神棚にチーズバーガーをお供えするアンクルサム

某月某日。爺さんは山へ芝刈りに行き婆さんは川へ洗濯に行った。二人とも帰ってこなかった。永遠にだ。私はアンクルサムとして恥ずかしくないアメリカンライフを送りたいと念じていたので、二人の不在は渡りに船だった。アメリカの国旗を塗炭屋根の上に備え付けて、ゴリラのようにドラミングをする。幸先はよい。私はアンクルサム。ハットをかぶった小粋な奴。電話番号をあばら家に書いて「アメリカンライフをはじめてみませんか」という洒落た文句と共に仕事を募った。何にせよ、食べていかねばならない。私は動く他ないのだ。村の親睦会がその夜にあって、私はそれに爺さんの代わりに参加する。鹿による食害からアジサイを守るにはどうすべきか、という談合があって、それから食事とカラオケ大会があった。私はアンクルサムらしく、何かご機嫌なアメリカンナンバーを歌いたかったが、村長のもっているレーザーディスクカラオケシステムには洋楽はほぼ入っていないのである。ビートルズはアメリカではない。私は「氷雨」を歌った。私は村長にこれからの身の振り方を相談する。村長は爺さんも婆さんもいなくなったのだから、君も引きこもっているわけにはいかないし、外に働きに出てはどうか、と誰にでもいえるような助言しかしなかった。村では比較的に若い衆の私は台所に村の男たちが食い散らかした皿やコップなどを運んだ。台所には女衆がいて、ああすいませんね、男の人の手を煩わせてしまって、まあまあ気の利いた人ですこと、なんて通り一遍のお世辞を言われる。女衆も年寄りばかりだが、一人だけ妙齢の令嬢が混じっていて、それが敦子だった。敦子は歳の頃は30を越えたばかりであるが、バツイチの出戻りで、養蜂業を営む祖父の家に転がり込んでいる。私はアンクルサムとしてというよりは、一個のオスとして敦子のことが半年前から気になって仕方がなかった。私は勇気をだして敦子に声をかけてみる。敦子は笑い上戸なのか、お酒が入っているのか、あらご指名だわ、なんてみんなに大声で報せて、シャイな彼が夜の散歩に誘ってくれたからちょっとアフター行ってくるわなんて軽口を叩いた。私は火のように顔を赤らめながら、敦子のすぐ後ろをヨボヨボとデザートブーツを土まみれにしながら歩いた。麦や蕎麦の畑しかない村で、星もでておらず、ろくに街灯もない村の夜道は恐ろしかったが、敦子は意に介さずどしどし進んでいく。それから敦子は名古屋での別れた歯科医の旦那との暮らしぶりが如何に味気なかったかをポツポツと話し始めて、私は相槌をうつことに神経をすり減らすあまりに内容がまったく頭に入ってこなかった。神社を越えて、丘の上の公民館までたどり着くと、敦子は遠くに見える遥か遠くの町の灯りを指さして、こんな村から早く出ていって西荻窪で雑貨屋でもやりたいと話した。敦子のイヤリングやネックレスはなんとなく美しいもののようだったし、そういうものが好きなのかなと私は思ったりもし、それから二人でシーソーに乗った。敦子の白い歯が暗闇に口が閉じたり開いたりする度に浮かび上がった。私は従順なアンクルサム。アメリカ国旗柄のスーツに身を包む気のいいだけの臆病者。敦子が私に求めるものがなんだったか、できるだけ彼女の心の叫びという名のサウンドを耳に入れまいと誓う。飲ませてください!もう少し!今夜は帰らなーい!帰りたくない!酔った敦子は氷雨を歌いながらシーソーを漕ぎ、まるで化けガラスの如く、けたたましく笑う。シーソーが降りて古タイヤにタッチするごとに彼女の美しい髪がフワッと重力に逆らう様子を飽きもせずに眺めながら、私は偉大なるアメリカの魂に相応しい男になりたいと願った。

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