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《ポーランド情報》 アウシュヴィッツ強制収容所での食事

ポーランドの国民食ジュレックに似た、名も無き食べ物 

文・撮影/市川路美 

死ぬも生きるも地獄のアウシュヴィッツ強制収容所

第二次世界大戦中、ドイツ純血至上主義のヒトラー率いるナチス・ドイツは、国家を挙げて組織的にユダヤ人の大量虐殺を行いました。いかにして効率よく、ヨーロッパ全土のユダヤ人を全滅させる事が出来るか。その答えとなったのがアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容です。殺戮のみを目的とした施設なので、強制収容所と呼ぶには響きが軽く、絶滅収容所と呼ばれています。

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110万人以上を虐殺した最大規模の施設である事から、ジェノサイド(ユダヤ人虐殺)の代名詞として世界中に悪名を馳せていますが、ホロコースト(絶滅政策)で犠牲になった人達の数は600万人。ヨーロッパに住んでいたユダヤ人の3分の2を消滅させた、6か所ある絶滅収容所の一つでしかありません。

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「安住の地を与える」と騙され、ヨーロッパ全域に住んでいたユダヤ人達は、家畜用貨物車に押し込まれアウシュヴィッツに送られました。ユダヤ人である、ただそれだけの理由で強制連行された人達です。

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終着点であるアウシュヴィッツで貨車から降ろされると、一列に整列するよう命じられます。軽やかな音楽が演奏される中、ドイツ軍医による死の選別が行われました。列を作るユダヤ人達を「労働者」「人体実験の検体」「価値なし」に分類し、労働力にならないと判断した身長120センチ以下の子供、年寄り、妊婦、体の不自由な人達は右へ行くよう指示します。恐怖や不安からパニックにならないようシラミを取り除くシャワーを浴びるのだと偽り、服を脱がせてガス室へと誘導しました。

全員が入室すると、天井からツィクロンBと呼ばれるネズミの駆除に使用される青酸殺虫剤が投入されます。アウシュヴィッツ強制収容所にはこのようなガス室が幾つもあり、最大のものでは2500人を一度に殺す事が出来たといいます。

遺体からは髪の毛や金歯を剥ぎ取り、毛髪はマットレスなどに加工し、金歯は延べ棒にしました。その後は隣接する焼却炉で死体を燃やし、大量虐殺の痕跡を残さないよう骨は叩き潰して灰にして、近くの川などに捨てました。

アウシュヴィッツに送られた人の8割が、貨車から降りて直ぐにガス室で殺害されました。例えガス室行きを免れたとしても、待っていたのは地獄でした。囚人服を着せられ、一日11時間の労働を課せられます。

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マイナス20℃に達する極寒の地で防寒具を与えられず、反抗すれば銃殺され、反抗しなくても見せしめとして銃殺されます。看守による虐殺、不衛生による病死、人体実験の末の死、餓死、あらゆる種類の死が待ち構えていたのです。

野外で大きな石を運び、翌日に同じ石を元の場所に戻す。そんな意味のない作業を繰り返しさせられるグループもありました。肉体だけでなく精神をも追い詰めるのがナチスのやり方です。

強制収容所は逃亡防止の為220ボルトの高圧電流が流れる有刺鉄線で囲まれています。絶望から鉄線に身を投げて、感電死を選ぶ人も多かったといいます。

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「アウシュヴィッツの出口はただ一つ。死んだ後に煙となって、焼却炉の煙突から抜け出す事だ。」そう噂されたアウシュヴィッツの入り口の門には「働けば自由になれる」との文字が掲げられています。

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現実には送り込まれた130万人のうち、110万人が虐殺されています。

絶滅収容所の食事内容

現在、アウシュヴィッツの施設の一部は収容者から没収した靴、カバン、メガネ、義足、ガス室で使用された殺虫剤の空き缶などを展示するスペースとなっています。全てが残されている訳でもないのに、尋常ではない量が展示されています。

一缶で150人殺す事が出来た殺虫剤の空き缶や、2トン近くの毛髪が小高い山のように積まれている様を見ていると、110万人という数字では実感出来なかった、犠牲者一人一人の顔が見えてくるようで、あまりのおぞましさに凍り付いてしまいました。

展示スペースには収容所の人達が食べていた食事のサンプルもありました。朝食は、コーヒーとは呼ばれていたけれどコーヒー豆から抽出したものではない何か濁った黒い液体が50cc。昼食は腐りかけの野菜で作った殆ど具のないスープ。夜にはスープの他にパンが1個と3gのマーガリンが付くこともありました。

規定では囚人の一日の摂取カロリーは1700キロカロリー前後とされていたのですが、実際にはその半分にも満たなかったようです。成人男性が一日に必要なカロリーは2500キロカロリー前後。直ぐに栄養失調となり、多くの人が餓死しました。アウシュヴィッツ解放後に奇跡的に保護された女性は、体重が23kgしかなかったといいます。

ポーランドの味噌汁的存在のジュレック

収容所で食べられていたスープは、名もなきものであったと思います。それでも展示されていたスープが白っぽい色をしていたのが気になりました。

絶滅収容所のような場所で、乳製品のような贅沢な食材を使う事はないはずです。恐らくポーランドを代表するスープ、ジュレック(Zurek)のようなものを食べていたのだと思います。

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ジュレックとは、ライ麦を発酵させて作る乳白色の少し酸味のあるスープ。日本の味噌汁のような存在で、ポーランドに限らず、ベラルーシ、チェコ、スロバキアなどのスラブ系地域の国々でよく食べられているスープです。

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ジュレックは一から手作りする人もいますが、大抵の人達は粉末のジュレックスープの素を使って作ります。ザクヴァスと呼ばれ、ポーランドではどこのスーパーでも売られている大変ポピュラーな商品。ライ麦の粉とぬるま湯を混ぜた液体に、ローリエ、粒コショウ、ニンニクなどを混ぜ、4~5日間置いて発酵させてから乾燥し粉末にしたものです。粉末ではなく、瓶詰にされた液状のジュレックの素も人気が高いです。

この素さえあればジュレックの作り方は簡単。鍋にお好みの野菜とソーセージを入れて煮込み、一度具材を全て取り出してからジュレックの素を加えて混ぜ合わせます。ソーセージは細かく刻んでスープに戻し、お好みで塩、胡椒、マジョラム、すりおろしたニンニクなどで味を調えます。

家庭料理なので、それぞれの家庭にそれぞれのジュレックが存在します。大きな野菜がゴロゴロ入っていたり、ソーセージの代わりに肉の塊を使ったり、ゆで卵などの具材をつけ足したり、サワークリームを添えたり。作る人の数だけジュレックの形があります。

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ポーランド人が愛して止まない料理なのですが、他国の人間には慣れが必要かと思います。温かい酸っぱさは、ダメな人はダメだと思います。かくいう私も苦手な味で、長い間ジュレックを敬遠していたのですが、ポーランドを何回か訪れるうちに徐々に体が慣れてきて、今では大好きな味となりました。

アウシュヴィッツを訪れた後は、精神的にノックダウンされて何も食べる気にならないから、訪れる前に無理してでも何か口にしておけとアドバイスされました。確かにその通りの結果となったので、もしアウシュヴィッツ絶滅収容所を訪れる予定があるのなら、事前にこのジュレックを胃に入れておく事を強くお勧めします。

難しい難民問題

当時のスパイ達は命懸けでアウシュヴィッツに潜伏し、何とかこの惨劇を世に知らしめ、世界を味方につけようとしました。真実を知ったイギリス政府は、大量虐殺の阻止に動けば、ドイツはユダヤ人を絶滅ではなく他国へ追いやる方針に転換する恐れがあるとアメリカに伝えました。

すでにイギリスやアメリカでは、ナチスの迫害から逃れてきた大量のユダヤ人によって仕事を奪われた国民の不満が高まり問題となっていました。

難民問題は理想と現実の狭間で揺れます。各国政府の思惑の中、真実は握り潰されました。当時もし真実を知らされていたのなら、世界はどう動いたのか、動かなかったのか。

現在私達はアフガニスタン問題に直面しています。私達は真実を知り、どう動くのか、動かないのか。歴史は常に繰り返されています。


(2021年9月30日発行「素材のちから」第42号掲載記事)

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