優駿DVD(付録)の軌跡(#2007年編)
2007年(優駿DVDコレクション)
第23弾:1月号(85分)
日本馬がワンツーフィニッシュ!
メルボルンC(豪GⅠ)
[名馬の蹄跡シリーズ] グラスワンダー
重賞プレイバック(2006年11月5日から11月26日)
[サラブレッド・ヒーロー列伝] ダイユウサク 1991年 有馬記念(GⅠ)
第24弾:2月号(74分)
アドマイヤムーンが僅差の2着
香港C(GⅠ)
[名馬の蹄跡シリーズ] マンハッタンカフェ
重賞プレイバック(2006年12月2日から12月24日)
[サラブレッド・ヒーロー列伝] サイレンススズカ 1998年 宝塚記念(GⅠ)
第25弾:3月号(89分)
騎手自身が選ぶ“マイ・ベスト・レース”
[名馬の蹄跡シリーズ] バブルガムフェロー
重賞プレイバック(2007年1月6日から1月28日)
[サラブレッド・ヒーロー列伝] メイセイオペラ 1999年 フェブラリーS(GⅠ)
第26弾:4月号(84分)
Hello Rookies 2007 EAST
Hello Rookies 2007 WEST
[名馬の蹄跡シリーズ] メジロドーベル
重賞プレイバック(2007年2月3日から2月25日)
[サラブレッド・ヒーロー列伝] イシノサンデー 1996年 皐月賞(GⅠ)
第27弾:5月号(72分)
アドマイヤムーンが見事に優勝!
ドバイデューティーフリー(GⅠ)
[名馬の蹄跡シリーズ] サニーブライアン
重賞プレイバック(2007年3月3日から3月25日)
[サラブレッド・ヒロイン列伝] スティンガー 1998年 阪神3歳牝馬S(GⅠ)
第28弾:6月号(98分)
[名馬の蹄跡シリーズ] ウイニングチケット
重賞プレイバック(2007年4月1日から4月29日)
2007 日本ダービーへの道~参考レース集~
[サラブレッド・ヒーロー列伝] タヤスツヨシ 1995年 日本ダービー(GⅠ)
第29弾:7月号(72分)
日本馬がワンツーフィニッシュ!
シンガポール航空国際C(GⅠ)
[名馬の蹄跡シリーズ] セイウンスカイ
重賞プレイバック(2007年5月5日から5月27日)
[サラブレッド・ヒーロー列伝] アドマイヤコジーン 2002年 安田記念(GⅠ)
第30弾:8月号(62分)
[名馬の蹄跡シリーズ] キョウエイマーチ
重賞プレイバック(2007年6月2日から6月24日)
[サラブレッド・ヒロイン列伝] ファインモーション 2002年 エリザベス女王杯(GⅠ)
第31弾:9月号(75分)
ディープインパクトの“今”~2007年夏~
[名馬の蹄跡シリーズ] ライスシャワー
重賞プレイバック(2007年7月1日から7月29日)
[サラブレッド・ヒーロー列伝] マイネルラヴ 1998年 スプリンターズS(GⅠ)
第32弾:10月号(53分)
[名馬の蹄跡シリーズ] サクラチトセオー
重賞プレイバック(2007年8月5日から8月26日)
[サラブレッド・ヒロイン列伝] シンコウラブリイ 1993年 マイルチャンピオンシップ(GⅠ)
第33弾:11月号(75分)
[名馬の蹄跡シリーズ] エアジハード
重賞プレイバック(2007年9月1日から9月30日)
[サラブレッド・ヒーロー列伝] バブルガムフェロー 1996年 天皇賞・秋(GⅠ)
第34弾:12月号(72分)
[名馬の蹄跡シリーズ] マーベラスサンデー
重賞プレイバック(2006年10月7日から10月28日)
[サラブレッド・ヒーロー列伝] エルコンドルパサー 1998年 ジャパンC(GⅠ)
[簡易版]
1月グラスワンダー(1998年クラシック世代)
2月マンハッタンカフェ(2001年世代)
3月バブルガムフェロー(1996年世代)
4月メジロドーベル(1997年世代)
5月サニーブライアン(1997年世代)
6月ウイニングチケット(1993年世代)
7月セイウンスカイ(1998年世代)
8月キョウエイマーチ(1997年世代)
9月ライスシャワー(1992年世代)
10月サクラチトセオー(1993年世代)
11月エアジハード(1998年世代)
12月マーベラスサンデー(1995年世代)
(これは増えたら「別の項目」に整理する予定です。)
感想)
2007年はどのような年であった?と質問されたら、
私は
①チューリップ賞におけるウオッカVSダイワスカーレットに始まり、
②皐月賞でヴィクトリーが勝ち(フサイチホウオーが豪脚を繰り出して3着)、
③ウオッカがクリフジ以来、64年振りに日本ダービーを圧勝し、
④秋華賞でダイワスカーレットがウオッカを下し、
⑤年末の有馬記念をマツリダゴッホが制した
と説明する。
無論、マイル戦線におけるダイワメジャーの活躍、メイショウサムソンの天皇賞春秋連覇、アドマイヤムーンの宝塚記念やジャパンカップでの激走、スプリンターズSのアストンマーチャンの奮起なども候補に入るのであるが、上の5レースがとても印象に残っている。
①はアンカツ(安藤勝己騎手)がウオッカの末脚をはかるための試走(=ウオッカが追い出すまで待機)。また(後の)ライバルとの初対戦。
②はヴィクトリーが穴をあけて(と言っても7番人気)、レース後のスタンドが怒号の嵐であったこと(笑)。また帰りの武蔵野線の電車内で論争(ヴィクトリーはない!ダービーはフサイチホウオーだ!など)が巻き起こっていたことが記憶に残っている。
③は現地におらず、旅先のペンションに着いた直後に宿泊先のテレビで観た。翌日、ZARDの坂井泉水さんが転落死したニュースを車の中のラジオで聴いたので2007年5月27日の出来事は鮮明に覚えている。レース前、なぜかウオッカが勝つような予感がした。実際、その通りになった。3番人気のウオッカ(1番人気はフサイチホウオー)は風のように府中のターフを駆け抜けた。坂井さんは15時10分頃亡くなったと聴いた。ダービーの発走は15時40分だった。訃報を知った時、私の心の中では前日に起きたダービーの出来事=最後の直線で「負けないで」が流れていた。だからこれからもこの日のこと(気持ち)は「きっと忘れない」。
今となってはウオッカも天国に旅立ってしまった。
「サヨナラは今もこの胸に居ます」
④はウオッカVSダイワスカーレットのクラシック最終章。当時、私はダイワスカーレットを応援していた。理由は兄のダイワメジャーの喉鳴り克服の経緯を知っていたからだ。もしタニノの歴史を知っていたら、ウオッカの方を応援していたのかもしれない。秋華賞前は桜花賞でダイワスカーレットがウオッカ相手に勝利、オークスは熱発により回避(この悪いニュースは後楽園のウインズに向かう途中、ドーム前のキオスクで知った)。一方のウオッカはダービー挑戦が既に決まっており、結果は先程書いた内容の通りである。その後、宝塚記念に向かってビックリしたが、秋は無難に秋華賞を目標としていた。
応援していたダイワスカーレットが勝ったから印象に残っている。
⑤2007年の有馬記念は特別なレースだった。①ウオッカVSダイワスカーレット、②ダイワメジャーVSダイワスカーレット(兄妹対決)、③前年のメルボルンカップ(豪GⅠ)で活躍したデルタブルースとポップロック、④菊花賞で好走したロックドゥカンプ、⑤メイショウサムソンとドリームパスポートの4歳勢、⑥インティライミ、コスモバルク、当時ネタにされていたレゴラス(記念出走?笑)、そして⑦中山巧者のマツリダゴッホなど豪華メンバーが揃った。
結果は1着マツリダゴッホ、2着ダイワスカーレット、3着ダイワメジャーであった。実況の「マツリだ~!マツリだ~!マツリダゴッホだ~~!!」は今でもよく覚えている。ニコニコ動画でこれに北島三郎の「まつり」を重ねたMAD動画も作られた(今となってはキタサンブラック=北島三郎=「まつり」なのだけれども、笑)
ダイワスカーレットが勝てば年度代表馬だった・・・(ドバイDFを含むとG1、3勝のアドマイヤムーンと言えども僅差で負けていただろう。翌年も同じことが起きるのだが・・・)
この時の私はダイワメジャーとダイワスカーレットの兄妹対決に随分とワクワクさせられた。
さて、優駿DVDの話が置き去りになってしまったが、オーストラリア、香港、シンガポール、ドバイとこの年辺りから日本馬の海外での活躍が目立つようになった。
この時期、シンガポール航空は国内のGⅠでなかなか勝てない馬の「穴場」としてよく利用された(笑)
最近はシンガポールよりサウジアラビアの方が馴染み深い国である。
付録の【名馬の蹄跡シリーズ】はやはり1990年代が多い。
日本競馬の全盛期は90年代で間違いない。
それは競馬人気、レース制度、景気だけがもたらしたというものではなく、競馬ファンにおける「馬券購入者数(人口分析)」からも明らかにされる。
この件についてはまた別の記事(コラム)で話すことにしたい。
【参考資料】
『優駿』2007年1月号から2007年12月号
日本中央競馬会(JRA)ホームページ
2007年の有馬記念:
https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/g1/arima/result/arima2007.html
マツリダゴッホが勝った有馬記念のMAD動画は探したけどなくなってました(笑)
(2022.3.21)
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