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皆殺しのバラッド蘇生のメロディ

善悪も好悪もなく、私は私自身を心中相手に選んでいた。もう何年か前の話である。思えば私の独居生活は最初の日から最後の日まで全てが愚行と破滅に彩られていた。燃えるメリーゴーランドの回転が止む日。つまり私の家から引っ越しをする前日に妻が泊まりに来ていた。妻はその時はただのセックスフレンドに毛が生えたプロ彼女と呼ばれる世話好きの変わり者でしかなかった。

坂口安吾の自宅の写真をあなたはどこかで見たことがあるだろう。なければ検索して欲しい。安吾の家は吸殻と紙ゴミに溢れて荒れに荒れていた。傲岸不遜な表情で憮然とした態度の安吾のあの写真の中の部屋をほぼほぼ模写したものがかつての私の部屋であった。ギターやアンプや羊の頭があったので安吾に少しヴェルヴェットアンダーグラウンドを足した感じ。私は不健康で不潔な環境に10年間も身を置いていた。不思議なことであるが、私は細々とエログロの文学作品を発表する謎の野良作家「孕石狆兵」であって作品の放つ重力が破滅型の女性の心の琴線に触れるらしく、あの穢らわしい部屋を訪れた好事家の人数は20人。前職の社内恋愛でしつこく付き纏われた会社のマドンナMさんを除外すれば私のことを孕石狆兵と思わずに部屋を訪れた人は皆無でお化け屋敷に入る気持ちで皆私の部屋に来て絶句するのである。長く付き合っていた正式な彼女もいたが、この女性は「否定する」ということを悪と考えているらしく、私の音楽狂いや悪魔崇拝を甘んじて受け入れるので、私サイドとしてもいつまでも彼女に甘え続け、部屋の塵芥は山のように積まれていくのだった。訪れた20人の女性のうち、私のお手がつかなかった女性は2人だけで、後の女性は残らずM字開脚をして少し割れた窓から外に喘ぎ声を盛大に漏らして帰って行った。18人それぞれの気持ちは大いに理解できる。私が女性の立場でも私の荒れた部屋に来たら頭がおかしくなってしまうだろう。毒を喰らわば皿までじゃと女性たちは服をマッハで脱ぎ目を瞑ってするべきことを済ませて帰るのだ。私も18人の聖人たちもその「がんばっている様子」を俯瞰して天井から眺めるのであるが、それはとてもフォトジェニックであった。残念なことに私は醜男ではなかったのである。

妻は本をまったく読まない人だった。妻は私の作品の何点かを読んで文字が多すぎると言って早々に挫折していた。妻が私に愛想を尽かさなかった理由は私の描いた絵と撮った写真のクオリティだけだった。妻は文字を読まない代わりに映像から意味を読み取る力に優れている。あなたは病気だわ。妻が私の部屋を頻繁に出入りするようになった時から私の部屋に変化が起きたのだ。彼女が私の部屋に来るたびに私の部屋は片付けられた。妻は皮膚病に罹った可哀想な野良犬を放って置かないタイプの人間で、文学的感傷を愛していなかった。妻が私と一緒に暮らすことを決断し、私は10年間住んだ部屋を引き払うことになった。18人の女性の愛液と涙が染み込んだベッドの上で私は文学的な感傷に浸り続けた。

数年の月日が経った。今の私の住む部屋は妻が管理しているので快適だ。ゴミが落ちていないし、埃を被ったアンプから歪んだギターのサウンドが鳴り響くこともない。雑貨屋で働いていた妻がインテリアを全て決定し、絵心のある人の美しい部屋といった風情である。宿願の小鳥を飼うという夢も実現させて、文鳥のラヴリーバターちゃんが狂喜乱舞するのを自家製スコーンを食べミルク紅茶を飲みながら眺める日々である。どうやら私は棺桶を突き破って死者の世界から生還したらしい。善悪も好悪もなく、私は存在することを強いられている。核の発射スイッチを取り上げられなす術もない独裁者の気分である。はっきり言おう。私はあの埃まみれの腐臭漂う部屋に戻りたいのだ。射精を終えてコンドームをグロッキーな女の尻にビタッと投げ捨てて、済むことが済んだから終電が無くなる前に早く帰れよと捨て台詞が言いたい。あの17人の女たちが恋しかった。吐き気を催す様な部屋で紙ゴミや使用済みコンドームに埋もれながら、私は泡を吹いて卒倒したかった。まったく信じられないことだ。私には心の美しい妻がいて、健康的で幸福な生活がある。文学を愛する者にとって悪夢そのものではないか。私の心はロックンロールが鳴り止んで最終ゴミ処理場のような許しがたい静寂に包まれているのである。

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