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一人でいる時に成長する
とある本で読んだ。
誰かから聞いた言葉をすぐ使おうとしても、心の中で違和感を抱えながら言ってしまう経験はありませんか?
それは、その言葉が自分の中に入っていないからです
みたいなことを書いてあって、それを先日友達と話している時に気づいた。
自分は今、ちゃんと理解して言葉を話せてる。
それは普段、自分で自分に言ってるから。(怖い)
台本を覚える作業に似てる?
作られた言葉を覚えて経験していないことでも、あたかも経験したかのように話さないといけない。
そのためにモデルになったキャラがいるなら本を読み可能なら話を聞く。
それができない役なら街で人を観察したり、ひたすらに想像をする。
今まで動き続けた結果、1年後に全く同じ悩みはないし、周りにいる人が変化してるって知ってるから
今も足掻いていられるんだよね。
って言った時に腑に落ちたのを感じた。言葉の節々に強調が入ってくる。
中学生くらいにわかってたことなんだけど、人に話すと驚かれたり「そんな考え方があったんだ」って発見するのを見るだけでも嬉しい。
物だけじゃなくて、言葉でも誰かに発見を与えられることがあるんだ!
経験を積むたび、心から安心できる場所がなくなっていく。失敗していいよ、辛い時こそ辛いって言ってねって言ってもらえる場所はいくつあるだろう。そんな場所にいれることが幸せだなぁって思う。
そして、無意識に使っている言葉たちを想う。
書いているときに大幅な編集は基本的にしない。
リアルを大切にしたい。
文字を見るたび、そのときの感情を思い出せるから。
一気に書けないときがやっかいだったりするんだけど...
あぁ、何が言いたいんだっけ。
となって題名を見返すこともしばしば。書きたいことがあって題名をつけるが、書いてるうちにいろんなところに派生して全然関係ないことを書いたりする。
それくらい自由でいいか。
「〜しなきゃいけない」無意識が検閲と聞いたんだけど、まさしくそうだなって。
今月は誕生日。
いつも出会いと別れが繰り返されて、ずっと慣れることはないんだろうけどこのままでいい気がしている。
慣れてしまったらきっと、出会いに感謝はしないし別れを寂しく思ったりできない。
またね、と言ったきり最後になった人。
次はいつ会うだろうね、と別れたら半年もしないで再会する人。
彼ら、彼女らは私を覚えているのだろうか。
覚えていなくてもいい気がする。
出会うべき時に出会う。再会するタイミングもいつかはあるかもしれない。
1mmでも進んでいれば、1年後は自然と変わっているって知っているから歩き続くことができる。
先月から急に人生が新幹線のスピードで進んでいて、まだ色々追いついていないけれど楽しみなことばかりが待っている。
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