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一週遅れの映画評:『映画 Dr.コトー診療所』入場者特典に、ミラクル☆コトーライトをプレゼント!

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『映画 Dr.コトー診療所』です。

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 私が昔から好きな作家のひとりに北杜夫がいるんですよ。ここで「好きになったのは『楡家の人』を読んで~」とか言えればかっこいいんですけど、実際は『どくとるマンボウ青春期』『月と10セント』が超好きっていう……別にいいだろ! だれも悪いとは言ってないよ。しいて言うなら「お前昭和何年生まれ?」って聞かれそうなところが問題だよ。
 ……でね、確か『青春期』か『航海記』か『医局記』に、こんなことが書いてあったのをなんとなく覚えているんですよ。 

”医学部の同級生に、入学したてのころ将来は無医村とか孤島の医者をやりたいと希望してる学生は存外少なくない。けれども彼らはそのうちその進路をやめてしまう。それは金銭だとか権力によるものなんかではなく、「ひとりであらゆる治療を行うこと」の困難さに直面し、諦めてしまうのだ。”

 完全に記憶だけで喋ってるから言い回しとかは全然違うんですけど、概ねそんな内容だったのは間違いないです。これを読んで私は「確かに」と思ったんですよ、少なくとも「お金のために純粋さを失くす」みたいなありふれた安っぽい話よりは、はるかに説得力があるなと。
 
 それでね、今回はコトーのコシキ島にある診療所に本土から研修医が来るんですよ。それが大病院の院長の息子で、まぁ2ヶ月間だけ過ぎれば戻っていっちゃうよ~、ってことで。
 ところがコトー先生は急性骨髄性白血病を発症してしまう。いつどうなるかもわからない病気だから、すぐにでも治療を受けなければいけない。ただ専門医の治療を受けるとなると当然だけど本土に行かなくてはいけないし、いつ戻ってこれるか(あるいは二度と戻ってこれないか)わからない。ところが島には癌が進行して積極治療から緩和ケアに切り替えた患者さんがいたり、つぎ狭心症の発作を起こしたら手術必須のおばあちゃんがいたりと、心配な人が多い。
 その中でさっきの研修医が「コトー先生が戻ってくる、あるいは代わりの医者が見つかるまで居てくれませんか?」と聞かれて「嫌ッス、無理ッス」って言うんですよ。その時に「自分には島民全員の対処なんてできないし、ひとりで外科手術をすることなんて不可能なんです!」って理由を述べるんです。
 ここでさっき話した北杜夫のことが頭にある私は「そりゃそうだよねぇ」と、すごく納得してしまったんですよ。実際コトー先生は天才的な外科手術の腕を持っているって設定だからこんな島でも治療できるけど、本来なら設備もまともに無い診療所なんて本土輸送までの繋ぎが目的じゃあないスか。
 
 で、結局コトー先生は本土に治療へ行かずウダウダしてる。そこに強烈な台風が来て、島では土砂崩れが起きてしまう。それにより島内最高齢の長老が頭を強く打って心肺停止、おばあちゃんは狭心症の発作を起こして即手術が必要、臨月が近かったコトー先生の妻は子宮収縮が始まって切迫早産の危険になり、それに対処していたコトー先生は急性骨髄性白血病の影響で失神してしまうっていう……もうなんかめちゃくちゃな状況になるんですよ。
 そんな状況だから島民が十数人、診療所にいるんですけど彼らが何をしてるかっていうと「起きろー! コトー!」「長老、がんばれ!」「おばあさん耐えて!」とかって応援してるだけっていうwたぶんこれがプリキュア映画だったら「みんなもミラクルライトを振って、応援して欲しいでコシ~」とか言われる場面だね。いま初見の妖精・コシキンが急に出てきたな。誰だてめぇ。
 まぁ島民はそうやって通路にブッ倒れてるコトー先生に向かって「目を覚ませ!」「がんばれ!」とか叫ぶんだけど、全員遠巻きに見てるだけなの。いやお前ら他にすることないんか?
 
 でもねー、これってたぶん「医療者とその他」に線引きをしたいって、作品の意図だと思うんです。医療行為に携わることができるのは医療者だけで、他の職業の人はそこに手を触れるべきではない。みたいな思想がたぶんある。それ自体には功罪あるとはいえ、私はちょっとわかるんですよ。ていうのも、私は結構な期間を眼科で勤務していたことがあって。経験上「こういう症状には、こうするよね」ってのが大体把握できている。
 かといって、そこに手出しすることは絶対にしてはいけないんです。たぶんそのラインを越えてしまったら、世に蔓延る偽科学/偽医療という悪と同じことになってしまうから。だからそこには犯してならない境界が間違いなくある。なので「応援上映会かよw」って思いながら、「それはそれで、理念があるね」という感じで見れていたんです。
 
 という中からひとりの青年が出てきて、心肺停止してる長老に心臓マッサージを始めるんですよ。そいつがこの島から医大に合格して、だけど中退して島に戻ってきた男で。
 彼は経済的理由からの退学だったんだけど、その後は医療機関の受付として働いていて。ただそこがちっちゃいクリニックで、ドクターがひとりしかいない状況で手術中に患者の容体が急変。結果として死亡してしまう。それを目の前で見ながら、人の命が失われていくところに立ち会いながら、動くこともできなかった。って後悔を抱えている。
 その後悔を聞いたコトー先生は「君が医者にならなくて良かった」って言うんですよ。
 
 ここにズレがあって。つまり「医療者でなければ医療行為をするべきではない」と「命がかかった場面で動けないなら医療者になるべきではない」って矛盾とまではいかないまでも、ちょっと噛み合ってないというか逆? 裏? の関係でもないじゃないですか。
 例えば、目の前に死にそうな人がいる時、無資格者が医療行為をすべきか? という問いに対して、理性は「すべきではない」と言っていて、情動としては「すべきではある」と言っている。医者になるべきなのは、その情動を優先しつつ、それでも理性を失わない人間なのだと。そういう話がここではされていると思うんです。
 
 私は理想論が好きなんです。まず十全な希望を語って、それから現実に向き合うべきだと。現実から話をはじめてはいけないと思っていて。
 この作品では、理性と情動のどっちを優先すべきか? という問題に「どっちも、でしょ」と答えている。それは簡単なことではないけど、でもやっぱりその理想がまず無くてはならない。そういう態度を感じて……まぁ諸々の描写や演出に「おん?」と思う部分はあっても、それなりに良い作品だとは思いました。

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 次回は『仮面ライダーギーツ×リバイス MOVIEバトルロワイヤル』評を予定しております。

 この話をしたツイキャスはこちらの16分ぐらいからです。

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