当てに番組を観ていたという御婦人もいたそうで、なるほど、宇津井健の『スーパージャイアンツ』にしても梅宮辰夫の『遊星王子』にしてもこの時代のヒーローはみな白タイツもっこしだった。本格的なもっこしヒーローの復活は1972年(昭和47年)の『超人バロム1』まで待たなくてはならない。あちらは緑のもっこしである。

放送50周年を記念して出版されたDVDブック。もっこしを文字で隠すなんて、ふてえデザインだ。それとも何か意図が?

『月光仮面』は放送と同時進行で、桑田次郎作画によるマンガ版が雑誌連載されており、。これは今でいうコミカライズ、メディアミックスの先駆けともいえた。また、放送枠だったTBS日曜7時/武田製薬一社提供の、いわゆる武田アワーは、後年の第一次ウルトラ・シリーズ(円谷プロ)に受け継がれるなど、『月光仮面』はさまざまな面で日本のヒーロー番組のモデル・ケースとなった。

シャープな描線の桑田「月光仮面」。

 テレビでの爆発的人気を受け、1958年には東映による映画版『月光仮面』が製作されている。当時流行りの週替わりの番組映画として全6部が公開された。こちらで祝十郎を大瀬に代わって大村文武。この劇場版では、大村の発案により、タイツの下に特製のファールカップを装着し、股間もっこしがさらに強調された。ここいらへんは大瀬に対するライバル心(?)の表れだろうか。
大村は主にテレビ時代劇や刑事ドラマの悪役として活躍したあと、80年代を待たず俳優業を引退、群馬県でスナックを経営していたが、彼のファンである村西とおるのたっての希望で、ダイアモンド映像でAVを監督したこともあったという。

映画版『月光仮面』。オートバイもスーパーカブから陸王にバージョンアップ。

ロック版『月光仮面』

 先にいったとおり、月光仮面は時代を超えたヒーローなのである。その証拠に、彼は大衆が忘れたころに復活を繰り返し人々の心にその名を再刻印していくのだった。
 最初の復活は、1971年(昭和46年)。映画でもドラマでもなく、なんとザ・モップスの歌うロック版『月光仮面』(正式タイトルは『月光仮面は誰でしょう』)だった。モップスは鈴木ヒロミツと星勝が在籍していたバンドで、なぜか後期GSに分類されることも多いが、アイドル志向の強いGS諸派とは一線を画し、サイケデリック・サウンドやブルース・ロックを基本にした、ビートルズ以降に生まれた新しいロック・スタイル、当時の言葉でいうニューロックを志向する本格的なバンドだった。
彼らの歌う『月光仮面』は、川内康範作詞の歌詞こそそのままだが、ブルース調のギターリフを先導に、徹底的にラフな歌唱と素っ頓狂なシャウト、途中、「月光仮面のおじさんの宇宙語」を交えたおふざけ的MCが入るという構成で、リスナーからはコミックソングと受け止められたようだが、月光仮面という名前のなつかしさもあって、まずまずのヒットを記録している。もともと、彼らにレコーディングの意思はなく、ロカビリーやGSしか知らない観客相手にBluesの概念(一般に、“ブルース”と聞いて、ムード演歌の「〇〇ブルース」の類を連想する人がまだ多かった)を説明するためのライブ向けお遊びレパートリーだったが、これがプロデューサーの目(耳?)に留まったのだという。


ブルース、サイケ、時代を先取りした本格的ロックハンドだった。

 それにしても、『おふくろさん』の改変問題で森進一に絶縁状まで叩きつけた康範大先生がよく、このモップス版のリリースを許諾したものだと思う。もっとも、永井豪があのハレンチ・パロディマンガ『けっこう仮面』のタイトル使用許可を求めて面会したところ、あっさり快諾してくれたそうで、仁義さえ通せば、あまり細かいことは言わない人だったのかもしれない。

正義を愛する者

71年といえば、第二次怪獣ブームが始まった年でもある。その余波か、月光仮面のソフビ人形がマスダヤ(増田屋)から発売されている。マスダヤはブームの牽引役である『スペクトルマン』関係のソフビ人形を販売しており、ファンだった僕もスペクトルマンや怪獣を何体かもっていたが、そのラインナップにクラシック・ヒーロー月光仮面が加わるのはいささか唐突な感もしないでもなかった。怪獣ソフビでは、円谷、東宝を抑えた老舗ブルマアクに遅れを取っていたマスダヤだけに、とりあえずは版権の取れそうなキャラを、ということだったのかもしれない。マスダヤの怪獣ソフビはブルマアクのそれよりも30円高い380円だった。

唐突に発売されたソフビ月光仮面。

 翌1972年(昭和47年)。第二次怪獣ブームは変身ブームに統括され、ウルトラを中心とした巨大特撮ヒーローに替わって『仮面ライダー』に代表される等身大アクション・ヒーローに主流が移りつつあった。その流れの中、月光仮面はアニメ作品としてブラウン管に甦るのである。『正義を愛する者 月光仮面』がそれだ。
 主人公・祝十郎や敵方のサタンの爪など主要な設定はオリジナルを踏襲しているが、月光仮面のデザインはアニメ向けにリファインされた。最大の特徴は、月光仮面のシンボルでもあるターバンからヘルメットへの変更だろう。これに関しては、キャラクターデザインを担当した岡迫亘弘氏に伺ったところ、「道路交通法などの改正などがあって、アニメとはいえノーヘルはまずかろうという単純な判断だよ。川内先生もまかせると言ってくれた」とのこと。ちなみに、『レインボーマン』の7つの化身のキャラクターデザインも岡迫氏である。

アニメ版では仮面ライダー・ファンにアピールするようにマシンもデザインされた。ひと呼んでムーンライト号。

 また、アクションシーンでは突如背景が突如サイケ調のマーブル模様になる独特の演出で知られるが、これに関しても原作者からクレームがつくことはなかったという。テーマソングも歌詞はオリジナルを踏襲、アップテンポでポップな曲調のものにリニューアルされた。

アニメ版月光仮面もソフビ化されている。こちらの発売元はバンダイ。当時流行ったマスクが取れるタイプ。

 さて、これは復活といっていいのかよくわからないが、1973年(昭和48年)、筑摩書房から発刊された雑誌『終末から』第2号に『月光仮面社会主義共和国建国秘録』という、革命妄想小説が掲載されている。社会主義をタイトルにしているが、内容は無政府主義に近く、作中、月光仮面は一切登場しない。作者の黒井考人は正体不明の人物で、作家・矢作俊彦の変名ではないかといわれたこともある。

さすがにこれは康範先生公認せはないだろう。

スクリーンにカムバック。手数料10%の正義の味方

 アニメ版放映から10年後の1981年(昭和56年)、作風も一新された『月光仮面』(プルミエ・インターナショナル=ヘラルド・エンタープライズ製作)がさっそうとスクリーンに登場している。
ニュー月光仮面のコスチュームは、アニメ版のイメージを引き継ぎ、ヘルメットタイプとなった。とはいえ、ヘルメット姿で八頭身のフォルムを維持できるのは、やはりアニメならではの話で、実写版月光仮面は頭でっかちな印象を免れず、もうひとつのセールスポイントである白フレームのサングラスもゴーグルに変更されてしまい、見た目の印象を大きく変えてしまった。しかし、アクションシーンはバイクスタント(ムーンライト号が25メートルのトレーラーを飛び越える)を含め、スピーディで迫力満点、この部分だけを見ると『仮面ライダー』を超えていた。月光仮面のアクションを演じたのが、荻原紀と二家本辰巳。荻原は『トリプルファイター』のグリーンファイターや『ぼくら野球探偵団』の赤マント役の俳優兼殺陣師で、二家本はいうまでもなく、ウルトラマンレオのスーツアクターである。

ムーンライト号のトレーラー飛び越えジャンプなど、アクション映画としても完成度が高かった。

 敵組織として、テロによる世界転覆を狙うカルト教団を登場させるなど、のちのオウム真理教事件を思わせるかのような設定は、今見ると大変興味深い。悪漢に奪われた現金5億円を奪還した際、手数料として10パーセントを中抜きするあたり、無償をモットーとした歴代月光仮面の中では異色の存在か(むろん、その金は正義のために使われるが)。
 オープニングにオリジナル主題歌のリミックスバージョンが流れるほか、新たに康範作詞の挿入歌『愛の助っ人』(むしろこちらがテーマソングか)が使用された。「彼は君かもしれない・君は彼かもしれない」という、ある種実存主義的な歌詞内容は「誰でしょう」より一歩進んで、正義の心さえあれば、誰でも月光仮面になれるのだよ、ということをわれわれに示唆しているかのようだった。
 なお、同年、映画公開のタイアップで、初代のスポンサーでもあった武田食品の果汁飲料プラッシーのCMに月光仮面が登場している。こちらはオリジナルのイメージに近いターバンスタイルだった。

月光仮面、隠密剣士、そしてウルトラに続く武田アワー。同社なくして日本のヒーローの歴史はなかった。

 1986年(昭和61年)4月に放送開始した『いきなり!フライデー』という深夜バラエティ番組に、マグマ大使、快傑ライオン丸といったピープロ・キャラとともに月光仮面がレギュラーで出演していたのを憶えているだろうか。別にアクションがあるわけでなく、それら着ぐるみキャラが山田邦子や渡辺徹とコタツに入りながらダベったりするだけなのだが、この番組へのキャラクター貸し出しのいきさつについて一度、ライオン丸の生みの親である鷺巣富雄(うしおそうじ)ピープロ社長に聞いてみたところ、ご本人は「(番組自体)まったく記憶にない」とのことだった。

『いきなり!フライデー』。渡辺徹から「ロケットになってください」と突然突っ込まれたときのマグマのリアクションが面白かった。

月光仮面ファンシー化

平成の世に帰って来た月光仮面は、なんとギャグアニメだった。その名も『ごぞんじ!月光仮面くん』。1999年(平成11年)10月スタートで全25話が放映されている。
主人公の月光仮面くんは、初代月光仮面の老人から指名され二代目を襲名した小学生ナオトが正体。こちらは原点回帰のターバンスタイルで、田村しゅうへいによって4頭身のギャグ・キャラクターにディフォルメ再デザインされている。いわゆる横丁喜劇と藤子不二雄『パーマン』の流れを汲むズッコケヒーローものの要素を兼ね備えたスラップスティックで、初代の宿敵であるサタンの爪の孫や宇宙人相手に毎度ドタバタを展開する。月光仮面くんの声を宮村優子が担当したことでも話題になった(第15話から大谷育江にバトンタッチ)。

『ごぞんじ!月光仮面くん』。憶えている人はどれだけいるだろうか。

リアル月光仮面の登場

 最後に、現実社会に現れた「月光仮面」について触れておこう。
 彼の存在をマスコミが最初に報じたのは、確か1984年(昭和59年)のグリコ森永事件、別名かい人21面相事件のときだったと記憶している。森永本社前に現れた、その中年男のいでたちは、白いターバン、サングラス、白タイツ、まさにみんなが知る月光仮面そのもの。「月光仮面」は卑劣な事件への抗議のプラカードを掲げ、ビラを撒くと「疾風のように去って」行った。といってもさっそうとオートバイを飛ばすのではなく、待たせてあったタクシーに乗り込んだのだったが。以後、凶悪事件や疑獄事件が起きるたび、「月光仮面」は現場や検察庁前に現れ同様のパフォーマンスを繰り返すことになる。

東京青山のオウム真理教総本部前に現れ札バラ撒きパフォーマンスを行う、リアル「月光仮面」。

 リアル「月光仮面」の正体は、奈良県在住の辻山清という男性で、民族派系政治団体(要は街宣右翼)を主宰、いくつかの会社の役員を務め、総会屋のようなこともやっていたらしい。また、選挙があるたび出馬する、いわゆる泡沫候補として地元では有名な人物だったという。月光仮面の衣装は夫人の手作りだそうで、まさに、正義の心あれば、誰でも「月光仮面のおじさん」になれるという証明だ。ウルトラマンや仮面ライダーだと、ちょっとそうはいかないだろう。
 グリコ森永事件に際しては、原作者・川内康範御大自らテレビカメラを通して、「かい人21面相」へ犯行を止めるよう呼びかけを行い、こちらの方も話題になった。くしくも生みの親と、その作品から飛び出た生身のヒーローが時を同じくして世間を騒がす謎の「かい人」に立ち向かったのである。もっとも御大ご本人は、辻山のキャラクター無断使用に不快感を示していたそうで、辻山が直接謝りにいくと、その「義挙」を認め、以後黙認となったという。やはり、康範先生は仁義の人だったということか。

白装束集団(パナウェーブ研究所)騒動に駆け付ける辻山「月光仮面」。あんたも白装束だろ、というツッコミはこの際ナシ。

 晴れて原作者公認となった、辻山「月光仮面」は1995年(平成7年)9月、サリン事件で沸くオウム真理教の東京総本部(青山)前に出現、「犯人を発見・通報された方に賞金400万円を進呈します」というプラカードを掲げ、現金100万円をばら撒く派手なパフォーマンスを展開。100万円は辻山が借金で用意したといい、回収した警察官には「実行犯逮捕につながる情報提供者に進呈してください」と告げ、立ち去っていったという。
 辻山「月光仮面」の活躍は2003年(平成15年)の謎の白装束集団(パナウェーブ研究所事件)のころまで確認されていたが、その後は消息を絶ち、2006年3月、親族によって死去が発表された。すでに夫人とは離婚し、独居生活だったようである。享年61。川内康範が88歳で亡くなるのはその2年後のことである。
 作者の死とともに月光仮面も月へと帰っていったのかと思っていたら、2021年(令和3年)12月20日付の佐賀新聞にこんな記事を見つけた。
「月光仮面、児童養護施設に贈り物」。《昭和期の覆面ヒーロー「月光仮面」の姿になった男性が20日、佐賀市呉服元町の児童養護施設「佐賀清光園」を訪れ、クリスマスプレゼントと寄付金を届けた。》
 この「月光仮面」は71歳(当時)の地元男性で、彼の善意の「月光仮面」活動は20年以来続いるのだという。コスチュームも本格的で、正直いって、辻山「月光仮面」よりも出来はよい。

佐賀県の月光仮面。長身だ。『月光仮面』を知らない世代にも、正義の心と愛は伝授される。

 また、2015年(平成27年)8月には、「月光仮面」名義で広島県庁にランドセル2個が届き、「困っている子供たちに役立ててください」と手紙が添えてあったという。
 昭和、平成、令和と、そこに、悪がある限り、不幸な人がいる限り、月光仮面は何度も復活する。明日の月光仮面、それは君かもしれない。

月光仮面もコロナにはかなわない。施設に入る前に検温を。
こちらは、2021年、昭和30年代を再現した大分県豊後高田氏「昭和の町」のイベントにゲスト参加した月光仮面(宣弘社公認)。隣にいるのは、地元ヒーローのSHOWA仮面っだそうだ。
2,019年、『月光仮面』放送60周年を記念し、劇団GEKIIKEが月光仮面の舞台化を発表。しかし、実際の舞台にはこのスタイルの月光仮面は登場せず(写真は制作発表でのもの)。八頭身の月光、ぜひ見たかった。

初出・『昭和39年の俺たち』2024年3月号

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