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私とピアノ

昨年、ソロでピアノを弾き始めた。

 振り返ってみると、私はソロで演奏するということをほとんどもってしてきていない。初めてのソロライブは15年前くらい、アコーディオンの弾き語りだった。断崖絶壁から飛び降りるような気持ちだった。何かが私の中で切り拓かれて、そこから作曲が始まり、やがてSPANNKOSMOという大人数のライブを展開していった。大人数でやったのは曲の持つ色やパワーを実現させたくて、というのももちろんあるが、何しろ私は自分というものが退屈だった。今思うと、こんな退屈なものだけで音出してもという気持ちもあったのだと思う。そうだな、思えば1.2曲一人で弾くことはあっても、必ず、誰かと一緒に演奏してきた。

 しかし、去年くらいからだろうか、自分退屈症候群のようなものが、いつの間にかなくなっていた。そのきっかけは多分、あれだな。心当たりはある。いつか書く。まだまだなのに退屈とかいってんじゃないよ、って今は思う。この私でやっていくしかないのだ。それで、昨年、あんまり人が集まってもっていう状況も後押しして、よし、ソロでいくぞとなったのだ。ピアノでフルで一人で演奏するのは実は昨年が初めてのことだった。扉を開けて外に出たような感触だった。

 今までどれだけ人に頼ってきたかということ。その何か頼りない感じもありつつ、なんてソロは自由であるのだと思った。目の前に広がる、果てしない世界。そして如何様にもなれるその自由の中で、なんと不自由な自分がいるものだと、思った。

 かなり好き勝手に生きてきていると思っていたが、まだまだ自分の中に解放できる私がいるというのは、この歳になって実に嬉しいことでもあった。まだまだ、知らない世界だらけだ。まだまだ拡がっていけるんだ。

 ピアノは向き合う楽器。だいたい、楽器というものは抱きしめるものが多い。もしくは体から延長されたような形。だけど、ピアノだけどういうわけかご対面している。

 そこは鏡のようで、必ず私がいる。いろんな私がそこで、喜んだり、飛び跳ねたり、びっくりしたり、つまずいたり、今、今と目の前に私を突きつけてくる。どんどん流れ出して、それ全部でもって、音楽になっていく。私は、もっともっと、自由に弾きたいって、思う。

 今日の演奏が終わって、鍵盤を拭いて、今日もありがとうと蓋を閉める。
やっぱ、ピアノすげえな、って撫でる。そこに猫が飛び乗ってきたから、猫も一緒に撫でた。拭いたばかりのピアノに猫の足跡がついた。

 今年もピアノソロで演奏していこうと思います。曲もたくさんできそうです。どうぞよろしくお願いします。


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