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映画「JOKER」と雑記

私はこの作品が公開されてから映画館で観た。まるで、引き寄せられるように。

こういったどこか欠けている主人公の物語が好きなことは否定できない。「アルジャーノンに花束を」とかそういうやつ。私と似た感性の方がもし未読なら是非小説を読んでほしい。小説が苦手なら山Pが主人公でドラマもあるからそちらを。ドラマだと色々と違う部分もあるけれど、だいたいの流れとか作品を通して伝えたいことは伝わるようにはなっていると思う。

前述したような映画が好きとはいえ、私自身にそういった障害のようなものはない。精神を病んでいたときに発達障害のグレーゾーンと言われたし、ASDに近い特徴が多いと自身でも感じているけれど、それなりに普通に生活ができているし、困っていない。障害ほどではなくとも生まれもった性質のせいで「皆みたいにできない」と悩んでいたし、どれだけ頑張っても多数の人が当たり前にできることができない部分が今もあったりするのでなんとなく親近感が沸くから好きなんだとは思うけれど。

そんな私はJOKERを見て「救いも何もない、ただただ悲しい物語」だと感じた。

そもそも「作品」は受け手によって様々な感じ方があるものであると私は思っている。作り手の意図と違うものを感じ取ったとしても、それが受け手にそう映ったならそういう「作品」となる。なってしまう。

以前、私にはとても好きなアーティストがいた。そのアーティストの作る作品を愛していた。作品だけをあまりにも愛していたが故に方向性の違う愛し方というか作品の解釈が不一致な受け手を見たくなくて、基本的にいわゆる同担拒否のようなスタンスだった。どんな作品なのかをわざわざ解説してくれるようなアーティストじゃなかったけれど、もしそのアーティスト自身が作品の解説をしてくれたとしても、私はそれを見なかったと思う。私が見て感じたものだけを全てとしたかったから。本来の私は思想が違う人の思想も大切にしたいし尊重したいタイプではあるけれど、そのアーティストの作品だけは特別だった。自己中心的な愛し方だったけど、人に対してではなく作品に対してだけだからと考え、そのアーティストが活動をやめるまで私はそのスタンスを変えなかった。

アーサーの真似事をした彼も、そういう感じだったのかもしれない。

でもアーサーは「傷つけられたから、傷つけ返した」んだよね。言葉通りにオーバーキルだけど。

私は、道端に唾やゲロを吐いている人とか、混雑している電車で頑なにドアの横に立っている人やリュックを背負っている人とか、当たり前のように自転車で歩道を走っていく人などをたこ殴りにする妄想などをしたりするような奴だ。だからこそJOKERがそういう嫌な奴を成敗するのを見るのは確かに気持ちよかった。

彼は、彼を傷つけた社会に復讐をして気持ちよくなり、その後死にたかったのかな、と自分の感じたことから私は想像した。しかしそうなるとどうでもいい人を傷付けた理由が謎になる。無論それもまた禁止されていることであるけれど、アーサーみたいに自分を傷つけた当人達を傷つけることは理解できる。そうならなかったのは、彼の当時の精神状態や、生まれもった性質のせいでそこまで考えられなかったということが理由なのかもしれない。

JOKERという映画のラストの捉え方は、人により色々あると思う。私は他の人がどう感じたのかが気になって、映画を観終わってから色んな人の考察を読んだ。こういうときにネットがあって良かったと思う。

それを踏まえても、JOKERそしてアーサーは全体を通してはかっこよくはないと私は思っている。ゾクゾクして鳥肌が立つほどかっこよくもあるんだけど、かっこよくない部分が大いにある。私と変わらないこぼれ落ちた人間でしかないと思った。私が癇癪を我慢できなかったみたいに、我慢できなくて手を出してしまっただけのように見えたから。殺さなくても幸せになれないかもしれないけど、殺したところで幸せになれるわけではないし。スカッとするかもだけどさ。

自分を受け入れてもらい、無理をせずのびのびと楽しく穏やかに生きられたならよかったのに。元々望んでいた幸せとは少し違うかもしれないけれど、それに似たあたたかい気持ちになれるものが掴めたらよかったのに。私はアーサーに対してそう感じて、悲しくて泣いた。

大抵の場合はそれが叶わぬことだと分かっている。綺麗事だと分かっている。それでも私は皆が幸せを感じて過ごせるように願ってしまう。世界の隅っこにいると感じているような人たちを私は特別に大切にしがちであり、そういう人たちに特に強くそう願ってしまう。あなたは1人だけど1人じゃないんだよ、って思ってしまう。結局自分のことは自分にしか分からないし分かり合うことはできないけど同じ空を見上げてる人はいると私は信じたいし、信じている。私がそう思いたいだけなのかもしれないけど。私はありがたいことに今はそれなりに幸せを感じているので、差し出がましいしお節介かもしれないけど、そういう人たちが手を伸ばしてくれるならば私もその手を引いて幸せを感じられるところまで引っ張りたいと思う。でも、私もこの社会を生きるために必要なことが少し欠けていて、正直自分のことで精一杯であり誰かを助ける余裕はないしそんなことはできない。とはいえ、たぶんあなたは1人じゃない。綺麗事でしかないよ、綺麗事でしかないんだけど、力のない私にはこんなことしか言えないんだけど、あなたは1人じゃない。たぶんあなたは私と同じ空を見上げてる。私は、私と同じ空を見上げてるあなたがどこかで生きていてくれたら嬉しいと思う。これを読んで何かを思ってくれたあなたが。

だいぶ意味の分からない文章になってしまった。でも、私はそんなことを思っているのでインターネットの海にメッセージボトルを流したかった。何の力もないし、直接は何もできないんだけどさ。あなたの延命のきっかけになればいいなとは思うよ。私も頑張ったり頑張らなかったりしながら死ぬまでは生きてみようと思っているから、どこかで一緒にいてほしいなんてわがままを聞いてくれたら嬉しいな、なんて。

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