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小説「秘書にだって主張はある。」第三話

 三 「顧客」

海生5年1月4日(水)1100 柊(ひいらぎ)社
 年末年始の休暇も終わり、東京に帰ってきた恭子は、張り切って就業体制に戻っていた。
 今日から、めでたくお年始営業だ。
 恭子の勤める、柊社は、東京都千代田区神田にある卸売商社で、商品は主に化学分析機器を取り扱っている。
 資本金は、2,500万円。中小業種でも古参であり、その中でもそこそこ大きく、近年の業績も安定している。
 所属と配置は総務部部長付、つまり、恭子の職は「秘書」なのである。
 総務の仕事は、会社全体に関わると言えば聞こえはいいが、花形の営業部とは違って、雑務的なものを何でも引き受ける部署で、地味と相場が決まっている。
 しかし、秘書ともなれば、立場も考え方も若干異なる。
 上司の総務部長を通じて、会社経営の中枢部分に触れているのを身近に感じることがあるからだ。
 抜擢された時には、表には出さなかったが、内心はとても嬉しかった。なにしろ会社では、社長、総務部長、営業部長、技術部長の4人しか秘書は付いていないのだ。
 ただし、本当は不安もあった。もちろん仕事上やっていけるかと感じてはいたのが、それは大したことなかった。では、なぜかというと、社員の中で目立ってしまうのが嫌だったからだ。秘書は目立つ。目立ってしまうことは能力露見の観点から極力避けたいと心に決めた。
 つけ加えて、この会社は、穿った見方をすれば、いわゆる一族経営に近い。恭子が秘書として付く総務部長は、柊優典(まさのり)といい、年齢33歳、妻帯者、子供はまだいない。そう、柊の名を持つこの人も一族の一人だ。
 部長連の中でも、優典は優遇されているのではと思う。具体的には社長である父と、相談役である母をもち、若くして総務部長になり、将来は社長を継ぐであろうとも言われている。
 しかし、彼はちゃんとした大人なのだと感じている。恭子が秘書になって一年、特に親離れしてないとかそういったことは一切感じたことはないからだ。年齢は、33ではあるが、同年輩に似合わず、優れた判断力と忍耐力を持つ、よき上司である。
 振り返ってみると、恭子が、柊社に試験を受け新規採用になったのは海生2年。ちょうど能力が発現した頃だ。
 恭子に能力が発現した時には、すぐにおばあちゃんに告白した。それは、とても不安だったし、これからの人生を、どう生きていくかの判断に関わることなので、誰かに頼りたかったからだ。
 そして、その時のおばあちゃんの助言は、できるだけ能力を使わず普通の人として生きて行くようにしなさい、と言うもので、恭子はこれを重く受け止めて、それを能力と寄り添って生きていく上での指針とした。
 ヒラのOL時代は、そんなに能力について気を使うこともなかったし、そもそも使い所もなかった。
 仕事の内容は言われたことを、そのままやっていれば、それで問題なかったし、責任も大した義務もなかったからだ。
 しかし秘書になってからはお客様、上司、同僚OL達の心情、その他さまざまな案件で、相手の心を促すことこできるこの能力は、有用にはなったが、そこは敢えて自分の信念で極力使用しなかった。
 しかし、とうとう審判の日はきてしまったのだった。
 それは総務部長秘書になって、まだ間もない頃。
 本当にやむを得ずだ。そう、些細なことに苛立ったお客様に対し、能力を使用している現場を上司、総務部長の優典に見つかってしまった。
 はた目にはわからないはずなのに、なぜか現場を発見され、お客様は気づかないまま、無事に帰られた後に、話し合いになったのだ。
 ところが、驚いたことに総務部長としては、仕事で能力を使ってはいけないと、彼は言わなかった。それどころか、政府が認めたとおり違法行為ではないのだから、自主性に任せる、とさえ言った。
 そして、ルールが創られることになった。
 優典からは、仕事で能力を使った時は上司である自分に必ず報告すること、たったこれだけだ。
 そして恭子も、能力者であることを周囲に秘密にして下さいと、一つだけお願いすることにした。
 これが、上司と部下、相互の約束事となった。
 総務部長秘書になって今では1年経つが、思うところがある。それは、能力を使う際のリスク回避、すなわち隠すことが、難しくなったということだ。
 秘書の数は絶対的に少ないから、やはり目立ってしまうし、総務部長執務室入口に位置する秘書のスペースは、総務部の部員はもとより社屋中の目に晒されるからである。必然、能力を使う回数は減った、というよりほとんど使わない。
 結局のところ、現時点においては、恭子が感情操作能力を持っていることを知るのは、おばあちゃんと上司の総務部長だけと言うことになる。
 もしかしたら、政府機関の人間は、職務権限上知っているのかもしれないが、それはわからない。
   *
1月4日(水)1110
 そのような以前のことを考えていたら、このお年始の朝に、突然の来訪者がお見えになった。
 我が社にとって大事な顧客であり、その名を「徳永(とくなが)精査」という。その社長、徳永裕彦(ひろひこ)、自らだ。
 なんと、1社だけで、我が社の年間売り上げの実に約3%に達する。文句なくダントツ売上トップ。是が非もなく、丁重におもてなしをすべき顧客である。
 来訪目的は、総務部長優典に対する年始挨拶、だがアポはなしだった。
 ちょっとだけ気難しいが、根はフランクで、頭の回転が速い方だと、記憶している。
 年齢はたしか62だったと思うが、どう見ても50台前半にしか見えない。
 総務部長の他についても、社長柊竜彦(たつひこ)、営業部長三谷修次(みたにしゅうじ)、それぞれ別の得意先へのお年始まわりで、あいにく不在となっているため、結局適当な代役は誰もいない。
 とりあえず、応接室にお通ししお茶をお出し、事情を説明する。
「粗茶ですがどうぞ。わざわざお越しいただきましたのに、申し訳ございません。総務部長、柊優典は外回りに出かけておりまして、あいにく不在にしております」
「ああ、そうなのですね。予約も入れずに申し訳なかったです」
 かえって恐縮そうに、徳永社長が言う。 
 恭子は不自然でない程度に間を取り「総務部長に連絡を取ってみましょうか?」と伺ってみた。
「出直すべきなのでしょうが、ぜひ、お願いします」
「承知しました。至急連絡を取りますので、しばらくお待ちいただけますでしょうか」と言い、応接室を出て自分のデスクに戻った。
 恭子は、ほっと息をつく。
 実は、能力を使って、徳長社長の判断を積極的、つまりこの場でそのまま待つ、という方向に感情操作しようかと一瞬考えたが、言葉で伺うにとどめたのだ。まあ、何もしなくても結果はこのとおり同じだった訳だ。
 恭子はこれまで能力者であることを公にしたこととがなかったし、当然、したくもなかった。この能力のおかげで、優遇されていると評価されることが嫌なのである。
 そして、とても気分が悪いことに、この能力は使用しても、された方は全く気がつかない。一方、使ったこちらはそのたびに、もやもやとした不快感が残る。
 恭子的にとっては、あまりいいことはないのだ。今回も使わなくてよかった・・・。
 いけない!お客さまの意向を、早く上司に伝えなければならない。総務部長に連絡を取るため、電話機に手を伸ばし、慣れた手つきでダイヤルする。
 耳をすます。受話器から聞こえるコールはもう7回目か・・・。
 そこでようやく出た。微妙な呼び出し時間だ。手空きだっただろうか。
 用談中でないようにと願いながら、話しかける。
「部長、伊藤ですが、今よろしいですか」
 またもや、微妙な間があった。
 受話器の向こうから騒音が聞こえる。どうやら人混みの街路にいるらしい。
「ああ、大丈夫」と返事があった。
「アポは無しですが、徳永精査の裕彦社長ご本人が5分前に訪問され、応接室にお通ししました。急用があるとのことです。いかがいたしますか」
「うん、さっき僕の用向きは終わったよ。今、赤羽の駅前だ。すぐに帰るから、僕が対応するよ。それまで、よろしく頼む」
 と簡単に言ってそのまま切れた。
 とにかく、再び応接室で休憩中の徳永社長に失礼して、中に入る。そして、ご説明した。
「総務部長と連絡が取れました。あと10分少々で参りますので、対応させていただきますとのことでした」
「そうですか。どうもありがとう」
 徳永社長は、ほっとしたように答えた。
「いいえ、とんでもございません。こちらこそ、社長、営業部長まで共に不在にしておりまして、申し訳ありません」
「お気になさらず。今日は、やはり優典さんに用があって参りましたのでね」
「恐れ入ります」
 それにしても、面会の用件は何だろう?ただの年始挨拶ではないだろう。それならもう、お帰りになっているだろう。
 商談に関する内容なら、最初から社長なり営業部長を指名するはずだ。されても、不在だから困るのだが・・・。あるいは、業務以外の要件なのかもしれない。
 いずれにしても、総務部長から指示ももらっていることだし、新たに指示がない限り、今の段階では、秘書である恭子の出る幕はない。
 それにしても、できるだけ丁寧に話しかけてよかった。 総じて、ご機嫌を損ねているわけでもないようだ。ざっくばらんにお言葉を返していただいていることだし・・・。
 恭子自身、秘書着任当時からある程度、面識があり、助かったと言える。などと油断してしまっていたら・・・。
「そういえば、年末年始は休暇をゆっくり過ごせましたか?それとも、ご実家に戻られましたかな」
 徳永社長が恭子に話しかけてきた。
 しまった。話を切り出す立場がまったくの逆で、恭子の方から振るべき話題だ。我ながら、まったく気が抜けてしまっていた。
「あいにく、残務もありましたから、暦どおりです。ただ、なんとか休暇をいただき、2泊3日だけ、宮城への帰省させていただき、ゆっくりさせていただきました」
「恭子さんは、宮城出身でしたか」
 ん、会話の流れがよろしくないような・・・。恭子は少し焦った。
「生まれは北海道の旭川です。宮城には祖母だけがおります」
 3秒ほどおいて、徳永社長は小さく頷きながら「北海道ですか。それはまた陸の孤島ですなぁ」と笑いながら言った。
 恭子は笑顔で「北海道を辺鄙にいうのは、おやめいただきたいです。なにせ、日本の食糧事情を担っておりますのは北海道なのですから」と返した。
 徳永社長は臨機応変な方だと再認識した。なぜかと言えば、震災によって恭子の両親が亡くなったことは、もちろん言っていないのに、つい恭子の口から漏れた言葉に瞬間的に反応して、「東日本大地震」という恭子にとっての過去を、かわしてしまわれたからだ。ありがたかった。
 その後、5分間程度は北海道の話題で、時間つぶしの会話をした。今の時期ならどんな食べ物がおいしいだとか、そういった無難な会話だ。
 ありきたりの話題で、お世辞にもセンスがあるとは言えないが、徳永社長は他にやることもなく退屈そうだったし、接遇として問題ないだろう。
「それでは、少々失礼します。もう少しだと思いますので、今しばらくお待ちください」
 恭子は一旦退室した。
 そういえば、徳永社長のお茶の交換に合わせて、優典の分も淹れる準備をしよう。
 そろそろ帰社する時刻である。
   *
 それからすぐに、優典は帰社し、徳永社長と面談した。
 徳永社長がお帰りになった後、優典自身から恭子へ簡単な説明があった。
「徳永社長は、徳永精器と柊社、両社の共同広告を打たないかという提案を持ってこられたよ」
「まだ、イメージの段階だが、それとなく社長にも伝えてほしいそうだ。僕は前向きに考えるつもりだよ」
「そうでしたか。承知しました」
 この性格の案件は本来であれば、重要でかつ、まだ未定でもあり、部下の秘書になどに、伝えるべきものなのかどうか微妙なところだ。
 しかし、今回と同様に、徳永社長が今後我が社、そして総務部長である自分を訪問する機会が増えると思われるので、知っておいて欲しいと言うことらしい。
 これは、部長が恭子を信頼している証ともとれる。
 能力に頼らずに、こうした評価を受けることは、恭子自身にとって誇らしいことだと思っている。


     つづく 第四話 https://note.com/sozila001/n/nf059af56c36d

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