空の道 ~パイロットのおぼろげなる懐古~

 老境に差し掛かり、先年私は航空自衛官としての勤務を果たし終えた。若きころは航空機操縦者として空に青春を捧げ、歳をくってからは地上から運用に携わってきた。空は私にとって思い出の深い故郷のようであり、同時に何人もの友を食らった恐ろしい魔物のようものにも思える。だがそのどちらのイメージにおいても、空は間違いなく雄大で美しいものだ。

 今になってそんな空と繋がった人生を振り返ってみると、人の力では如何ともしがたい、運命とでもいうべき一本道が、耐えず私を一つの方向へと導いてきたように思われてならない。それは飽くまで私を空へと追いやる、あるいは誘い込む道に他ならなかった。
 その道は、パイロットを志す遥か前から、私の前に潜んでおり、時折気まぐれに姿を垣間見せた。そんな時、私は自分とは縁もゆかりもないものと考えながら、あの果てのない深淵のような青空と白雲、そして強烈な日差しの予感を覚えずにはいられなかったものだった。そう、それは夢の如く儚い姿で、その正夢にも等しき幻影は翌日には殆ど忘れてしまうものだった。

 そうした空へと続く道が、私の人生において始めて姿を表したのは、幼きころの父との会話においてだった。当時小学生の私は野球選手に憧れ、少年野球チームで熱心に練習に励んでいた。当時、将来の夢を聞かれたら、迷わず野球選手と答えたものである。夢は望めば叶うもの、そう信じてやまない純粋な少年であり、将来は野球選手であると確信し、空への関心などは皆無であった。
 そんな私はある日、野球について話していたその流れで、気まぐれに父に尋ねた。
「お父さんは小さいころから会社員になることが夢だったの?」
その頃の私はあらゆる大人の姿とは、彼らの幼き時の夢が体現されたものと純粋に信じていたのである。父は笑った。
「いや、昔は違ったかな。ジェット機のパイロットになれたらいいな、と思ったものだよ。空に憧れたんだ。ただ眼が悪かったし、いつの間にか諦めていたね。けれど会社員になって悪くなかったよ」
それは夢というものが必ずしも現実にはならないこともあるという、幼き私にはいささか強烈な事実を告げる言葉であったから、その衝撃は今もなお忘れがたく、その時の情景ははっきり浮かぶのである。あの笑いながらもやや寂しそうな、それでいて古い夢の名残を克服した大人の表情…。幼き私にはあまりにも強い印象に違いなかった。
 それと同時に、父が夢にみながら果たし得なかったパイロットというものは、一体どういったものなのか、私のなかで疑問が生まれたことも忘れがたい。
パイロットとは、空とはどんなものだろう?私は不思議に思った。…そんな時だった。私のなかにイメージとして空を飛ぶ自分があらわれた。それは雄大なものにちがいなかったが、あまりに現実離れしているように思われた。確かに時折飛んでいる飛行機を遠くに小さく目にすることがある。しかし乗ったことのなかった私にはあまりに遠く、想像もつかぬ代物だった。まさに夢とはこういうことか、と理解するにはうってつけの存在、教材が空だったのだ。空の存在が地についた私をひとつ大人にした。夢とは必ずしも叶うものではない。まるで空を飛ぶようなものだ、と…。

 空とそこに至る道は、私に強烈な印象を残しながらも、それから長いこと身を潜めていた。故に私はすぐにそれらを忘れきってしまったのだった。そして、その道との再開を果たしたのは、私が高校生になるまで先のことになった。高校においても野球はまだ続けていたが、とてもプロになるほどの才能も実力もなく、飽くまで学生レベルに落ち着いていて、それを何となく受け入れていたのが当時の私だった。やや収まりつつあるかつての熱意を別のものに向けるかのようにして、文学に凝るようになっていた私は、ある時偶然読んだサン=テグジュペリの小説に非常な感激を覚えていた。

「人間の土地」…まさに空にロマンと人生をかけた男の、結晶の様な作品だった。私はかつての空のイメージをより詳細な文章から取り戻していた。それは始めた得たときより、再会の感激となってより激しいものとなって現れた。しかも、当時受験を控え、大学を決めあぐねていた私は、当然航空という進路を考えるようになった。まさにおぼろげな道は現実味を帯び始めた。そしてサン=テグジュペリの様に郵便飛行はないが、彼が軍人でもあったことから、自然と航空自衛隊を考えた。航空学生という予科練の如きにいけば、パイロットになる確率はより高いであろうが、大学において勉強もしたかった私は防衛大を選択した。…

この選択は、パイロット希望者としてはあまりに博打だった。何故なら、防衛大に入っても、その中で陸海空にそれぞれ別れるのであり、必ずしも希望の航空にいけるとは限らなかった。そして幸い航空に入れたとしても、防大卒業後幹部候補生学校において、パイロット以外の整備やら管制官やら他の職種の幹部となることも大いにあり得た。というより、その方が確率として高かったのである。

が、私の前に潜む空への道は、それらをきちんと通り、私をパイロットコースへと導いたのだった。職種の発表時、「操縦」とつげられた私の喜びはたとえんかたがなかった。まさに叫びたいほどの歓喜、かつて源田実も同じ感覚を味わったというが、彼も同じ道を見たに違いなかった。いや、あらゆる操縦者たちが通ってきた、パイロットの道…。長年おぼろげだった空への道は私の前に現実のものと化したのである。

実際歓喜のなかに踏み入れたその道は、過酷そのもので、実に辛い思いや、悔しい思いもした。また、とにかく危険がつきものであり、いつか死ぬだろうとさえ考えていた。実際私の防大、幹部候補生学校、操縦者課程における数多くの友が、その道に骨を埋めざるを得なかった。まさにサン=テグジュペリと同じ道だったのである。私は幸運にもその道を歩み終えた。もはやその道はとうに地についていたのだった。
だが、私の前には新たな道が開けていることも事実だと思う。かつて空への道がおぼろげで姿をはっきりとは見せなかった様に、その道もまた霧の下に続いているのだろう。気づけば、また空へと歩み出しかねない。こうした道は死ぬまで終わらぬ。


ただ、余計ながらここで一つ付け加える。私が空自のパイロットだったというのはフィクションであり、全て創作の可能性があるとしておきたい。私は単なる市井の民である。こうした宣言をしておくことは私の立場上せざるを得ないことであり、真実は諸君の予想にまかせておきたい。

#お仕事小説部門

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