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目からビーム!102日本はルッキズムの国か?~上野千鶴子女史に問う

 フェミニズム論客の上野千鶴子氏があるインタビューで、女性に対して「ブス」という言葉はもちろん、その対極にある「美人」という言葉もルッキズム(外見至上主義)にあたるから使うべきではないと持論を述べた。その一方で、美男子を表す「イケメン」という言葉に関しては「女の場合は一元尺度でランクオーダーされるのに対して、男は多元尺度なんです。たとえばイケメンじゃなくたって、学歴とか地位とか、そういった尺度が男にはある」から、「イケメン」は使ってもかまわないとしている。
 これを読んだとき、はて韓国の話かなと思った。韓国では、入試用やリクルート用の美容整形手術が流行っているということを何年も前に聞いたからだ。実際、美人であるか否かが試験の結果に響くというから驚く。受験票の写真と「本人」の顔があまりにも違うということでちょっとしたトラブルになるということも珍しくないらしい。
 もし、日本が韓国のようなルッキズム文化の国だったら、要するに女性の価値基準が美醜にしかないとしたら、果たして上野先生は東大名誉教授になれたであろうか、鏡を見て熟考していただきたいものである、などというとフェミニズムの方々からお叱りを受けるか。
 この先生は他にも珍妙な持論が多い。「日本の女が戦争で日本の男に守ってもらわないほうが、敵のもっと“いい男”と出会えるかもしれない」というのはそのひとつだ。
 1944年、パリ解放直後、フランス全土で見られた光景がある。ドイツ兵の愛人だった女たちが引きずり出され髪の毛を刈られ、民衆の嘲笑と石つぶてを浴びる姿だ。「敵兵と寝た女」に対する市民の憎悪はかようにもすさまじいのだ。とりわけ彼女たちに激しい罵声を浴びせたのは、夫を、恋人をドイツ兵に殺された女性たちだったという。

髪を刈られるフランス娘。幼い少女までが嘲笑している。

 いつも思うのだが、どうも、フェミニズムに限らず左派の論客の言葉には「人間」というものが不在である。日ごろ、弱者の味方を標榜している識者ほど、市井の人のもつ血の通った感情というものには無頓着で、人間というものを、強者×弱者、男×女、マジョリティ×マイノリティという単純な二元論、二項対立に落とし込みたがる。つまりは古臭い階級闘争の論法だ。
 もう、とっくにそんなやり方は底が見えているのに。
 
初出・八重山日報

(追記)”おひとりさま”上野千鶴子先生が結婚していたということでネットは大炎上。お相手はあの色川大吉氏だという。僕は一瞬、色川武大サンかと思って、フェミボスと麻雀放浪記の夫婦ってのも解剖台の上のミシンとコウモリ傘のようなカップルやなあと妙な感激を覚えてしまった。早とちり。
 飯山陽さん発の「ビジネス左翼」という言葉もみごとツイッターのトレンド入れしたようだ。

上野千鶴子先生といえば、近年はこの超ショートカットがトレードマーク。別にパリの民衆に刈られたわけではありません。

 人様の色恋とヘソ下についてあれこれいうのも野暮ってもんだし、この件に関してこれ以上深入りする気はないが、相続と著作権の管理という事情での婚姻というなら、岡本太郎のように養子縁組という形でスジを通すという方法もあったろうにと、せめてものお節介をいわせてもらいましょう。

▼上野千鶴子先生ってどんな人と思う方は。若いころの先生のご尊顔もあります。
http://sociology8.seesaa.net/article/400596196.html

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