short story series『知らない』  person 18

作・草場あい子

山下大助。52歳。
グレーに近い白髪。白シャツにズボン。黒いベルト。手に袋とコーヒー牛乳。

日曜。11時。いつも君と来ていた温泉。上がったら瓶に入ったコーヒー牛乳を買ってベランダへ行く。木で作られたベンチが僕たちの特等席だ。秋だ。肌に触れる風が冷たい。きっと君は寒い寒いと言って手を繋いで横にくっついて来ていただろう。でも君はもう居ない。去年病気になってそのまま。もうここに来ることはなかった。ずっと行きたいと言っていたが来れないまま。ここは君が好きな場所だったな。仕事が休みの日曜日。必ずと言っていいほど来ていた。いつも上がると瓶のコーヒー牛乳を1本買って2人で飲んだ。ほとんど君が飲んでいたけど。今日は1人で来た。君が居なくなって初めて。来るつもりはなかった。ただ君が最期まで行きたいと言っていたから。ただ君が行きたい所へ行こうと思った。車で30分。入浴券を買って。今日は1枚。初めてだ。温泉に入って、コーヒー牛乳を買っていつものベンチに座る。何もない。楽しくない。毎週来ていたここは君が居ないと何もなかった。たださっき買ったコーヒー牛乳が冷たい。
僕はいつも君のこと名前で呼ばなかった。名前を呼ぶのが嫌だったわけじゃなく面と向かって呼ぶのが恥ずかしかった。だから今も君とか。でも今度会った時は名前で呼ぶよ。君は君じゃないから。
いつの日だったか、ここで見た君の横顔。日が差して眩しかった。けど、好きだったよ。祥子。

2018年11月15日

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