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その先へ

「何かを変えたい」

そう思ったのは、管理職を離れ、仕事に忙殺される日々から解放され、穏やかな日常を過ごしていた、ある日のことだった。

自由な時間ができ、大好きな音楽や物語に触れる時間が増え、 好きなだけ物思いにふける時間があった。

だけど、それは、家と職場の往復と、顔なじみの友人との会話で過ぎていくだけの日々でもあった。
転職するわけでもなく、引っ越すわけでもない日常に、大きな変化がないと気がついたとき、限られた場所の中でしか生きていけないことに、焦りのような、ぞわぞわっとする気持ちを感じたのを覚えている。

「何かを変えたい」
そんな気持ちが、心の中に溜まりはじめていった。

そこで私が足を踏み出したのが、コミュニティという新たな「居場所」だった。
はじめに参加したコミュニティで自分が変わるのを感じて、今後も「何かを変えていきたい」と思い、コルクラボに参加した。

今回はその経緯を綴りたい。

ある日、ふと興味を引かれて目にしたアニメがあった。

『宇宙兄弟』だ。

アニメは一気に観終わってしまった。続きが気になり、漫画を読み始めた。あっという間に作品に魅了された。

そして『宇宙兄弟』には、ファンが集まるオンラインコミュニティ「コヤチュー部 オンライン部室(以下、オンライン部室)」があることを知った。
面白そう!と思い入ったその場所は、同じ「好き」を持ちよって、「好き」を話し、交流する場だった。

コミュニティのメンバーは年齢も職業も、生活の場も様々で、交流する度に新しい発見と刺激をくれた。オンラインでも、こんな繋がりが作れるんだ・・・!

次第に「好き」を共有する場がとても楽しくて、心地良いと感じるようになっていた。そして、オンライン部室に「居場所」を感じるようになっていた。

オンライン部室に入って、半年が過ぎた頃。

コルクの佐渡島さんが主催する「コルクラボ」の募集が目に留まった。

私が「居場所」を感じ、少しずつ変わっていく体感を得ていたオンライン部室も、コルク主催のコミュニティだった。

これからも「何かを変えていきたい」思いがあった。
その思いから、コルクラボ13期生募集を目にした瞬間、私は、応募フォームの入力を始めていた。

「学ぶ場」だけど、「授業」ではない。自分で得ていく場所。

そんなイメージが頭にあったせいか、飛び込んだコルクラボの雰囲気に、最初は固くなっていた。

だけど、コルクラボの中で耳にした「居場所」という言葉を思い出し、まずは「いる」ことから始めてみた。

定例会にそっと参加して雰囲気を感じてみる。同じ本を読んで感想を伝えあう読書会に参加してみる。ボードゲームを通してわいわい交流する場に顔を出してみる。

「いいことを発言しよう」と思えば思うほど、言動が固くなりそうだった。結果を残そうと頑張るよりも、先ずは、その場所に「いる」を目指してみることにした。

コルクラボで「いる」ことを選んだのは、私の中にある「いる」ことへのもやもやを、克服したかったからかもしれない。

職場では、先輩の指導に素直に従うことで、「いる」安心感を得ていた。

管理職になったら、周りの循環を優先し、周りが満足することが最優先だった。自分の中に嫌な気持ちや、苦手意識が浮かんでも気づかないふりをした。

「好印象を持たれる人でいなければ」と、強く強く思っていた。それは、鎖のように、私をがんじがらめにしていった。

「つーたんさんは、よく気がついてくれる。みんなの意見を受け入れてくれるから助かります」そんな風に言われることも多かった。
それって、めっちゃ好印象ってことだよね!よくやっているぞ私!と思っていた。これが私の、「ここにいる理由」なんだと、言い聞かせていたのかもしれない。

「好印象の自分」は、ときどき辛いこともあったけど、安心の方が大きかった。

だけど、だんだん、仕事や日常生活に支障が出るほど、心身の調子は崩れていった。

そこでようやく、自分を壊してまで「好印象な私」でいることが、自分にとって良いことではないと気づいた。

好印象でなくても、いい人でなくても、まずは自分に向き合って自分の気持ちを大切にしたいと思った。

だから私の中で「好印象」の象徴だった、「管理職」を辞めることにした。

こうして自分と改めて向き合う時間ができ、コルクラボで「いる」時間を過ごす中で、いろいろなメンバーの自然体を見て、触れて、自分も自分らしくありたいと思った。

本当は今までの日常でも自分らしく「いる」ことを望んでいたのに、結局出せないまま過ごし、押し殺してしまっていたのかもしれない。

自分の中の不安や興味を、限られた場所の中で消化しようとして、できなくて、息苦しくなっていて。でも、解消の場が他になくて、もやもやとしたまま過ごしたり、無理をしたりしていた。

「変化のない日々を過ごすこと」は、その状態から自分も変化できないと思ったのだと思う。

そのもやもやが自分の中でコミュニティという新しい「居場所」ができたことによって少しずつほぐれていく気がしている。

本を読んで、絵を描いて、妄想にふける日々に大きな変化はないけれど、ぞわぞわと感じていた焦りは落ち着いて、前向きな気持ちが増えていた。

この夏、キャンプをして、自分で選んで原付を買った。

ずっと興味があったこの2つ。今までは、自分の周りに挑戦している人がいないからと、手を出す気持ちになれなかった。以前の私だったら、挑戦しないで終わっていたと思う。

けれど、友人やコルクラボのメンバーに話していく中で、自分で決断して、一歩踏み出せた。

生活や私自身が、何かが大きく変わったわけではないけれど、考え方や景色は少しずつ変わってきたように感じている。

今も、「こんな考えがあるんだ」とか、「こんな風に思ったよ」と声を交わしていくことで、ちょっとずつ自分の気持ちが変化している気がしている。

まだ自分の変えたいものがなんなのか、はっきりと見つかっていないけれど、「何かを変えたい」という気持ちを、今は大切にして「いる」を楽しみたい。

そして、最近は、愛車と出かけることにわくわくしているよ。

自分で行きたいところに行けることが嬉しくて、今日も愛車を走らせている。

たどり着いた場所が慣れ親しんだところでも、晴れやかに見える気がする。

愛車と走る道の先も、自分の人生のこの先も、なにがあるのか。
今はとても楽しみだ。


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