お手軽に批評と自称する文章を量産する方法(すぱんくtheはにー編)

 なんかここらへんとかこっちのほうとかで「批評っぽいものを書いてみるには?」という話を読んでみたけど、「はらーこんなにも方法が違うのかー」って納得したりビックリしたので良い機会だし自分のやり方も書いておこうと思い立ちました。
 とはいえ私自身は別段ちゃんとした指導を受けたわけでも、特別大きな評価をもらったわけでもないので、ここに書いたことがどれだけ役に立つかわかりませんが、かれこれ10年近くいわゆる「批評系同人誌」へコンスタントに寄稿しております。
 そういった中で身につけた「とりあえずこういう感じでいけば体裁は整う」という書き方、というよりも内容の組み立て方があり、それを開示していくのは「これから批評とか書きたい」「なんもわからんがアニメとかに鋭いこと言ってちやほやされてぇ!」という人の役に立てるのではないかと思います。
 
 ただこれから述べるのは「とにかくそれっぽいものをでっち上げる」方法であり、決してきちんとした批評ではない、むしろちょっとした露悪もこもっていることは覚えておいてください。


 
1・まずは対象にする作品を決めよう。

 何か言いたい作品があるならそれでいいけど、他に「とりあえず話題作だから言及しておきたい(ex.シンエヴァ)」とか「原稿出そうと思ってる批評誌の特集(ex.シンエヴァ)」とか「これに対して賢いこと言ったらRT稼げそう(ex.シンエヴァ)」といった動機で良いです。例示した作品に意図はないです、はい。
 批評の俎上に上げたい作品を決めたら、今度はその作品を構成している要素がなにか?を考えていきます。メモを一枚用意して箇条書きしていく感じでまずはOKなんじゃないでしょうか。
 
 そうですね、『エヴァ』に関して適当なことを言うとめんどくさいオジさんが湧いてきて鬱陶しいので、ここでは『ウマ娘』で具体的にやっていきたいと思います。
 ・ウマ娘かわいい
 ・実在した馬の名前使ってる
 ・話が面白い
  →実際の出来事を背景にした描き方がよい
  →アニメ1期とかゲームのアグネスタキオン、サクラバクシンオー辺り
  →アニメ2期の「運命に立ち向かう」みたいなとこ熱かったね
 ・擬人化することでウマ同士の関係が生まれて良いね
  →ツインターボとトウカイテイオーの関係性みたいな
 ・年代を無視してるから生まれる関係も面白い
  →シンボリルドルフとトウカイテイオー、メジロマックイーンとゴールドシップみたいな
 
 まぁこのくらいザックリと上げておけばなんとかなるでしょう。
 


2・同類項でくくれる他の作品を考える。

 次に先ほど挙げた箇条書きの要素、これと同じ要素を持つ作品を探します……探します、とは言ったけど本当は「自分が知ってる作品からその要素を捻りだす」というのが正しい。これは慣れが大きくて、何本か批評を書いた経験を積むと「あ、これはアレで括れるな」というのが考えなくてもできるように(というか勝手にやってしまうように)なります。脳内データベースにタグ検索機能が追加される、というのが感覚的に近いかな。
 
 ここでのコツは出来るかぎり対象作品と遠いものを選ぶ、ということです。とりあえずあんまり近すぎると「当たり前では?」となってしまうので(「『ウマ娘』2期のキャラクターは実在の競走馬がモデルになっていますが、これは『ウマ娘』1期にも見られる傾向です」「……でしょうね」)、少し距離を取らないと意味がないです。
 そして遠ければ遠いほど「この筆者は沢山の作品を知っているに違いない」という錯覚を起こさせることができる、つまりハッタリが効くからです。アニメを語るのにマンガを引き合いに出す、まぁこれは考えやすいでしょう。しかしそのマンガがアメコミだったら「なるほどこの人は日本のマンガ以外にもアメコミに造詣があるのだな」となりますし、ましてやさらりとバンドデシネを持ち出せば「この人はコミック文化全体に詳しい」と勘違いさせられます、それがたまたまその一冊を手に取っただけで他には知らなくてもです。
 
 この「同類項の設定」と「作品選択」で批評としては5割ぐらいのウェイトを占めます。つまり「なるほどそういう切り口があるのか!」と思わせて「同じ枠にそんな作品があるんだ!」と感心させれば、その時点で勝ちです。いや勝ち負けではないんですが、そういった視点を提供できた時点で批評としての役割はある程度達成できたと言って良いでしょう。
 あ、ちなみに「驚かせたら勝ちじゃね?」を「新しい視座を獲得できたと言えよう」と表現すると謎の説得力が生まれたりするので、こういう言い回しに批評っぽさは支えられています。
 
 さて実例。
 【ウマ娘かわいい】
  ・「かわいい」だけでは同類項でくくれるものが多すぎるので(これを「射程が広い」というとそれっぽくなります)、これは放棄かな。例えばキャラクター造詣や動物の愛くるしさに関する認知心理学?とかに詳しい人なら切り込んでいけるかもだけど、それで何か書けるんなら今更こんな話いらんでしょ。
 
 【話が面白い】
  ・『艦これ』『刀剣乱舞』辺りは『ウマ娘』と同様に実在の歴史とフィクションの描かれ方が重ね合っているので、書きようはある。けどちょっと「擬人化された物品を扱う作品」として近いから難易度は高そう。キッズ向け作品に強い人なら今やってる『SDガンダムワールド 三国創傑伝』が「モビルスーツの性質/パイロットの性格/三国志の人物」が重ね合った状態のキャラクターになってるから、ここと「『ウマ娘』のキャラクター描写には実際のトレーナー、調教師、ジョッキーの性格も反映されている」ってのを繋げたら面白くなりそう。
 
 【アニメ2期の「運命に立ち向かう」みたいなとこ熱かったね】
  ・邦画ホラーで白石晃士監督の『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』ってシリーズがあって、ここでは「運命に逆らえ」というのが大事な要素として出てくる。そこで繋げつつ「でも運命に立ち向かってるはずのテイオーだけど、事実としてはその復活劇は現に起こったことだよね?」話をしていく、私なら。
 
 【擬人化することでウマ同士の関係が生まれて良いね】
 【年代を無視してるから生まれる関係も面白い】
・この話、いわゆるn次創作の話と直結していて。BL二次創作とかって本編には存在しないキャラクター同士の関係を描いているわけで、この『ウマ娘』でも「ツインターボがトウカイテイオーを鼓舞した」という事実はどこにもないけど、そこにある種の想像力を介入させることで描いている。言うなれば公式二次創作というべき存在であり、ではその一次は?というと事実/現実である。という話からn次創作論に進んでもいいし、現実/虚構の接点という話に行っても良さそう。

 【実在した馬の名前使ってる】
  ・たぶん私がやるならコレ。今年の邦画『花束みたいな恋をした』は作家名とか漫画のタイトルとか、めちゃくちゃ固有名の出てくる作品で(詳しくはこちら)、例えば『ウマ娘』が架空の競走馬であったり『花束』が「少年ヅャンプ」とかでは成立しないまではいかないまでも、ここまでの作品にはならなかった。それはフィクションの中で「実在の手触り」をどう表現していくのか?への回答である。こんな感じでアニメと実写という遠い作品を繋げることで圧を出していく。
  

 
3・発想を飛躍させる

 昔、こんなことを書きました。


 何年か前から私は「批評ってのはプリズムショーなんだよ!」って主張してて。そうあの『プリティーリズム』シリーズとか『プリパラ』とかのあれね、あの「プリズムショー」。
 プリズムショーって最後にフィニッシュとしてプリズムジャンプっていうすげージャンプをするんでしょ。空中からフルーツを生成したり、虹色の羽根生やして地球ごとハグしたり、人々の未来に希望を与えたり、人工生命に魂を与えたり。そのプリズムジャンプは精神の成長や、進化によって生まれる……作中でも「プリズムジャンプは心の飛躍!」と言われている。でもいきなりプリズムジャンを跳ぶわけじゃあなくて、ちゃんとした曲があって、ステージ衣装もあつらえて、レベルの高いダンスを魅せて。
 で、そのちゃんとした素晴らしいステージがあるからこそ、人智を超えたプリズムジャンプが輝くんですよ!
 私にとって批評とはそういうもので、歌やコーデやダンスのような「この熱が他人に伝わるよう論理だてて」書かれもので引き寄せながら、フィニッシュにはプリズムジャンプというに「理屈を失ってしまうパッションによる飛躍」が必要なのです!心躍るよ、おにゃんこポン!


 この感覚は今でも変わっていなくて、良い批評には必ず読者を想像もしたことも無い場所へと導く飛躍が必要だと思ってます。
 
 ただそれは大変。超大変。だいたい私がうんうん唸ってるときはこの「なんか飛び方がイマイチなんだよねぇ」って悩んでるとき。
 
 それでも手堅い落としどころはあって、社会反映論的に現実の何かと対比させると分かりやすく締まる。いや実際やり方としては古いんだけど、それでもみんなそういうオチのつけ方は好きみたいなので。
 それか現実/虚構の比較を入れつつ、最近は「虚構はやっぱり良いけど、現実だって捨てたもんじゃないぜ」みたいな終わり方でまとめるとウケがいい。ハッキリ言って現実に生きてることを肯定して欲しい/安心したいっていうわかりやすい欲望でしかないんだけど、まぁそれを満たしてあげれば褒めてくれんだから楽なモンすよ。
 
 実例
 ・『ウマ娘』では実在する競走馬の名前を持つキャラクターが活躍する。今年の邦画『花束みたいな~』では本のタイトルなどの固有名が頻出する。それはどちらもそのフィクションに「実在するもの」という強度を与えている。
 ・SNSで私たちはハッシュタグという「固有名」で繋がり合い、あるいは複垢/裏垢という形で繋がる関係性をコントロールしている。
 ・つまり私たちには固有の人格などはなく、タグ付けされる「固有名」で装飾された朧げな存在として社会と接している。
 ・それは自分たちを現実でもあり、同時に虚構的なものでもある。という捉え直しの過渡期なのではないか?
 ・むしろ虚構の身体、コロナ下における「リモート」の関係性だけでは賄いきれないものの再発見。現実の身体が持つ意味合いの再確認が行われている。
 ・それが『ウマ娘』における「実在した名前」「事実としての戦歴」「虚構としても物語」という重ね合わせとして、人々を強く惹きつけたのである。
 
 っていうのをそれっぽい言葉でまとめたら、たぶん5000字くらいになるんじゃねーの?
 

 
4・最後に2つのアドバイス

 一つ目は「気を付けろ」
 作品Aと作品Bの共通点を、さも関係があるように取り上げる……ここでやってる行為は「陰謀論」において頻出するレトリックである。世の中の事件Aと事件Bにはこんな共通点があり、その背後にはそれを繋ぐ黒幕が!という主張が正しいように思えてしまうことと、ここまでで述べた批評の持つ説得力には大差ありません。
 だから変な陰謀論にハマる前に批評にハマっておくのは予防になるのでは?と思いつつも、一歩間違えれば「めちゃくちゃ陰謀論に影響されやすい」メンタルを獲得しかねないとも言えます。
 
 二つ目は「できれば誰かに校正させろ」
 はっきり言ってこのやり方で、割と簡単に批評みたいなものがポンポン書けます。ただそれは基本的に付け焼き刃のその場しのぎの粗製乱造でしかありません。
 ここからです。ここからブラッシュアップしつつ自分の文章力(ぶんしょうちから)を上げていくには、誰かに読んで直してもらう。できれば優秀な人にガシガシ赤を入れてもらうのが一番です。ツテでも突然ブン投げでもいいので、こういう批評とかに慣れてる人を、ていうか批評系同人誌に原稿を送り付けましょう。
 大丈夫です、批評系同人誌なんて書いてくれる人を探していつでもヒーヒー言ってんだから。私程度でも珍重されるくらいなんだよ?それにハンパなものを載せて評判下がるのは批評誌の方なんだから、向こうは必死で直してくれるって。そうやって良い感じに利用してレベルアップして……いかれると私の価値が下がるな、やっぱやめよう。はてなとかにアップしてボコられよう、そうしようね。

思ったより長くなって疲れたからおわりー。ではみなさん、がんばって。

 あ、あとあれだ「仮想敵」を作るって方法はあんま私はオススメしません。なんでかって言うと文章を量産するにあたり、わざわざ仮想敵と作るのは効率が悪い上に、「仮想敵が見つかんなかったとき、なんも書けん」という詰み状態になるからです。

以上、ほんとうにおわりー。

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