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一週遅れの映画評:『劇場版 ハイスクール・フリート』はいふりの祭りは春映画通せや

 なるべく毎週月曜日に映画を観て、一週間寝かしてツイキャスで喋る。
 その内容をテキスト化する再利用式note、「一週遅れの映画評」。

 今回は『劇場版 ハイスクール・フリート』です。

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 『ハイスクール・フリート』に関しては2か月前にテレビ版全話とOVAを……確か2~3週間かけて視聴していて。というのも2020年の1月に劇場版が公開になると知って、こうやって毎週1本の映画を見て話をするっていうのをやっている以上、「もしかしたら劇場版を見ることになるかもしれないな?」とは考えるわけで……それでたまたまAmazonプライムに『はいふり』が(OVA含めて)あったし、可能な限りは(まぁこの「可能な限り」も結構曖昧な基準なんですが)テレビ版を見てから行くのが――もしかしたら否定的な感想を持つ可能性もあるわけですから――礼儀かなー、と思って一通り視聴してからの劇場版だったわけですが。 
 結論から言えば「微妙」、とはいえ正確に言えば「私にとってはやや面白いぐらいだが、これを好きな人は絶対にいるな」という感じで、それはつまり「わー!『はいふり』劇場版だー!楽しみー!」という人には良い作品で、「とりあえず来週するツイキャスのために何らかの映画を見よう」ぐらいの人(つまり私)には微妙だ、という。
 
 そしてテレビ版を下地にした劇場版として、それは正しい!正しいのです!
 いわゆる「これは映画だけでも楽しめるから、テレビ放映を見て無かった人も是非見てください!」と臆面もなく言えることをどう考えるか?という話でもあります。
 あまり踏み込むと具体的な作品名を言わなければならないので(ツイキャスでは喋ったけど)文章にはしませんが、「なるべくたくさんの人に見て楽しんで欲しい!」というのと「ここまで付き合ってくれたファンに応えたい!」というのは、どちらも同じくらい尊ぶべき姿勢だとは思います。そして『はいふり』劇場版は後者であったように、私には思えました。
 
 『はいふり』テレビ版では「入学時の成績がイマイチだった生徒が集まっている学生艦・春風」が想定外の異変に巻き込まれ、補給もままならない状態で……という状況から事態が始まることと、12話に分割されていることで「本当にコイツら”成績がイマイチ”なのか??」と思わせる能力を有していることに結構後半まで私は気づけなかったのですが(そのフォローを入れるかのように「変わり者の寄せ集め」という形で、決して能力が劣るわけではない、とエクスキューズが入りますけど)、それに気づくと「この人たち少なくとも自分の役職に関しては達人レベルじゃん!」というのが理解できます。
 
 その上で劇場版では「105分」という短い時間に彼女たちの活躍がギュッとパッケージングされることで「いや、超優秀!」ということが露わになってしまう(いや、しまってもいいんだけど)。
 じゃあなんで「入学時の成績がイマイチだった生徒が集まっている学生艦・春風」という認識がまかり通っていて、そこに配属された彼女たちもまた「自分たちは優秀ではない」という自己認識を(特にテレビ版当初では)抱えていたか?
 
 それは他の人たちが彼女たちを上回る「超人レベルにスゲー」だったからなのです!
 
 というのが劇場版では判明し(テレビ版でもそういう描写が無かったわけではないですが、抑え目ではありました)、「いや確かに私の目から見れば春風乗組員は超優秀だが、この作品の世界観ではウルトラスーパー超人がゴロゴロしているから相対評価としてはそうなるのね……」が理解できるようになるわけです。
 
 私はこの感じに覚えがあります……これは「春映画」なのです!
 
 いきなり春映画、と言われても「どういうこと?」という人もいるでしょう。
 私が大好きな仮面ライダーシリーズには一時期、「3月ごろに上映される劇場版」というものが毎年作られていました。これが現行作品を中心としながら、近作のみならず昭和時代からのライダーが登場することも多いものでした。
 その感じ。「いまのライダーかっこいいー!つよーい!」「でも昔のライダーもすごーい!!超スゲー!!」が同時進行する独特の感覚に近いものを『はいふり』劇場版から感じたのです。
 
 またライダー春映画は良くも悪くも独特のストーリーになることがあり、それは決して諸手を上げて歓迎はできないものの一種の「お祭り」として機能する側面があります。『はいふり』劇場版のシナリオもそういった部分がいくらかあり、それも含めて「春映画」という感想を抱かせました。
 
 そうこれは祝祭、「お祭り」なのです。
 祭りとは地域に根差した交流や祝いの行事であり、一部の観光に組み込まれれもののそのほとんどは「そこに住む人のため」のものです。
 
 だから『はいふり』劇場版は「ここまで付き合ってくれたファンに応えたい!」という、その『はいふり』という地域に住む人のために作られた「お祭り」であった。そう私は思いました。

 そう考えてみるとOVAでも劇場版でも「お祭り」が舞台となっていることに明確な意志があるような気がします。

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 この話をしたツイキャスはこちらの20分ぐらいからです。


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