私を殺してくれないの?と彼女は言った

忘れもしない、あれは小学四年生の遠足だった。貝塚とか、段丘とか、野鳥公園とか、その手の遠足。私は心の柔弱な少年でいつも胸に薔薇を這わせてはしくしく泣いているタイプの「僕ちゃん」で肌の白い子豚の丸焼き状態で息も絶え絶えに潜んで暮らしていた。バスで隣の席に座っている大平さんは私とは真逆の美人で頭がよくて女子にも男子にも人気者の学級委員長だった。内股気味で歩く私は皆から薄らバカのオカマちゃん扱いを受けていて、本来なら男子同士で座るべきバスの座席を女子である大平さんが義侠心というものなのか、どうせ皆が嫌厭する私の隣を陣取ってしまった。大平さんは手足が長く、睫毛も長い。見た事はないが、まるでフランス人のようだった。バスの中はお祭り騒ぎだけど、私も大平さんも死んだ親族を焼きにいくために乗った霊柩車の中のように静かだった。誰かがクイズを出したりカラオケを楽しむ中、大平さんと私のところにはマイクは村八分を受けて流れてこなかったし、窓の外を見ているだけで済むことを私は彼女に感謝した。バスの窓から見える見知らぬ町の家々の間を想像の忍者が走って追いかけてくる。大平さんは、少し経ってから何を思ったのだろうか。私の子豚ちゃんのように太い指に彼女は誰からも見えない位置で指をからませてきたのである。私は驚いて、大平さんを見る。大平さんの瞳の色はなぜだか灰色のような色に見えた。それから、大平さんはニコリと笑うと手を繋いだまま私に心理テストを始めたのだった。川があります。うん。大きな川です。はい。とてつもなく大きな川で渡れません。はい。私と孕石くんは夫婦です。うん。とても仲のよい夫婦です。はい。夜にはエッチなことを毎日します。はあ。エッチなことってわかる?うん、わかるよ。裸でからみつくのよ。そこで、大平さんは手を強く握って、孕石くんてエッチなこと考えるの得意そうだね、と言った。まあ、どうかな。それほどでもないけど。嘘だった。私の頭はエロのガスで充満して今にも爆発するのではないか、と疑ってしまうほどである。先を進めよう。大平さんの心理テストはこういうものだ。川がある。夫婦がいる。ある日、夫だけが川の向こう側の村に仕事か何かで行く用事があって舟で渡った。しかし、川はゲリラ軍と政府軍との支配の境界線で泥沼化する戦争の煽りを受けて、夫婦の暮らす村に戦火が及び、妻は夫がいる川の向こう側の村に逃げなくては命があぶない。そこで妻は密航船をもつ地元の漁師になけなしの貯金を渡して、渡航をこころみる。漁師は大平さんの美しい容姿を上から下までじっくりと観察する。これっぽっちの金じゃ、川を渡すことはできない、と漁師は言う。つまり、渡りたければ、一晩、夜伽をせよと妻である大平さんに迫ったわけだ。大平さんは小学四年生とは思えないくらい身体が発育していて、後ろから見たら先生と間違えかねないくらいだったから、漁師もなかなかの目利きである、と私は感心する。大平さんは、はい、ここでテストです、と言う。孕石くんは、漁師と寝て川を渡る妻を許せますか。貞操の問題なのか、命の駆け引きの問題なのか、はさておき、私は言下に許すさそれは、と答えた。まったく問題ないし、なんなら(他の男に抱かれたという事実で)少し興奮するさ。バカ、変態、と言ってから大平さんは私にしなだれかかってくる。女の人って柔らかくて好ましいな、と私は大平さんに小声で言う。それからはずっと無言で二人してバスを追いかけてくる忍者たちを見続けた。彼女は、バスが目的地に着くと手をそっとふりほどき、私の耳元でポツリと囁くと、私の答えも聞かずに逃げるようにバスを飛び降りてしまった。私は大平さんが漁師と川に落ちてピラニアの餌食になるところを想像した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?