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2021/8/21 オーレリアンの兄妹


小沢道成さんの新作。

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本日、千穐楽でした。

いつもならスイスイ進むはずが、今回は全くと言っていいほど手が進まなかった。

でも、これは言葉にしなければ感情が失われる。
中村 中さんの曲を聴きながら少しずつ書き進めた。

結果、うまく繋げられない文が出来上がった。
また自分で読み返した時にフッと笑いそうなそんな言葉たち。





公演前の偶然


開場2時間ほど前。
お店の前に飾ってある植物に惹かれ、カフェに入る。
蝶々の標本や鳥の剥製を飾ってあり、木のテーブルや植物が興奮を落ち着かせてくれる。


お母さんが、マスターらしき初老の男性に「標本を作ると刺す時可愛そうとか思わないんですか」と尋ねる。
答えが気になり、こっそり耳を傾ける。


「人間は注射するでしょ、あんな感じなの」


そうか、たしかに細い針だから注射という表現もありか。
「今度やってみよっか」と幼い子どもに話しかける。「うん!」
その視線の先には綺麗な蝶々の虜になっている。
こうして命を知る方法もある。
生きているときは近くで見るがなかった生き物も、標本や剥製になることで今出会ったのか。
そんな不思議な縁に、今日の作品について考える。
兄妹の話だけど、親子の話でもあるのかもしれない。

作品のHPには蛾が登場していた。何が関係しているのかわからないけれど開演がより楽しみになる。


蝶々の羽の繊細さを知らずに羽を手で掴み、弱らせて飛ぶ自由を奪ってしまった記憶が蘇る。
全く思い出したことのない出来事だったけど、小沢さんの作品を通じて過去の何でもない記憶が呼び起こされるこの不思議さに自分でも驚いてしまう。




舞台美術

開演前、ディズニーのインディ・ジョーンズに似たレンガの壁が立ちはだかる。
おそらく開いて全景が見えるのだろう。
横にスライドするのかと思いきや、後ろに開く!!(奥に開くと空間が広くなったように感じるのね。不思議!)
客席から登場する兄妹。
そうか、客席側が玄関なんだ。
レンガ調の壁を押したり引いたり、クローゼットやキッチンが現れる。
AI搭載の冷蔵庫(会話もできちゃう!!)がすごく好き。
次から次に出てくるに目が追い仕込みに目が追いつかない!!


鶴かもしれない、で初めて見た壁の仕込みを進化させてる・・・!

窓に降る雨の表現(実際に水使ってる!)もどんな道具を使ってるのかも想像がつかない。



セリフ

兄と妹、この関係を象徴するかのように兄は「晃子」と呼び、妹は「お兄ちゃん」と呼ぶ。
妹は兄の名前を呼ぶことはない。
家族の関係に縛られている象徴なのか。

歳の差がある兄妹は無意識にそう呼ぶ家庭が多いらしい。


そして時々家庭の回想も、中村さんを通して入ってくる。
母の強い言葉と暴力。
逃げてきた2人だが家族に囚われている。

だが物語が進むうち、妹はずっと言えなかった想いをぶつける。
「私は我慢できたのに」「私は私!」「私は自分がしたいって思ったことを言ってるだけ」

兄は戸惑い、妹のためにとった行動を否定されるうちにわからなくなってしまう。
最後の結末は観た人によって解釈が別れるので書かないでおこう。




音響

冬の風のような、強い風と森の葉が擦れる音が開演前から響く。
夏なのに心なしか寒く感じてしまう。

玄関の扉を開けたとき、閉めた時。
籠った音から急に大きくなりハッキリ聞こえるのは映画やドラマと違って、より体に染み渡る。


自然であまり注意深く聴けなかった・・・
気にならなかったのは、作品に自然に寄り添えていたからだと思うことにする。



劇中歌

ミュージカル苦手な友達が「急に歌い出すのが違和感」と言っていた言葉を思い出す。
確かに・・・。
創作メモにも書いてあったけど、なぜ歌うのか?を考えて人物が急に歌ってもおかしくない設定を組み込んでいる。
「鶴かもしれない」では「歌ってよ」と言われて歌い始める。
今回は兄を穏やかに寝かせる子守唄、部屋の作りに興奮して思わず歌い出す。
ワクワクして口ずさむ鼻歌。
どれもタイミングに違和感はなかった。


中村 中さんが担当の曲は蝶々の軽々とした羽ばたきと、蛾のベタっと止まっているニュアンスの雰囲気の曲。
(うまく言えないのが悔しい!!)


最近は鶴かもしれないの「どん底」をずっと歌っていることに気づく。
何かに絶望して、少しでも良くなりたいと願っている。
日常の幸せを歌う曲。
どん底でいいんだ、あとはもう上がるだけ。



知りたかった謎

いつの日か滋賀に向かっていた小沢さんのツイートの理由を知る。そして蛾と作品の関係性も。
私は行けないけれど、小沢さんが行ってその世界を作品に投影している。

それだけでいいような気がする。

そっか、自分で全て行かなくてもいいのか。
「いろんな場所に行けたら刺激を受けられるし、考えを知ることができる」と言った人に言いたい。
「一生は限られている。だったら他の人がみた場所を、感じた想いを、作品で感じたらいいじゃないか。
そのままの景色は見れないけれど、作品で綴られている。全て自分で見ることがいいとは限らないじゃないか」




オーレリアンとは

今回の題名について考えてみる。
芝居を観た人が「オーレリアン」をどう訳すのか知りたい、と仰っていたため。
うーーん、小沢さんの解釈がぴったりすぎて他に思い浮かばない。
また時間が経ったらわかってくることがあるかもしれない。

自分の意見をずっと言えなかった妹が、殻を破るように想いをぶつけるシーンは重要なシーンだと思う。
だんだん殻を破る妹と、それを見て戸惑い自分がわからなくなる兄。

「もがく」「分かり合えない」と今は訳すのかもなぁ。




観劇後


母と妹と家族の話をしました。
母は3人姉妹で育ち、それぞれあだ名で呼び合っていたこと。
親戚で集まった時にそういえば3人ともあだ名で呼ぶし、その影響か私は名あだ名で叔母たちを呼ぶ。
その影響か、母は年の差がない私たちを「姉」「妹」と区別させることなく育てました。
だから「兄妹いるの?」と聞かれた時にいつも困ってしまう。
名前を直接出しても知らない人だから、違和感を感じながら「双子の妹がいます」と紹介する。


でも、そのおかげで私たちはずっと仲が良くいられるのかもしれない。

両親に感謝です、早く何も気にせずに帰りたいなぁ。



最後に

創作メモだけでなく、YouTubeでも活動を観ることができるようになった。
今は来年上演の「鶴かもしれない2022」の1年を追った動画。毎週日曜20:00更新!!
メイキングやNG集を観るのが好きな私にとっては、至福の時間。
仕込み中の劇場の様子や、作品を観るだけではわからない想い。


でもやっぱり文字。言葉は不思議だ。すぐに消えてしまうものだから、文字として残されるパンフレットを買ってしまうんだろうなぁ。


そしてもう来年を見据える小沢さんの次回作

「鶴かもしれない2022」
鶴の恩返しを現代に置き換えた本作は2016年の初演以降、進化し続けている。
衣装も音楽も美術も一からの、全く別の作品ができるに違いない。
「実はね・・・」と2021年に彼から聞いた演出案はどうなっているのだろう。そのシーンの演出も含めて早く観たいなぁ。

観終わった後に嗚咽してしまうほどに苦しく、励まされた私もまたどんな感情になるのかを楽しみにしている。


彼の作品がもっとたくさんの人々に届きますように!!









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