世界で同じような戦いが繰り広げられている

うつむいてロシア側に投降するウクライナ兵士たちの姿が、テレビに映し出されていた。2ヶ月前に写真展で見た、重々しいエチオピア兵士の投降シーンが思い出された。規模は違うかもしれないが、世界各地で起きている争いに似たような構図が見えてくる。

エチオピア・ティグレ内戦『千葉康由写真展「アライバル」』

今年2月新聞に、エチオピア・ティグレ内戦の現地報告写真展が告知されていた。エチオピアは自分が約20年前に住み、その後も度々足を運んだ国。ティグレ州は仕事をしていた地域だ。いてもたってもいられなくなって、2月16日東京丸の内のFUJIFILM Imaging Plazaに足を運んだ。

エチオピアのティグレ紛争の背景

エチオピアのアビー・アハメド首相は、80以上からなる多民族間の国民の融和をかかげ、20年以上断絶されていたエリトリアとの国交を回復し、2019年にノーベル平和賞を受賞した。一方、長年エチオピアの政権を担ってきたのは、旧与党ティグレ人民解放戦線(TPLF)だった。ティグレ人は人口の6%と少数だが、前メレス政権時代から30年近くに渡ってエチオピアの政治・経済の中心を担ってきていた。アビィ首相は、国営企業の民営化など数々の改革を進めたが、TPLFが構築してきた体制を解体することにつながった。

当初2020年5月に予定されていた総選挙は、コロナ感染拡大防止のため延期されていたが、2020年9月TPLFはティグレ州議会選挙を強行。2020年11月、TPLFがティグレ州の連邦軍基地を襲撃したとして、アビー首相は軍隊を派遣し、州都市メケレを制圧。隣国エリトリアも介入し、戦闘は1年以上続き、6万人以上がスーダンに避難する人道危機を引き起こした。

展示

展示室に入ると、見慣れた光景の写真が広がっていて、月日が止まったかのようだった。同時に、戦闘に苦しむ一般市民の姿に、言葉を失った。下記に写真の様子を記しておく。

TPLF、ティグレの若者、エチオピア政府軍兵士

兵士達の写真の中で、銃を抱えた若者女性兵士が目に留まる。その透き通った瞳の奥は、何を見ているのだろうか。

ティグレ人民解放戦線(TPLF)が首都メケレを取り戻したと聞いて、夜明けの道に駆け出し、喜びを全身で表しているティグレの若者達。

道の真ん中を、TPLFの旗を持った兵士達が行進している。

TPLFの若い女性兵士を、抱き上げて迎える地元の若者達。銃を持ち上げるその女性兵士の微笑みからは、闘士とは裏腹の優しさが滲みでているようだ。

前線から、捕虜となって連行されるエチオピア政府軍兵士。その数は7000人と言われている。投降兵士の表情はうつむき、下から見上げる目には怒りと、これから始まる捕虜生活、家族、国の今後を憂いているのだろうか。どの顔も眉間にしわを寄せ、食いしばっている。恐怖のエネルギーを感じて、私は、しばらく動けなくなってしまった。

エチオピア政府軍兵士の捕虜を見ようと集まった地元ティグレの若者達。希望と喜びに溢れ、勝ち誇り、何か捕虜兵士に言い放っている。一体どのような言葉を浴びせているのだろうか。その前をうつむきながら、歩いていく投降兵士の軍団。Ethiopian Armyと制服に記されている。

避難する一般市民

荒野に国内避難民キャンプが広がっている。草でできた家の上に雨よけのビニールシートが被されている。

ビニールシートの配給を受け取ろうと、配給権に群がって次々と手を出している人々。手首に、プラスチックの腕輪のような紙が巻かれている。避難民として登録された人だろうか。

ティグレ州で電気・情報・インターネットがうち切られた中、情報を求めて部屋一杯にすし詰めで座っている男性たち。食い入るように、テレビか何かを一心に見ている。部屋の中に女性は見当たらない。

草の柵で囲われた青空学校。黒板の前に、小さな子ども達が5人がけ8列位でゴザの上に座っている。今回の避難民の40%は子供達だそうだ。

エチオピア正教の十字架のネックレスをつけ、ひたいと首に刺青をしている女性。

朝まだ薄暗い中、懐中電灯で照らした狭い範囲の光のもとで、頭を重ねるように4名の僧侶が1冊の聖書を読んでいる。聖書の皮には十字架が押されている。

病院のベンチに横たわる女性。9人の病院スタッフに囲まれ、点滴と治療を受けながら、片方の胸がはだけた状態で赤ん坊に母乳をあげている。授乳を手伝う病院スタッフ。赤ん坊は、大きな目を開けて、母の手に刺さる点滴の針を見つめている。

空爆で顔中を火傷し、コーヒー色の肌の下から、白い肌がむき出しになっている少女。手足も太ももまでガーゼで覆われている。看護師と母親が顔のガーゼを取り替えている。日本の原爆被曝者の治療風景を彷彿とさせる。77年前と同じことが繰り返されている。

スーダン難民キャンプに到着するバスの窓から、女性が身を乗り出している。バスにはスーダンのアラビア語が書かれ、女性はエチオピアの白布で髪の毛を巻いている。彼女から、生きる力が伝わってくるようだ。これから生きていく場所は、どんな所かとシッカリ見ようとしているのだろうか。

写真展を見て感じたこと

約20年前に私がみたのと同じような国内避難民キャンプの写真が目に止まった時、言葉を失った。私が支援していた当時は、隣国からのエリトリア難民であったが、今はティグレ州の人々が国内避難民キャンプに逃れてきているのだ。20年の間に状況が改善されることを願っていたが、同じような悲惨な状況がこんどは国内で起きているとは、信じられなかった。

勝利を祝うティグレ/TPLFの人々の前を、うつむいて投降するエチオピア政府軍兵士の重苦しいエネルギーは、あまりにも対照的だった。

エチオピア人同士でエチオピア正教を信じる人々が、民族が違うだけで敵になってしまう現実。どうして殺し合いを繰り返すのだろうか。

既得権を人は手放せないものなのだろうか。一人一人は心優しい人たちが、権力争いを繰り返し、何の罪もない人々が苦しめられるこの現実。トラウマを負った子供達には、どのような将来が待っているのだろうか。

ノーベル平和賞を受賞したアビ首相も戦い、ティグレ州で虐殺が起きていると報道されている。各々の正義のために、争いは正当化されるのか。命よりも大切なものはあるのだろうか。

既得権を手放す側に時間の猶予を与えるとともに、その協力に何らかの敬意を示すことも必要だ。お互いの違いと痛みを超えてつながりを取り戻すには、人類としての共通のまなざし、アフリカのリーダーとしてエチオピアが一国として果たせる可能性に目を向けられるような強力な癒しが必要だろう。

ロシアとウクライナにも同じ構図が感じられる。破壊的な軍事費に使うエネルギー量を次世代のために建設的に使えたら、どんなに素晴らしい世界になるだろう。勝利側も敗戦側もない共存できる社会。世界の各地から争いがなくなることを願わずにはいられない。









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