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小説「秘書にだって主張はある。」第五話
五 面談
1月5日(木)0955
今回の相談役との面談調整は総務部長が買って出てくれて、柊邸で次の日である今日1000に実施することになった。部長は部長で、なんだかんだ気を遣ってくれているらしい。それはしょうがない。私との約束を守らなかった彼が悪いのだ。
恭子は、一度、柊社に早めに出社してから、あらためて出発し、約束の時間の5分前に目的地である柊邸に到着した。
その時に感じたが、「邸」と言っても、それほど豪華絢爛といったおもむきではなくて、その代わり質実剛健といったイメージが強かった。我が社の業務内容に沿ってセキュリティの設備も十分そうである。
それでも「宅」と呼ぶには、部屋数に余裕がありすぎる感が否めない。そこに社長、相談役つまり優典の父母は2人だけで住んでいるようだ。その他、家政婦は1人で住み込みと、優典から聞いている。つまり、正確には3人で住んでいることになる。
そういえば、相談役の秘書っていないよね。多分非常勤だからかな。
玄関で出迎えてくれた家政婦に、書斎へ案内されたが、席むこうにはまだ相談役の姿はなかった。恭子は指定された席に座って待つ。
さて、今回の面談にあたって、恭子が総務部長に願い出た意見は「できるだけ目立たない」ようにすることだ。
ということなので、カモフラージュとして、相談役の書いた社内広報の原稿を受け取りに行くという、単なるお使いの様な設定をわざわざ作った。
そして、普段の事務服ではなく質素な私服と、用もないのに、書類用バッグを用意して訪問している。なんだか自分らしくない気がして落ち着かないでいると・・・。
相談役が書斎に入ってきた。
恭子は、立ち上がった。
正式に面会するのは初めてなので、ここはとても大切なところ・・・。
「初めてお目にかかります。総務部長付、伊藤恭子です」
自分の流儀どおりに角度10度ほど上体を傾けて、丁寧にご挨拶した。
「あら、ありがとう。でも私は、はじめてお目にかかる気がしないわ。それでも礼儀ですものね。相談役柊佳子(よしこ)です」
「昨日のことですが、初めて総務部長から相談役も、能力者でいらっしゃるとお伺いしました」
と、そこで、はじめて二人の視線が合った。
確かに能力者だ。これだけ近づくと流石にはっきりと感じる。
そして、何かが恭子の記憶の糸に微かに触れた。
以前にも、こうして会ったことがあるような?でも、当たり前のことか。相手は役員の一人なのだ。
「私は、相談役といっても非常勤でめったに本社には行かないからこうしてお話しするのは本当に初めてね。もっとも会ったらその時点で互いに能力者だとわかってしまうから私もこの機会を、いつにしようかと見計らっていたのだけれど・・・」
「えっ。と、言うことは総務部長はかなり前に相談役へ私の能力のことをお話になっていたのですか?」
「そうね、あの子は『今日はね、なんと会社で能力者を見つけたんだ。・・・』と言って私に話していましたからね・・・」
はあー、と恭子は心の中で大きくため息をついた。優典に能力がバレた時点、すなわち自分が秘書になりたての頃からすでに相談役は知ってしまっていたのだ。恭子は、もう諦め気分で、しょうがなくそれを心のうちに飲み込んだ。
「そう言えば、あなたの能力は感情操作だそうね。うらやましいわ」
「わたし操作系にあこがれているのよ。私は空間転移能力なの」
え、空間転移能力?
それは、この前の夢であった例の彼女の能力・・・。
そういえば雰囲気というか佇まいというか、とても「立派な」感じだ・・・。
背格好もこんな感じだった。けれど、この雰囲気は、相談役という立場なのだから当たり前か。
そこで、ようやく極めて単純な点に、思い至った。
年齢がまったく違う。
先日の夢の女性は25、6。相談役の見た目年齢は、かなり若く見えるものの、せいぜい50台前半。
見当違いだ。
なぜ、こんな簡単なことに気づかなかったのだろう。
恭子は、実はかなり混乱していた。しかし、そうと口には出せずに、そのまま、二人の会話は促された。会話も自然と保守的な発言に偏りがちになる。
「私的な考えにより、なるべく所有している能力は職務に使用しないように気を付けております」
「残念ね。感情操作と秘書なんて、まさに適材適所なのに。その能力で社に貢献してくれないの?」
相談役の不満そうな顔に、ちょっと申し訳ない気持ちもあるが、これも、恭子の信念によるものなのでやむを得ない。
「もちろん上司の総務部長には禁止されておりませんので・・・」
「ですので、やむを得ず、他に方法がないときだけは使用しております」
「なるほどそうなのね。わかったわ・・・」
「ところで、常盤ラボの件だけど。なんでそんなにこじれちゃってるの?」
確かに前置きは長かったが、訪問用件の本題とは全く関係のない話題からの転換だったので、いきなり感がスゴい。しかしもちろん恭子も勉強してきたので、大丈夫だ。ついて行ける。
「営業部門が納めたRT分光干渉測定器の能力について、再現性には全く問題がないと、聞いております」
「納品時期は3カ月ほど前で、我が社としては契約時の仕様性能を技術的に満たしていたので、突っぱねているのですが、あちらはサービスで何とかならないかと、食い下がっているところです」
「これまで、3度に渡り耐久性について要望があると先方から訪問を受け、次回から総務部長が対応することになっております。昨日、社長指示をいただきました」
「あちらの本音は?」
「本当に、仕様以上の耐久性能保証を求めているようです。具体的には、無償定期点検のような」
「総務部じゃ、なんともならないじゃない」
「おっしゃるとおりですが、営業部としては、契約外の、しかも利益が出ない対応はするつもりがないようですし、うちもさせたくありません。ですので一般的なクレーム対応の手順を踏むことになるかと・・・」
ほんの一拍、相談役は考えた。
「そうね。多分だけど、事情があるんじゃないかしら。例えば軍とかね・・・」
「軍ですか?」
全く思いつきもしなかった。
「そうね、確実ってわけじゃないけど」
「何か根拠がおありで?」
「いーえ。勘よ」
「なるほど」
「でもね、別の会社で過去に似たようなことがね・・・。そう言うのは『経験』って言えない?」
「恐れ入ります」
それに、ただの経験しては相談役の表情は自信ありげだ。
「常盤ラボが、軍の役務受注を受けているのは一般公開されている事実です。その仕様について、同じく軍から耐久性を求められているとなると、確かに話は通ります」
「そうね、ただ、我が社の機器の仕様には、メーカーからの情報も踏まえて、十分な耐久性マージンを確保しているわ」
「特に軍は、独自の製品データーベースを持っているから、そんなに無理難題を言ってくるとは思えないし」
「うーん、常盤ラボの勇み足かしら?」
相談役は少し考えこんでいる。
恭子はそっと控えた。
「軍にいい所を見せて、今後の契約を確保しようとしているってところかもしれないわね・・・」
「もし軍が関係しているとして、総務部はどうすればいいのでしょう」
恭子は、聞いてみた。
「常盤ラボには直接ねじ込まないでよ。いいわね。大切な顧客なんだから」
「承知しました。まずは一般的なクレーム対応の手順は排除します」
「んー、せめて軍との関係性がはっきりしていればねー」
恭子には相談役の考えが、なんとなくわかった。ちょっと政治的、倫理的な話で、もっとこじれれば、軍と柊社がつるし上げられることになるのだ。
具体的には、官民癒着とかを、マスコミなどに取りざたされる恐れだってある。
そうなれば今後、軍関連の受注を、受けることは難しくなる。
日露間に停戦合意がなされた今となっても、日本の軍事費はGDP15%以上を確保したままだ。
軍備増強の対象である北海道、東北地域に顧客を抱える柊社にとって、その影響はとてつもなく大きく、社運を左右するといってもいい。
「しょうがないわね。軍の人間を、あなたに一人紹介するわ」
「えっ!!!」
「相談役。だって今ご自分で、せめて関係がもっとはっきりしてれば、とおっしゃったところですよ」
本来、「だって」は秘書の発言として、ありえない。けれど今回だけは、ついつい出てしまった。
軍なんて、能力者の恭子にとっては、いつ拉致されるかもしれない「謎の実力集団」に等しい。
しらない。イヤだ。怖い。
そして関わりたくない。
「かまわないわよ。道彦(みちひこ)は、軍の人間だけど私の息子だもの。優典の弟よ。本当に知らないの?」
「それでも「会社の顔」たる総務部長の秘書なのー?」
恭子は、深く頭を下げているふりをして、本当は、恥ずかしくて上気し、ただ絶句していただけだった。
*
帰り道、恭子は熱っぽくなった頭を、冷たい風でさましながら、相談役との面談を、ひとり思い起こしていた。といっても、あの後のやり取りは極めて簡潔で、3分もかからなかった。
恭子にとっては、社の重要事項に思えるのだが、相談役はまるで夕食のメニューを決め、家政婦に言いつけるような振る舞いで丸投げした。
具体的には、携帯電話番号を一つだけ伝えただけなのだ。
ん、あれっ。なんだろう?
何か忘れている。この残念感。とても重要なこと・・・。
しまった!
恭子自身が能力者であることを、周囲に漏れないように、口止めをお願いするのを忘れていた。
なんとかして機会を作って、頼み込むしかない・・・。
ぐったりして帰社し、いつものお気に入りの地味な事務服に着替えて、ちょっとは落ち着けたはずなのに、早速、部長に呼ばれて、面談内容を報告をしたら、なんの驚きも示さずに、相談役の命を追認して、恭子にねぎらいと労わりの言葉すらかけず、執務室へ引き上げてしまった。
ちくしょう。逃げられた。
それでも恭子は、与えられた業務を果たすべく、今日中には、気合を入れて軍人、柊道彦に連絡をとるつもりだった。
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