なぜ大麻をテーマにした物語を書いたのか。「錯綜~GreenCrack~」あとがき
なぜ大麻をテーマにした物語を書いたのか。「錯綜~GreenCrack~」あとがき
この記事は、私の作品「錯綜~GreenCrack~」のあとがきです。
「大麻は悪い物ではない」
この当たり前に気付かない人がいる。
いや、当たり前と言ってしまうのは浅はかでしょう。
ですが、私は悪い物ではないと思うのです。
皆まで言うつもりはありませんが、そう確信しています。
体験というのは、その人の世界を変えます。
今まで生きて来た人生を変えてしまうのです。
ある意味人生を否定してしまうものなのではないでしょうか。
「今までやってきたことは、一体なんだったんだろう」
「意味があったのだろうか」
このように考えてしまう人もいるかもしれない。
特に真面目に生きてきた人ほど。
ただ、その中でも「大麻に救われた」という人を何人も見てきました。
「大麻のおかげで気付けた」
と言っていた人もいました。
私が知っている中では、初めて大麻を紙に巻いて吸った人たちは一年間ほどは、大麻に心を奪われます。
なぜならそこは、新しい世界だからです。
大麻を吸うとハイになるという感覚、それを「気持ち良い」と表現するのでしょうが、その「気持ち良い」という言葉は一般的に見て「不気味」だという感覚になるのだと思います。
薬物に対するイメージが悪いのは当たり前です。
日本ではそういった教育をしてきましたから。
それはそれでいいのです。
なぜならば本当に命を奪ってしまうような危険なものが存在するからです。
どんな状況においても、危険だという気持ちを忘れてはいけません。
それを知った上で大麻に手を出すのであれば、違法とされる薬物や植物の中では、一番安全なものと言えるでしょう。
「錯綜」の中でも描いたように、「脱法ハーブ」というものが存在します。
このハーブは、とてつもなく危険です。
なぜでしょう?
素人が法をすり抜けて作ったものだからです。
誰が作った物かも分からないお酒を、あなたは飲むことができますか?
なかなか難しいと思います。
脱法ハーブとは、誰が作ったかも分からない違法な物を無理に合法にしたものなのです。
本当に危険なのです。
だから「純粋な大麻がいい」ということでもありません。
大麻は必ずゲートウェイドラッグになりえます。
ゲートウェイドラッグとは、初めて体験した違法な成分のことで、その経験を通じて薬物へのハードルが下がってしまうことです。
大麻は悪いものではありませんが、様々な理由で違法に指定されているのだと思います。
利権なんかも絡んでくるのかと思いますが、過去の経験から違法にしているのでしょうね。
ただ、最近の大麻事情は変わってきています。
諸外国が一斉に大麻合法化へと舵を切っているのです。
その理由は、大麻には病を治す力があるからです。
テレビで、癌患者の友人に大麻を摂取させた人の話を聞きました。
癌の治療の副作用で食欲がなかったところ、大麻を吸った後に食欲が出てきて食べ物を食べれたという話。
最終的には癌患者の方は亡くなってしまったようなのですが、ご飯を食べれたことに心の底から喜んだそうです。
その他にも、癲癇の子どもの舌下に大麻の成分を垂らしたところ、癲癇の発作が治まったり、パーキンソン病にも効いている映像もあるのです。
この映像がフェイク映像だとしたら、それは心底くだらないと思いますし、事実でしょう。
違法とされるものを、ただ悪いものと決めつけるのではなく、一歩下がって俯瞰して見ることが大切です。
実際に大麻で命を繋いでいる人もいますし、大麻によって命を救われた人もいます。
と、このような事を語っても伝わらないのは分かっています。
植え付けられてイメージというものは簡単に払拭できるものではありません。
では、どうしたらいいか。
私は小説にしてみようと考えたのです。
元々は、私の親友からの提案でした。
「盲目の大麻栽培人がいるらしい」
このセリフから「錯綜」を書くことにしました。
この話のほとんどは、私の親友が考えたもので細かな設定、描写は私が加筆しました。
イメージは湧くのに、文字に起こせない人がいる中で二人で協力してイメージを文字に起こすことができたのです。
親友の思う大麻のイメージは、私の持っていたイメージと正反対のものでした。
彼の思う大麻は、心底明るいものなのです。
初めは疑問しかありませんでした。
ただ、彼が紹介してくれた洋画を沢山観た後に感じたのは、どの映画でも大麻のことを悪く言っている映画がないということでした。
大麻を題材にした有名な映画は沢山ありますが、ここでは省きましょう。
映画好きな私に映画の話をさせてしまうと終わらなくなってしまいますので。
と、このように執筆を開始したのです。
「錯綜~GreenCrack~」は、大麻と友情をテーマにしています。
内容には、復讐や心の変化などを組み込んでいるのですが、大まかなくくりとしては、現代ドラマ的な表現で青年たちの葛藤を描いています。
私自身が人生で悩んだ時に、いつでもそばにいてくれた存在が友人でした。
沢山いたわけじゃありません。
少人数です。
心の底から信じていた人を失った時に、本当に頼るべき相手が見つかる。
その存在は家族でなくても、今までの友人でなくてもいいのです。
新しく出会った人であってもいいし、時間をかけて仲良くなっていった人でもいい。
自分は一人ではないということに気付いてほしいのです。
最悪なことが起きた時に人は、焦燥感や喪失感に囚われます。
そして自分はこの世に一人ぼっちだと思うのです。
決めつけてしまうのです。
ですが、それは仕方のないこと。
なぜなら、自分の心は自分の心にしかないから。
自分の心を分かっているのは、自分しかいないから。
当たり前に反抗せず、受け入れるしかない場面もあります。
諦めて人に吐き出すか、自分自身と対話するしかありません。
自分にとってどうでもいい人に吐きだすこと。
本を読んで、散歩をして自分自身と対話すること。
方法は探せばいくらでも出てきます。
諦めずに生きてみて下さい。
探し続けてみて下さい。
冒頭から言いたいことを言っただけの文章になってしまいましたが、初めてのあとがきでしたので許してほしいです。
小説を書いてなにを伝えたいか物凄く難しかったですが、主人公たちがどのように生きていくか、主人公たちが生きている姿を想像しながら書いていくうちに、「生きること」の大切さを学んだ気がします。
二年かかりましたが、無事に書き終えたことを嬉しく思います。
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