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私の生活から「お笑い番組」が不要になった過去のある日

 私の「お笑い番組」の月間視聴時間は、ゼロである。
「笑いのわからない、おもんないヤツ」と思う人もいるだろうが、通ではないゆえに、ささいなことで腹を抱えて笑えている。
 
この習慣が固定化したいちばんの理由は「時間がない」だが、もう1つきっかけがある。
 
昔、お笑いの最大手事務所の花形芸人が一同に会した飲食付きのパーティーにバイト店員として居合わせたことだ。
 
その会はおだやかに進行していたが、「天才」「神」などともてはやされていた芸人(ときどき映画監督)の席の周囲は荒れに荒れていた。
 
「神」は自分の好みの低カロリーのドリンクメニューがないなどといって怒り狂い、頼まれて私が持って行った大判の紙ナプキンで近くの人をはたき、ことあるごとに近くの人をなじり、不機嫌をまき散らしていた。
 
はたかれた人は平身低頭で謝り、「どうにかその飲み物を用意できないか」と店に懇願していた。その日はたまたま機嫌が悪かったのかもしれない。だが、後輩芸人が主役のめでたい席で、なんの非もない人に八つ当たりして、不機嫌で他人をコントロールしながら特別扱いを求める様子は記憶に深く刻まれた。
 
身近な人を笑わせずにビビらせている芸人の芸では笑えないぜ、「笑ってはいけない」と言われたって……と、そのとき思った。以来、その人が出ている番組を見ていない。別の国で育った家族は、別の理由でお笑い番組を見ていない。
 
あの業界に、笑い方にも笑わせ方にも、いつの間にかできあがった「小さな正解」があると仮定する。適度に逸脱しつつ、それらの正解を忠実に満たして、やっと評価されるような不文律に辟易することがある。
 
日常の笑いは「おもろくなければいけない」的な空気から自由になったほうがいいし、笑いを高尚なものだと崇めないほうがいいと、日常生活に「お笑い番組」が必要ではない私は思う。


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