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生死観、そして演劇、2023年夏

ままならぬ生活を送り続けている。
グダを巻くのはもういいにしなさい、と言い聞かせているがのっぴきならない。

19歳で上京してきて、もう8年になる。
数字にしてゾッとした。
頑固な私は未だに和歌山弁を愛用しているし、
関西弁ではなく和歌山弁なんて書くところにもまた頑固さがある。

25歳までに売れたい、を口癖にわんぱくに東京生活を送り、売れぬまま26歳が過ぎていった。27歳は数字が衝撃的でこそあれ、その余韻でグダグダと1ヶ月が過ぎた。
腐った大人も、気高い若者も、大好きな同年代も、しこたま見てきた。
全てを愛することは難しく、愛せる人としか作品が作れない自分を受け入れる程度の度量に収まりつつあることを、静観している。

小さな都会東京にて酷い仕打ちを受けたし、自覚≒無自覚含め酷いことをしてきたのだ、と思う。
感覚は麻痺していて、だから少し変わった人の枠を漏れなく頂戴しているのだけれど、よい塩梅、と唱えています。
そんな自分は天国に行けるのだと思う。

多分いつだって死にたい私は、人に殺されないくらいの心を手に入れた。
死にたいかどうか、とか、生死観を口にすること自体がサムい年齢にもなってきていて、自覚的に閉鎖していく。
10代の頃は若さを突きつけられたときに謙遜を装って『年齢なんて関係ないっす!』と必ず口に出していたけれど、年上になった時は逆のマインドを持ちたいと思っていたので、私は早く大人になった。
大人になった私は、子供になった。

私は、人と目を合わさなくなった。
単純にドライアイと視力の低下によるものが大きいが、ではない部分が多数を占めている気がする。

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その日、冷感マスクをしていました。
冷感をちゃんと信じているタイプなのですが、使い捨てではないのでメイクをしている日は付けられません。
マスク暮らしに慣れるのに3年は十分すぎました。
ひんやりをねとつきが上回りそうな梅雨。
ダブルカーテンコールの打ち切りに後ろ髪引かれながら会場を出ようとして、私は、認識されたました。
ひょんなことで認識されると、知性が一瞬暴走する。暴走がいい方向に働くことも、少なくありません。
『頑張ってる?』と2度目の顔、拝借。
『頑張ってる、つもりです… 』とフェードアウト気味の私の声。
『今度さ、一緒にやろうよ』とマスク以外が私を見ていて
『え』、きょとん
『書いたりする?』マスクの下の微笑みを受け取り
『書いたり、えっと、します』半分ホラ/残り希望
(中略)
『上演しようよ』
『え、したいです』
『出来たら見せてよ』
『はい』久しぶりに人と目が合って、
私は、公演のポスターの写真を撮るのを忘れた。

私だけじゃなくて、他の誰かにも同じ言葉を、きっと。これはご自由にどうぞ、TAKE FREEだぜ。
残念ながら複製された言葉だとしても、まだ素直に嬉しい、とおもう。

舞台演劇を、続けられるか分からなくなった昨冬。
いくつかオファーをいただいたものの、生半可な気持ちでは失礼にあたるので出演できません、と何日も悩んだ挙げ句正直にお伝えしてお断りした。

私はやっぱり演劇から逃げられない。
だけど年齢が許さない、スケジュールと、お金と、身体。自転車操業で不衛生に朽ちていくわけにはいかない。

『映像の人なの?舞台の人なの?』と耳のタコはもう破裂をしたが、
歌も歌うし、ラジオだってやるし(うまくはなせないけど)、声の仕事だってやる。
でも『私は私です、小池舞です』と言えるほど自我に飲まれてもいない。
答えに正解がないように、質問にも正解はない。

舞台は、時間も、金も、かかるね。
だから立つには愛、愛がないと、できないね。
全てないと、もうできない。

かなぐり捨てられる特大の愛に出会いたくて、ひとつずつ、宝物にしていきたいと、こんなことは気持ち悪いけれど、そう。

【はじめまして、小池舞です。
オフィスイヴという、映像の事務所に入っています。
舞台は、自分で決めて出演させていただくことが多くて、
あとは、吹き替えを宅録で撮ったりしています。
うさぎと暮らしています。よろしくお願いします。】

以外の私と、以外のあなたと、愛せなさと、気持ち悪さをきっとまだ抱えて、たまにどうしようもなくなったとき、誰にも助けを求められないのが人だから、そんな人だから、壊れないよう、少しずつ逃がしながら、
できれば目を見て生きていきたい。

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