見出し画像

短編小説:オリオとチュチュと羊たち

ボクはオリオ。上から見ても横から見ても、どこからどう見てもオリだ。

みんながオリ、オリ、オリってボクのことを呼ぶものだから、オリオという名前がいつしかボクの愛称になっていった。

「オリオや、今度はこの子をよろしく頼むよ」

羊飼いのおじいさんがやってきて、お腹の大きな羊さんをボクの中に迎え入れてほしいとお願いされた。みんなはオリと聞いて最初に思い浮かべたのは、悪い人間や捕まえた動物が逃げ出さないようにするためのオリのことかもしれない。そういうオリも確かにあるけれど、ボクは違う。ボクのオリは、中に迎え入れた動物たちを、外からやってきた悪い人間や怖い動物たちから護るためのオリだった。

「……私ね、初めて赤ちゃんを産むの。だからとっても心細かったんだけど、オリオと一緒に、安全に産める環境をつくってくれたおじいさんには感謝しているわ。もちろん、オリオにもね」

それだったら任せてほしい。ボクは今まで何百回も羊のお産に立ち合ってきた。ボクを壊そうとしてきた悪い人間や、羊を食べようと様子を窺いにきた野犬の群れにも、指一本牙一本羊さん親子に危害を加えさせなかった。蹴られたり、かじられたりもしてちょっと痛かったけど、多分、蹴ったりかじったりしたほうがもっと痛かったはずだ。ボクの体はそれだけ頑丈で丈夫なんだから。

 

 

……数日後赤ちゃん羊が元気に誕生し、親子そろって無事にボクの中から元いた家へ帰っていった。ボクの中に誰もいなくなると、お役目のないただの置物になる。この、誰もいなくなる期間が寂しかった。たまに羊飼いのおじいさんや、そのお手伝いをしている少年がそばに来てくれるけど、何か物を取りにきたり片付けたりで、いつもボクの前を素通り。まったくかまってくれない。たまに、ボクの角っこに足をぶつけて悶絶し、舌打ちをされたことがある。この場所に置いたのはおじいさんたちであって、ボクは悪くない。とばっちりもいいとこだ。

でも最近ボクの中に、毎日ではないがちょろちょろと遊びに来てくれる友達が出来た。

「こんばんはオリオ、邪魔させてもらうぜ。……よっこいせ。はぁー、ここには犬も猫も入ってこれないから安心して眠れるぜ」

彼の名前はチュチュ。ボクの隙間から出入りできるくらい小さなネズミだ。最近、羊飼いのおじいさんが猫を飼い始めたらしく、家に居場所がなくなってしまったらしい。チュチュが来るのは何も夜だけではない。昼間、ものすごい音を出しながら猫と追いかけっこをしているとき、ボクの中に逃げ込んでくるときもある。猫はボクの隙間から手を伸ばすが、体が大きい為ボクの中に入ったチュチュを捕まえることはできない。あの爪、ボクの体にも傷を付けられたことがある。……ボクも、あの猫とは仲良くなれそうもない。その共通点からか、チュチュとはあっという間に友達になれた。

チュチュは、動けないボクのかわりに外のことを色々教えてくれた。あの店のチーズは上手いとか、おじいさんの焼いたパンは極上だとか。……ボクは食べ物がなくても生きていけるので、チュチュが何を言っているのかはイマイチピンとこなかったけれど、楽しそうに話すチュチュを見ているだけで、ボクも外の世界にわくわくすることができたし、チュチュがいる間、ボクは寂しさを感じることはなくなっていった。

 

 

 

「オリオ、またよろしく頼むよ」

いつものように、羊飼いのおじいさんがボクの中に迎え入れた羊さんは、なぜかひどく怯えて震えており、様子がおかしかった。よく見ると、羊さんの毛の色が黒っぽく見えた。

「ほぉ、こいつぁ珍しい。黒い毛の羊じゃないか」

チュチュがそう言った後世間知らずのボクに説明してくれた。なんでも、黒い毛の羊さんはとても珍しいのだが、他の羊さんからいじめられてしまうことがあるらしい。どうしてそんなことが起こってしまうのか、ボクには分からなかった。

「……きっと、僕が他の羊とは違って目立つからだよ」

チュチュが来るまで一言も話さなかった黒羊さんがゆっくりと話してくれた。

「確かに、他の羊は白いからお前さんの黒い毛は目立っちまうのかもなぁ」

目立つことがいけないことなのだろうか。ボクから言わせてもらえば、大勢いる白い羊さんたちを個別に見分けることは難しい。でも黒い羊さんはその中にいてもすぐに探せて便利じゃないかとさえ思う。でもそれは、部外者の、羊でもないオリのボクだからこその意見であって、羊社会のルールを何も知らないボクには理解できないことも、きっとあるのだろう。

……だったら、ボクに出来るのは黒羊さんがこれ以上傷付かないように守ってあげることだけだ。

「……ありがとうオリオ。ぐっすり眠れそうだよ」

「オリオの中にいる限り大丈夫さ。俺も保障するぜ!」

しばらくした後、黒羊さんとチュチュは、一緒に寄り添って寝息を立て始めた。……ただ色が違うだけで、どうして個性を大切に思いやることができないのだろう。みんな違うから動物って面白いと思っていたのに……。オリのボクから見て羨ましかった動物たちだったけれど、どの世界も大変なんだなと……ボクは感じながら寝ている彼らを見守った。

 

黒羊さんに出会って数日が経ち、羊飼いのおじいさんも、なんとか白羊さんの群れに黒羊さんを戻したくて努力したみたいだったけれど……結局うまくいかなかった。

「他の羊飼いの元へ引っ越すことになったんだ。だから、オリオとチュチュとは明日でお別れだね」

「せっかく友達になったってのに。……寂しいぜ」

ボクとチュチュは、黒羊さんと過ごす最後の夜を静かに過ごしていた。お別れは寂しいけれど、ボクはこれで良かったんだと黒羊さんに言った。無理に合わない群れの中にいても、お互いに辛いだけだ。ここだけが、黒羊さんの居場所じゃない。

「オリオの言う通りだな。世界は広いんだ、きっとお前を受け入れてくれる群れがきっとある」

「……そうかな。……うん、そうだよね」

おじいさんが言うには、明日行く引っ越し先の羊飼いさんのところには、黒い羊さんしかいないらしい。見つけるのは大変になっちゃうけど、少なくとも色の違いでいじめられることはないはずだ。だから、きっと大丈夫だ。

「心配すんな。もし辛くなったら逃げ出して俺たちのところへ来ればいい。チーズを残して待っててやるからよ」

あの、食べ物への執着が強いチュチュが自分の持っているチーズをくれてやると言っている。離ればなれになっても、お前のことは忘れないという、彼らしい励まし方だった。静かに下りていく夜のとばりがボクたちを優しく包み込んだ。黒羊さんにとって、優しい世界でありますようにとボクは願った。

 

 

 

「……いっちまってから10日は経つな。戻ってこないってことは、きっと向こうで楽しくやってるんだろうよ」

チュチュはそう言いながらも、黒羊さんのためにとっておいてあるチーズには未だに手を出していなかった。チーズには申し訳ないが、生涯、チュチュは食べることなくチーズを化石にしてしまうだろう。……ねぇチュチュ。いつか、カラフルな羊の毛をした群れを見て見たいね。

「俺たちが知らないだけで、世界のどこかには、そんな群れがいるかもしれないぞ」

……確かにそうだね。でもボクは、世界中に広がってほしいな。

「そうしたら、オリオの中に誰も入る必要がなくなるかもしれないぞ。まぁ、俺専用のVIPルームになるのは大歓迎だけどな!」

……確かに、友達が増えなくなるのは寂しいかも。

ボクにとって、【使われなくなる】ことは何よりも辛いことだ。手入れもされず、錆ついたがれきになってしまうだろう。そんなのは嫌だ。ボクはまだまだ現役だ。

――なんてことを考えていると、羊飼いのおじいさんがやってきて、新たな羊さんをボクの中に迎え入れた。まだ使ってくれるんだとホッとした。パッとみたところ、赤ちゃんを産むわけでもないし、毛の色も白い。一体この羊さんはどうしたのだろうかと尋ねてみる。

「みんなより、食事を摂るスピードが遅いんだ。だから食べる時間がなかったり、他の子たちにとられちゃったりして、いつもお腹がペコペコなんだ……」

「確かに、他の羊に比べてほっそいなーお前」

なるほど、それでボクの中で個別に食事を摂る必要があるってことか。それなら任せてほしい、と自信をもって言いたかったけれど……。

「……ん?なんで俺を見るんだよっ!牧草は食わないから安心しろっ」

良かった。ボクにはまだまだお役目もあるし、これからもボクと、チュチュと、羊さんたちで仲良くやっていけそうだ――

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?