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(単行本未収録)「収奪」という言葉のマジック~日本が朝鮮でしたこと

世界で大ヒットした老人虐待映画とは?

 1973年(昭和48年)、体に障害を持つ年配の男性を屈強な青年が殴る蹴るの末になぶり殺しにする映画が世界中で大ヒットしました。公開当時、中学生だった私も劇場でこの映画を観て興奮し、主人公の青年にシビれ、スクリーンに向かって歓声を挙げた記憶があります。同世代の男子は例外なくみなそうでした。世代はぐっと下り、タレントの中川翔子さんもこの映画の大ファンで、ご自身のHPでもたびたび取り上げています。その屈強な青年を演じた俳優の名はブルース・リー。映画のタイトルは『燃えよドラゴン』(英題名・Enter the dragon)といいます。
 私の母方の祖母の実家は茨城県下館の山崎という土地の豪農でした。祖母の姉という人は生涯自分の家の土地から出たことがなかったといいますから、どれほど広大な土地を所有していたか、ウサギ小屋住まいの自分にはちょっと想像もつきません。想像つかないはずで、私の生まれたころには、その所有地のほとんどは、戦後のGHQによる農地改革によって失われたあとでした。これなど、ちょっと角度を変えれば、「GHQによって土地を収奪された」という言い方もできるのではないでしょうか。
「ものは言いよう」とはいいますが、このように、言いようによって受ける印象はずいぶんと変わるものなのです。フーテンの寅さんの、「ええい、もってけ泥棒!」という歯切れのいい啖呵バイも「もってけ窃盗!」では、買う気も起きません。意味はまったく同じなのですが。
「お前はハイエナのようなヤツだ」と言われてうれしい人はいないかと思います。ハイエナはライオンなど強者の食い残しを漁る卑しく浅ましい動物というイメージがあるからです。しかし、これも見方を変えれば、自分からは狩りせず、他者の余り物で食欲を満たすハイエナは平和的で環境に優しい動物ということもできます。平和運動家やエコロジー団体は、ハトやクジラだけではなく、ぜひハイエナをイメージキャラクターやマスコットに使ってみてはどうでしょうか。(但馬註・実際のハイエナは食べ物がなければ、狩りをするそうです)

片腕に障碍をもつ男性が青年に暴行を受けているシーン。

~された、はすべて本当か

 韓国人はよく「われわれは日帝に~された」という言い方をします。「土地を収奪された」、「文化を奪われた」、「名前を奪われた」、「強制連行された」などです。しかし、よくよく聞いてみると、「~された」には、かなり言葉のマジックが働いているようです。 
 日帝の土地の収奪と彼らがいうものの実態は、土地調査によって見つかった所有者不明の土地を国有地にしただけの話で、その面積は朝鮮の全国土の3.3パーセント程度だといわれています。この土地調査ではむしろ隠し田の発見で、耕作面積が48パーセントも増加しているのです。小作者には格安で国有地の払い下げも行われました。
 土地を奪うどころか、日本政府は、ロシア、イギリス、フランスなど列強に切り売りされていた朝鮮の土地や、金、石炭など鉱物の採掘権、森林伐採権、鉄道の施設権を日本政府は買い戻しているのです。なぜ、それらの切り売りが行われていたかといえば、傾城の愚女・閔妃とその一族の贅沢三昧、浪費のためでした。今世紀に入って、北朝鮮は金一族の延命のために、中国に20箇所の鉱山の採掘権、鉱山開発権を売り渡しています。現在も北朝鮮の地下には良質の鉄の他、10億トンのレアアースが眠っているそうです。やっていることは100年前の李朝末期のデタラメさと何ら変わりありません。というより、李朝の時代がどのようなものかを知りたければ、現在の北朝鮮を見ればいいと思います。あのペンペン草も生えない監獄国家を、「地上の楽園」とほめそやしたマスコミ人も沢山いました。同じように、李朝時代をきらびやかな王朝絵巻として描いたドラマが大量に日本にも入ってきていますが、史実とフィクションの違いくらいは認識した上で楽しみたいものです。

宇垣一成の農地改革

 9代、8人の朝鮮総督の中で、とりわけ農地改革と殖産に熱心だったのは、元陸軍大将でもあった宇垣一成第6代朝鮮総督でした。
 朝鮮総督秘書官、朝鮮専売局長、京畿道知事を歴任、宇垣総督の片腕としてこれを支え、戦後に初代東京都知事を務めた安井誠一郎によると、宇垣は「朝鮮の農民が非常に貧しく、地主に搾取されているので、朝鮮人の生活を安定させるには、どうしても地主の搾取から農民を救済しなければだめだという考え方」だったといい、農地制定法に粉骨し、結果小作人に土地を与え、また最新の合理的農法を全半島にわたって指導したといいます。地主には日本人も多く、そのため農地の解放には、強い抵抗があったにもかかわらず、これを説得、改革を断行しました。日本人地主がいたと書くと、やはり土地の収奪があったのではないか、といわれるかもしれませんが、その実態はこうです。せっかく格安で土地を手に入れた小作人の中にも再び土地を売ってしまう者も少なくなかったそうで、それほどまでに朝鮮の農民は生活苦にあえいでいたということです。あるいは、お百姓暮しよりも目先の小金の方が魅力的だったのかもしれません。そこにつけ込む形で、二束三文で土地を買い叩く日本人もいたのも確かでしょう。とはいえ、宇垣総督は、彼ら日本人地主の利益よりも朝鮮人農民の自立を大事にと考え、あえて大鉈を振るったのでした。

宇垣一成。第6代朝鮮総督。武断統治から文治統治への転換を成し遂げた第3,5代の斎藤實と並び歴代総督では名君の声も高い。陸相、外相をつとめ、首相を期待されながらもそれははたせなかった、宇垣美里アナは子孫にあたる。

 また、宇垣総督は地方巡視の際には事前に徹底的に研究し、現地では歴代の総督が入ったことのない田舎の郡や村にも進んで入り自分の足と目で実態を調査したといいます。安井氏が作った日程表を見て、「こことここの間は少し時間があまるな」とか「ここへ行ったら、これを見なければならぬ」と視察場所を付け足すので、スケジュールは常に分刻みだったそうです。面長(村長)や農家の声をじかに聞き、指導の参考にしたといいます。
 
むしろ朝鮮文化を保護した安井誠一郎

朝鮮の発展を願う気持ちは秘書官の安井も負けてはいません。
《朝鮮専売局では「ピジョン」というたばこを造ったりしていたが、私はこれらのたばこの箱に、朝鮮の文化、歴史、民族の風習などを記したカードを入れて売ることを思いついた。これによって、教育度の低い朝鮮人の社会教育にもなるし売上げも増加するだろうと考えたわけである。ところが、これを知った総督に『たばこのように健康に害のあるものを、そんなに宣伝して売る必要もなかろうに』と皮肉をいわれて弱った。こんなことも、いまは懐かしい思い出のひとつである。》(安井誠一郎『私の履歴書5』収録・日本経済新聞社)

安井誠一郎。初代~3代東京都知事。晩年は東京モノレールの開業にむけて尽力した。
アールヌーヴォーふうのデザインも素敵なピジョンのパッケージ。

 安井、宇垣両氏の微笑ましいやりとりが目に浮かびます。煙草の箱にカードを入れるという発想は、当時アメリカで流行っていた野球カードがヒントになっていたのでしょう。喫煙が健康によくないという認識がこの当時からあったというのも驚きですが、それはさておき、この証言からみても、日帝が朝鮮の文化を奪ったという話が嘘であるということはおわかりになられるかと思います。
 当時の朝鮮には字を読み書きできないような人もまだ多くいましたし、常民以下の下層労働者はそれこそ日々の糧を得るだけで精一杯で、伝統文化など顧みる余裕もありませんでした。朝鮮総督府はその朝鮮に教育を施し文化を保護したのです。安井は「総督としての宇垣さんの功績は、なんといっても、農地解放と産業資源の開発、それから教育の普及である」と記しています。

朝鮮語でレコードを出した日本人歌手もいた

「名前を奪った」というのが嘘であることも、この本でも何度か指摘したとおりです。「創氏改名」のうち、「創氏」は、日本の戸籍法に則って、○○家という家族の名前を定めよ、というもので確かにこれは強制ですが、創氏の際、日本式の名前にしてもいいよというのが「改名」でこちらは任意でした。「改名」には手数料がかかったにも関わらず、朝鮮全半島で75パーセントの人が日本風の名前に改名しています。年配の韓国人にはポピュラーな、順子(スンジャ)、君子(クンジャ)といった日本風の女性名は、当時の名残です。
『ダイナ』で知られる歌手のディック・ミネ(三根徳一)が戦前、三又悦(サム・ウヨル삼우열)という朝鮮人名で数枚の朝鮮語によるジャズ・ナンバーのレコードを出しヒットさせているという事実を覚えている日本人はあまりいません。彼自身は生粋の日本人で朝鮮語は少し話せた程度でした。朝鮮語の歌詞はローマ字で、イントネーションなどは譜面に直して覚えたそうです。朝鮮人の名前を奪うどころか、日本人が朝鮮名を名乗ったわけです。芸能ではありませんが、朝鮮名のまま旧日本陸軍の中将を務めた洪思翊(ホン・サイク)の存在も韓国でも無視できません。

▲三又悦(ディック・ミネ)が歌う朝鮮語の『ダイナ』。

 こうした事実の判明に、韓国側も苦慮したらしく、最近では「創始改名後も本名を名乗っていた者は真の親日派であったから」という珍説が登場しています。つまり、日本政府なり軍部に進んで協力したご褒美として本名(朝鮮名)を名乗ることを許してもらったというわけです。となれば、戦時中、率先して日本名を名乗った朝鮮人は良民であり、あくまで朝鮮名で通した誇り高き朝鮮人は売国奴という、かなり倒錯した解釈が生じてしまいます。
韓国は盧武鉉政権下、日本統治下の日本協力者の子孫から財産を没収するという天下の悪法・親日反民族行為者財産没収法を制定し、魔女狩りにも等しい親日派の洗い出しに乗り出していますが、ならば、戦前の関係資料を片っ端から調べ、創氏改名令以後も朝鮮名を名乗っていた者の子孫から財産没収すれば手っ取り早いのではないでしょうか。
 信仰としての歴史がまずあり、そこから逆算する形で個々の事実をつじつま合わせして組み込もうとすることから、このような無理が起こるのです。

白衣文化を奪った? 服飾革命

 それにつけて、面白いのは、「植民支配時代の白衣民族抹殺政策示す1930年代の写真を発見」と題した中央日報(2005年8月9日付け)の記事です。
《日本による植民支配時代(1910~1945)、韓民族に白い服を着せないためのキャンペーンが繰り広げられていたことを示す写真が公開された。色付きの服を着るよう強いて「白衣民族」の精気を抹殺しようとする政策が、写真を通じて確認されたのは初めて。
 写真研究家・鄭成吉(チョン・ソンギル、65)氏は、9日「釜山東莱(プサン・トンレ)地域で1932年ごろ行われた『白い服を脱いで、色付きの服を着よう』というスローガンのキャンペーンの写真を発見した」と伝えた。写真は、日本人や親日派、動員された学生とみられる数十人が、「白衣退散」、「色服奨励」(白い服を脱ぎ、色付きの服を着るよう勧めよう、との意)とのスローガンが記されたものを掲げて、記念撮影したもの。また、後ろには「色服奨励」と記した旗が見える。 約20年間、朝鮮(1392~1910)末期の写真を収集し「写真で見た韓国100年史」を出版した鄭氏は「様々な情況・証言から考えて、この写真は、白衣民族の象徴である白い服の代わりに、色付きの服を着せるため行った大々的なキャンペーンの風景」だと説明した。(後略)》
 と、おどろおどろしげな記述が続きますが、件の写真、どう解釈しても「もっと自由に、カラフルなファッションを楽しみましょう」という服飾キャンペーンの写真に他なりません。
 というのも、朝鮮にはそれまで国産の染料も染色技術もなく、高価な支那製の色布を購入できる一部の上流階級をのぞいて、一般の庶民はみな白い服を着ていたのです。正確にいえば、白い服しかなかったのです。そこへ併合によって、日本の品質のよい染料が手ごろな価格で入ってくるようになり、庶民も気軽におしゃれを楽しめる時代がきた、というただそれだけのことです。

カラフルなファッションを楽しもうというスローガンのどこが、「民族の精気を抹殺する」ものなのだろうか。

 60年代のサイケデリック・ブームのころ、ピーコック革命というファッション・ムーブメントがありました。ピーコック(孔雀)は雄の方が美しいという理由から、それまで女性のものと思われたフリルのついた大きな衿や袖のカラフルなブラウスやパンタロン、刺繍入りのロング丈のベストなどを、男性ファッションにも取り入れようという運動ですが、「色服奨励」もそれと大きな意識の違いはありません。確かに白服しか見たことのない朝鮮の庶民が色つきの服を身につけるということは、男性がレディース風のブラウスを着るぐらいに最初は勇気のいったことだったかもしれません。とりわけ、李朝時代、支那王朝への柵封の歴史が長かっただけに、黄や紫といった貴人の色を身につけることに畏れのようなものが働いたのも理解できます。逆にいえば、「白衣退散」、「色服奨励」はそういった、柵封制度、封建的身分制度、搾取的階級制度からの解放、自由を謳う、意識革命の奨めであったという見方もできるのです。

ジミ・ヘンドリックスはピーコック・ファッションの先駆者だった。ピーコック革命は日本のGSにも影響を与えた。

「色服奨励」が「白衣民族の精気を抹殺しようとする政策」ならば、韓国時代劇ドラマの登場人物が着ているあのカラフルな宮廷衣装はどう説明つけるのでしょうか。フィクションのドラマに目くじらを立てても始まりませんが、あれを見る限り、朝鮮民族が白衣民族であることを誇っていたとは到底思えないのです。現在でも、韓流イベントといえば、あの目がチカチカするような派手な色使いのチマチョゴリを着たコンパニオンの姿がまず目に浮かびますが、あれも日帝とやらのご趣味だったのか、つい聞きそびれてしまいました。

韓国時代劇に登場するカラフルなチマチョゴリ。あれ、白衣文化はどこへいっちゃたの?
併合時代の朝鮮映画『半島の春』では、内地帰りの洋装の女性ダンサーの対比として、主人公は伝統的保守的な朝鮮女性として描かれている。その彼女でさえ、柄物の派手なチョゴリを着ている。なお、本作は日本語字幕入りで内地でも公開された。朝鮮語を奪ったなんて嘘だという証拠ではないか。

日本叩きの非科学性

 日本併合時代のキャンペーンだから悪いことに決まっている、日本人の提唱することだから民族文化への弾圧に違いない、日本のやり方に賛同した朝鮮人は親日派だ……すべては日本=悪という信仰から導き出され、あとづけされた日本叩きのための迷信に過ぎません。
 こういった非科学的迷信的な日本叩きは、金泳三第14代大統領の政権時代から顕著になってきました。併合時代に総督府が土中に打ち込んだ測量用の鉄杭を「風水を断ち切り、わが民族的精気を抹殺するためのもの」として、杭の除去作業に奔走したのも彼が最初です。なぜ、風水を断ち切ったかという理由は「わが国(韓国)から偉大な人物が現れないようにという日帝の陰謀」なのだそうですが、偉大な人物が現れて困るなら、総督府もわざわざ学校まで建ててまで朝鮮人子弟の教育を進める必要もなかったでしょう。しかも、これらの費用は、内地からの持ち出し、つまり当時の日本国民の税金でした。
 迷信の信仰者には枯れ柳も幽霊に見えるものかもしれません。
 そして、言葉というものは時に、それこそ幽霊のように変幻自在だということです。
 

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