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小説「秘書にだって主張はある。」第十二話

 十二 旭川

1月12日(木)1250
 運転が始始まってしばらくして、ふと、恭子は道彦があまりしゃべっていないことに気づいた。
 なんとなく、らしくない・・・。
 恭子は、もしかしたら運転に集中したいのかと思って、喋りかけなかった。意外だが、あまり上手くないのかもしれないと思った。
 30分ほど、道彦の車で移動すると市街に入った。そして、レストランとかにしては、ちょっと広すぎる駐車場に停めて、恭子を降ろした。
「お腹が空いているかもしれないけれどごめんね。後回しにして、来てもらいたい所があるんだ」
?こんなところに、と言ってもただの駐車場なのだが、一体なんの用なんだろう。
「カートは車に置いたままでいいよ」
 道彦の表情は、先ほどよりもやや厳しい。
「わかりました・・・」
「知ってるかもしれないけれど、ここは君が小さい時にいた頃は道立旭川美術館だった建物だ。そして、今では北海道庁から移管されて、この旧常磐公園(ときわこうえん)全体を軍が管理している」
 恭子自身は、常磐公園にはもちろん来たことがある。旭川市の中心にあるとても有名な公園だ。しょっちゅう遊んだこともあり、とても懐かしい。ただし来たことはあるが、この建物には入ったことがない。今もただの公園管理棟かと思っていた。
 道彦はウェストポーチから鍵を取り出し、ドアノブに差し込んで回し、玄関から入って建物の奥へスタスタと先に歩いて行った。恭子はその薄暗い通路を、恐る恐るその後に続いてついて行く。
 そしてエレベーターに2人で乗り、地階のボタンを道彦が押す。
「そして原則、非公開だ・・・」
 道彦がひとりごとの様に恭子に言う。
 エレベーターを降りて、地下に入ると、床は化粧石板貼りで、小さなお墓の「ようなもの」がびっしりと床に、綺麗に等間隔で並んでいるのを恭子は見た。
 数は百をゆうに超えると思われるほど多く、中央には高さ1mほどの石碑らしきものも建てられ、全体的に調和が取れるよう、きちんと整えられている。
 こんなに沢山あるのに、なぜだかとても寂しげだ。
「なんですか、ここは?」
「なにって、見たままさ、墓標群だよ。ここは『統合軍旭川記念墓所』という」
「こんなにたくさん・・・」
 恭子は無意識に近づいて行き、しゃがみ、手を合わせて、しばらくの間、目を瞑って祈った。
 道彦はと言えば、恭子と墓標を見つめながら、そのあいだ黙って見守っていた。
「・・・」
 そして、恭子が手をほどくと、道彦は、ようやくつぶやくようにこう言った。
「これが、露西矢国の破壊工作による軍の被害者だと言ったら信じてくれる?」
「なんですって?」
 不意をつかれたような感じがして、恭子は聞き返した。
「今、言ったままさ」
「でも、そんな事件報道、聞いたことがありません」
「そうだね、箝口令が敷かれている。それにマスコミも知っているんだ、公表しても国益にならないって。彼らの活動は、この国の、安定した経済基盤の上に成り立っているんだからね」
 道彦は、なにを話しているのだろう?
 恭子は少し怖くなった。
「ぼくが君に話せる範囲で、君に事実を伝えようと思う」
「露西矢工作部隊は、1チーム非正規軍人5名程度で構成されていて、改造漁船で、我が軍の沿岸防衛隊の間隙をついてゴムボートに乗り換え、日本国内に侵入した。そしてそこから陸路で旭川に向かうルートを、基本行動としている」
「所持していた兵器は小銃などの通常兵器の他に、作用時間が極短時間型の化学兵器もあった」
「そして実際に、それは使用されたんだ」
「たぶん、ぼくらのいる統合軍司令部の管制機能を一時的にでもシャットダウンさせて、直後に北島を弾道弾ミサイル飽和攻撃かなにかで無力化するつもりだったんだろうね」
 沈黙しながら恭子は、冷静になって考えていた。
 北島が襲われる?今更そんなことしてなんになるというの?
 もしも。もしもだ。北島が露西矢に占領されたらどうなるんだろう・・・。そんな恭子の考えは道彦の次の話で中断させられる。
「現在、北島には、もちろん日本軍が駐留している」
「正面兵力の概数は、陸軍1個師団、空軍2個戦術航空隊、2個警戒管制隊、海軍は軍港を2個整備して、艦船を必要時派遣する態勢をとってる」
「そして民間人は軍属も含めて、1名たりともいない」
「軍のホームページにも載ってるよ。まさにハリネズミだ」
「だから司令部を狙ったんだろうね」 
「作戦内容から、あちらの混乱ぶりがみて取れるようだよ」
「潜入してきた工作員は身分を隠していたが、遺伝子情報分析により、露西矢人であることは確実だった」
「ちょっと待ってください!そんな大事なこと、一民間人である私に話して大丈夫なんですか?」
「もちろんだめさ」
「だめなら話さない方がいいんじゃ・・・」
「君については、特別に公安庁、警察庁とかに頼んで住民データーベースを調べてさせてもらった、本当に済まない」
「君の素性には何の問題もなかったよ」
「だから、大丈夫さ」
「ただ、ここで今、聞いたことは、母以外には誰にもしゃべらないでね。母は君と同じく審査済みだから問題ないけど・・・」
「何が、きっかけだったんですか?」
「さあ、なんだろうね。たぶん、さしてたいしたものなんてないだろうさ」
「現在、日露両国は、正式には休戦状態なんだ。そして国際常識的には、それは、いつ武力行使事態が再開してもおかしくないってことだ」
「まあ、個人的見解を言わせてもらえば、多分、あちらの首脳あたりが至上主義的な思想に囚われて、軍部の立案した無謀な作戦に手を出したってところじゃないかな」
「そんな・・・」
 本当にたいしたことじゃないだけに、恭子はやりきれなかった。
「ここには、全部で百三十もの柱が祭られてる」
「工作活動は、不規則な間隔で計8回行われた。なかでも一番、人的被害が大きかったのは前回で、1ヶ月ほど前、昨年末の事件で、軍人30名の生命という、多くの犠牲を出してしまった」
 恭子は、何も知らずに年末行事を迎えて目がまわるほど忙しいと思っていた東京の柊社での、いつもどおりの業務の緩やかな流れと比べて、今目の前にしている情景との間には、とても大きな隔たりがあるのを感じた。
 そして同時に目の前の墓標群に申しわけがない思いで、なんだか息が苦しくなってくるような気がした。
 見方をかえれば、この犠牲者達は、自分たちのその「あやうい平穏」を守ってくれた代わりに死んでしまったことなるのだ。
「ここのことは犠牲者の遺族以外には伏せている。そして長くなったが、柊社が関係してくるのはこれからだ」
「え、うちの社が?それはないでしょう」
 その前置きを聞いて、恭子はその後の話を聞きたくない気分になった。我が社が人の死に関係しているですって?そんなことあるはずがない。だが、もしもそうなのなら、聞くのは社の人間として義務では・・・。
「我が軍は、同様の露西矢軍の工作活動が今後も続くと睨んでいる」
「外交手段でなんとかならないの?」
「両国の外務省にそれができるのなら、とっくに戦争は終わってるって・・・」
「それで、とりあえず我が軍は、敵の化学兵器になんとか対処しようと考えた」
「それじゃ、軍は、対抗手段のために化学兵器を開発したってこと?」
「化学兵器そのものじゃない。対化学兵器の開発だ。つまりは攻撃を受けた人間に使う治療薬だよ」
「治療薬だったら、軍が独自に開発するのではなくて、民間に作らせればいいのに」
「もし民間に全てを委託して、開発していること自体を露西矢に知られてしまったら、その治療薬でも効かない化学兵器を、開発されてしまう恐れがあるんだ」
「そんなことになったら、いたちごっこだ。果てのない競争を加速させてしまう。そのための秘密さ」
 それは、そうなのか。
「ここからは、帰って誰にでも話をしてもいいよ。なぜなら公開してある話だからね」
 恭子は、半ば信じたくない気持ちのまま、ある可能性に気づいて顔を上げた。
「わかってくれたみたいだね。柊社が常盤ラボに卸した分析機器は、この治療薬開発に関わっていたという訳さ。もちろん軍で全てを開発して完結することは不可能だからね」
「そして軍の誰かさんが、常盤ラボに予算不足のグチをもらした」
「そういうことです」
「本当に先読みの力があるなぁ。予算が足りないんだよ我が軍も。経費節減のためだと思って大目に見て欲しいな」
 恭子は先週、調べた取引データを思い出して、いまさら常盤ラボが、汎用の分析機器を一通り買い揃えていた目的、すなわち分析行程のラインを増設しようとしたのだということを、ようやく理解した。
 もし仮に、我が社が契約をたてにとって常盤ラボに真相を追求したとすると一体どうなるだろうか。決して先方にとって好都合にはならないだろう。あの会社は少し無理をしすぎたのかもしれない。もちろんひいては軍にとっても・・・。先日、相談役が恭子に、常盤ラボにちょっかいを出さないでと言った指示とも整合する・・・。
 などと恭子が思索していると、話の進め具合と同じく、行動も速い道彦は、さっさと立ち上がり、すでに階段を登って行こうとしていた。
「もう、ここはいいの?」
 と聞くと。
「ああ、君は僕の仲間たちへ、丁寧にお祈りをしてくれたじゃないか。それだけでも、もう十分ありがたいよ」
 階段を登りながら、穏やかではあるがに真面目な顔で道彦は答えた。
 しかし、車へ戻ってくると、道彦は別人のように気さくな表情に戻っていた。
「さて、旭川といえば、やっぱり旭川ラーメンでしょう。だけど、その格好はどうしたものかなぁ?別メニューも考えているけれど・・・」
「大丈夫です。コートを脱げば、ただのビジネスパンツスーツですから」
 恭子はコートの身頃を開けて見せる。
「あら、そうなんだ。確かにビジネスウーマンも、たまに食べにくるけどなぁ」
 道彦は軽く2回ほど頷きつつ、「そりゃそうだよなぁー」と聞こえないほど、小さくつぶやいた。
「どんな服装を、期待されていたのか知りませんが、私は大体地味めな物が好みですよ。秘書はそれが基本ですから。それに今は冬で、しかも出張中です」
 道彦のちょっと残念そうな顔を見て、恭子は少し笑ってしまった。
   *
 お昼ご飯のラーメンは、醤油と豚骨の合わせスープでコクがあり、とてもおいしかった。
 女性の中には、ラーメン屋さんは男性客の割合が多いから一人では入りにくいという人もいるようだが、恭子は平気である。
 もっとも今日は一人じゃなかった。
 旭川のラーメンは店毎に特徴があるが、この店は、気のせいか懐かしい気がして、もしかしたら、小さい頃に食べた味に近かったのかもしれない。
 素直に感想を言うと道彦は嬉しそうに「そう、それはなにより」と言ったっきり、あとはただ頷いてるだけだった。一人でももちろん平気なのだが、二人は二人でそれもいいんじゃないの、なんて思いも持ちながら、恭子は麺をすすっていた。


     つづき 第十三話 https://note.com/sozila001/n/na768d88aa5a3

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