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一週遅れの映画評:『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』確かな歩みより、煌びやかなダンスを。

 なるべく毎週火曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』です。

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 ハーレイ・クインは歩くのがヘタクソだ。
 
 冒頭から街を闊歩する彼女の足元をカメラは横からアップで捉える。そこに映るのは左足に背の高いハイヒール、右足にはぺったりと低い靴を履いた不安定な姿だ。一度でも片方のヒールが折れたことのある人ならわかるだろうし、もし幸運にもそういった目に合ったことがなければ片足だけ爪先立ちで歩いてみればいい。人間の歩行は両足の高さが揃っていないと非常に困難で、異様に不格好になってしまう。
 あるいはベーコンエッグサンドを歩きながら食べようとしてもそれは叶わず、酔っぱらってへべれけになりヨタヨタと曖昧な歩行を繰り広げ、最後に敵対する相手を追い詰めようとするときも踏み出そうとした先が崩れてつんのめるように立ち止まる。
 
 そういった歩くことのヘタクソさと比べ、彼女のアクロバティックな動きは実にスムーズで洗練されていて、そしてなにより「強い」。格闘シーンにおいてハーレイ・クインの打撃やフェイント、回避や防御はほぼすべてで前後に大きく体躯を回転させるアクロバティックな動きが伴い、彼女がそのムーブで繰り出した攻撃は大抵の相手をノックアウトする「強い」動作である。
 
 そもそもハーレイ・クインのオリジン自体が「まっとうな歩みを否定し、思いもよらない場所に着地した」とも言える。いや大抵のヴィランにはそういった側面があるが、精神科医から担当した患者のジョーカーに惚れてヴィラン化するという彼女の出自はあまりもわかりやすい「まっとうな人生からのドロップアウト」だ。
 だからハーレイ・クインはハーレイ・クインでい続けるため常に「まっとうな歩み」から距離を取り、「アクロバティックな着地」を続けなければならない。それはジョーカーと破局した後でさえ、ハーレイ・クインとしてのアイデンティティがそこにある以上歩くことには失敗し、アクロバティックな動作がハーレイ・クインとしての彼女を「強く」させる。
 
 だから最終決戦に選ばれるのも、いわゆる「びっくりハウス」的な鏡の迷路や回転する床、奇妙なアトラクションに溢れた場所になる。まっとうな路上や室内では彼女の実力は発揮できない。いかにも奇妙でキテレツな場所でこそ、ハーレイ・クインは「強く」なる。
 
 それはあまりにも「道化師(ジョーカー)に憧れた」姿だ。まっとうではないもの正道ではないもの、奇妙で異質でタガの外れたものに惚れてしまい、それと同じ場所に立とうと模倣する。だがそれはどうあがいても模倣でしかない。
 例えばジョーカーのオリジンは謎に包まれている、特に彼自身の口から語られるそれは「いかにもありそうな」ことなだけで毎回コロコロと内容の変わる嘘だけでできている。それに対しハーレイ・クインが自ら語るオリジンは常に同じでまったくの真実だ。あるいは去年の『JOKER』が「この作品自体がジョーカーの語るまったくの虚構なのかもしれない」といった読みと比較すれば、この『ハーレイ・クイン』にはそういった疑問が浮かんでこない(もっともこの『ハーレイ・クイン』『スーサイド・スクワット』からの世界であり、ここで語られるジョーカーと『JOKER』のジョーカーは別物ではあるが)。
 結局のところハーレイ・クインはジョーカーに近づこうとするあまり、真実を口にしオリジンをバックボーンとした挙動を取り「いかにもそれっぽい場所」でしか戦えない……つまりジョーカーとは遠く離れた存在にしかなれないのである。
 
 だからこの作品で、ハーレイ・クインはジョーカーの模倣でありながら同時に決して相容れないものという「ジョーカーを中心としてしか語りようのない者」から、「ハーレイ・クイン」という単一のヴィランへと「覚醒」しようとするのだ。
 
 ジョーカーと付き合っていることがハーレイ・クインの全てであったから、当初はジョーカーとの破局を隠蔽しようとする。そうでありながら壁に貼り付けたジョーカーの似顔絵にナイフを投げつけ穴だらけにしてみせる。ジョーカーとの関係が無くなってしまえばハーレイ・クインのは「ハーレイ・クイン」として拠り所を失うし、かといってジョーカーの存在を忘れようにも「ハーレイ・クイン」の誕生はジョーカー失くしては起こらない。
 
 そこからジョーカーに頼るわけでも、忘れるわけでもなく、「確かにあった過去」として認めながら同時に「それは過去」としてハーレイ・クインは独立したヴィラン「ハーレイ・クイン」として立ち上がる物語。そのあまりにもわかりやすいオリジンからアクロバティックに起き上がる「華麗な覚醒」がここでは描かれている。
 
 それでもまだ歩くのはヘタクソだけど、それはジョーカーによるものではなく、ハーレイ・クインが「ハーレイ・クイン」としてのアイデンティティを獲得した結果としての一歩なのだ。

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 この話をしたツイキャスはこちらの15分ぐらいからです。


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