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ご飯を食べて、ボロボロ涙が出たはなし

最近はよく料理をしている。
作ったものを誰かに食べてもらうのも嬉しいし、それ以上に、自分のために料理を作ること自体が好きなのかもしれない。

それは、時間をかけて作ったものを食べて幸せな気分になり
自分で自分を満たせているような気持ちになるからだと思う。

そう、こうやって今は食事を幸せに食べることができているものの、わたしには、そうではなかった過去もある。
自分は10年ほど摂食障害だったので、ご飯を食べている自分に対してあまり良くないイメージを持ち続けてきた。とにかく食べるけれど、食べることが嫌いだった。

今の夫に出会い、初めて日常のご飯が美味しく感じるようになったと思う。
誰かと食事をとる幸せを知った。
そして、何も考えずにたくさん食べて4kg増えた。(笑)
まさに、幸せ太りだ。

でも、その一方で危機感を感じる自分もいた。確かに今幸せだけれど、このままどんどん体型が変わっていくのはあまりよくないかなあ、と思った。

そしてある時を境に、ダイエットアプリに登録することを決めた。
それは一日の摂取カロリーを細かく記録し、毎日点数で評価されるものだった。これがある意味で、自分の中での過去の強迫観念を呼び起こすものだったかもしれない。

毎日カロリーや評価を気にして、食べたり、運動したり・・・これが3ヶ月続いた。
食べたいものを食べるというよりは、今日の点数を満たすために食べていた。運動も同じだ。
その中で、確かに生活にいい影響はあったものの、これを一生続けることはできないな・・・と思うようになった。
でも過去の名残で、制限をしないと食べ過ぎてしまう。
だから、この板挟みの感情に悩んだ。制限をすれば苦しい、でも何もやらないと自分の歯止めが効かない・・・。

そこでしばらく「わたしが本当の意味で幸せな食事とは、どういうものなんだろう・・・?」とたくさん悩んだ。

そして、あることに気づくようになった。

わたしは本来、幸せになるために食事をしたいはずだ。
だけど、その気持ちを忘れて、数字やルールに囚われ、本来の心の声を無視していたということ。
食べるにせよ、食べないにせよ、今までの生活の中で見落としていたこと、
それは「自分の心に従って食べる」ということだった。

幸せを感じるために生きているのに、今のわたしは、自分を型にはめてコントロールしていたんだ、と分かった。

それから、少しづつ、今までの考え方などを見直すようになった。

始めはできなくても、ちょっとずつ、
心の声に従い、身体の調子を聞いて、本当に欲するものを食べようと思った。
自分の欲求に合わせて、食べたいものを食べたいだけ(心地よい状態になるまで)食べようと思った。
そこで、体型がどうであろうと、まずは欲求を優先して、心を癒そうと思った。

そして少しずつ、自分の心・体と食欲への向き合い方が見えてきたみたいだ。

心地よく食べることを意識してから、自分の好きなもの、そうでないものも感覚としてわかってくるようにもなった。
それは味わう余裕が出てきたからかもしれない。
今までは食べ物を味わう余裕もなくて、食べ物は全部同じだったように思う。

その中でも意外だったのは、わたしは意外と、野菜や果物が好きなこと。
心がボロボロだった時期ほど、余裕がなくてそういうものを食べなかった気がする。不健康な加工品を食べることが多かった。
でも今は、みずみずしい生のものが美味しい。

食べたい時に食べて、食べたくないなら食べない。
その時のメンタルや体調に合わせる、その都度選ぶ。
たまに食欲が乱れても、それはそれでよし。

数字にとらわれない自由な食事は本当に幸せだ、と知った。
食べている時の幸福感が増したなあ、と思う。

そんなこんなで、
今日はお家ごはんで、ルイボスティー、たっぷりのレタス、たらこパスタ、りんご、オレンジを食べた。
食べたい!と体と心が欲していた食べ物だった。

満たされました!

それを味わって、「ああ、美味しいなあ、幸せだなあ」と思った。
「ああ、今わたしは食べることを最高に楽しんでいる」と思った。

そうしたら、なぜか、涙がボロボロ出てきた。
レタスを食べながら、泣いて、パスタを食べたら、あまりに美味しく、もっと泣いた。

なんの涙なのかはうまく言葉にできないけれど、
今までの人生で自分にのしかかってきたものを少しずつ手放せているような、何か憑き物が取れたような、清々しい気持ちだった。
何かから、解放された涙だったかもしれない。


この先も、食べ過ぎたり、味わう余裕がない日も、食欲が乱れる時もあるかもしれない。でも、それでいいんだと思う。いつだって人生に波はあるものだ。

わたしはこの経験を通して「もっと食べることを楽しめればいいな」と思った。
そういうこともあって、最近はよく料理をするようになったのかもしれない。美味しいものを自分で作れることは幸せなことだ。

これからも、心の声を聞きながら、
心地よく、美味しいものを食べたい。

これからもたくさん、「食べる」を楽しみたいな。

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