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「地球は青かった」

(自己紹介と投稿頻度について)

こんにちは。お久しぶりです。

普段、「宇宙地球館」という名前で

YouTubeチャンネルで宇宙や地球に関する投稿をメインに

チャンネル運営をしたり、TwitterやFacebook、Instagramなどの

SNSでも「宇宙地球館」として(サブアカウントでウニウニとして)

緩く投稿しております。

その管理者である私ですが、今後は毎週月曜日に

note投稿をしていきたいと思っております。

同時にYouTubeチャンネル「宇宙地球館」は

毎週日曜日の19時をめどに投稿を予定しております。

何卒よろしくお願い申し上げます。

(人類史上初の宇宙飛行)

今日のテーマは、1961年4月12日に

人類が初めて宇宙に行った記念日です。

今からおよそ60年前、

旧ソビエト連邦(現在のロシア)の宇宙飛行士である

「ユーリ・ガガーリン」氏が

宇宙へ旅立ち、宇宙船「ボストーク1号」に乗って

約108分の飛行を果たした

ユーリ・ガガーリン氏

当時、空軍パイロット出身のガガーリン氏は当時27歳

何故彼に白羽の矢が立ったのかというと

ガガーリン氏の身長が160cm弱で狭い宇宙船に乗りやすかったこと

両親がコルホーズ(集団農場)の労働者で名前もユーリ

「ソ連がならではの人物」だったからというのが理由である

何よりも社交的で、印象的な笑顔が周りを引き付けたという

(地球は青かった)

1961年4月12日、国の威信をかけた一大プロジェクトの

メイン人物になったガガーリン氏は

一人用の小さな有人宇宙船「ボストーク1号」に搭乗し

高度300キロの軌道を約108分という短さ

地球を一周した

ボストーク1号(実寸大)

地球周回軌道に乗り、宇宙という未知の世界にたどり着いた

ガガーリン氏はボストーク1号の小さな窓から

人類が住んでいる「地球」を眺めた

その時ガガーリン氏は人類史上でもとても有名な名言を

残している

「地球は青かった」

宇宙から見た地球は青い

この名言が人類にとって「地球は青い」と認識させる

きっかけとなった

(一躍時の人となったガガーリン氏の末路)

地上に無事帰還していくと、ガガーリン氏は一躍時の人と

なった

4月14日のモスクワの「赤の広場」での記念式典では

ガガーリン氏は当時のソ連共産党書記長「ニキータ・フルシチョフ」氏

から計画を無事遂行したことで賞賛を受けた

ニキータ・フルシチョフ氏

ガガーリン氏は世界的にも有名人になっていったが

同時に短期間で自分の環境が激変したため、心身共に

ストレスが溜まっていき、常に疲労感が絶えなかったという

プライベートで訪れたクリミア半島の保養地では

二階のバルコニーから飛び降りて庭の縁石に額をぶつけて

眉の上に傷を負う大けがを負ったこともあった

しかし持ち前の明るさの人間性で

環境にも順応していき、再び宇宙開発の現場に戻るための

訓練を続けていた

しかしそんな矢先彼の人生の最後を待ち受ける

1968年3月27日、人類初の宇宙飛行をしてからおよそ6年後

ガガーリン氏は教官と共に搭乗した航空機を飛行中に

墜落事故を起こして、34歳という若さでこの世を去った

事故の原因は約40年後の2011年4月に

気象観測用の気球か鳥との衝突を避けようとした際に

操縦不能に陥ったとの結論付けされている
(当時のソ連政府調査委員会報告書が機密解除された)

人類史上大きな歴史を変え、地球は青いという意識づけを

させるきっかけとなった偉大な人物のあっけない最期

宇宙時代が到来している現在 ガガーリン氏の功績を

決して忘れてはならない

(YouTubeチャンネルで詳しく解説)

尚、ガガーリン氏や地球は青かったの詳しいエピソードに

つきましては、自分のYouTubeチャンネル「宇宙地球館」

10月4日(火)に詳しく投稿していきたいと思いますので

宜しければチャンネル登録を宜しくお願い申し上げます。

チャンネル登録を宜しくお願い申し上げます





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