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一生一品 vol.2 北島 素幸 さん

文・撮影/長尾謙一 (素材のちから第28号より)

【Chef's Profile】
北島 素幸 さん 「北島亭」
高校卒業後、地元の「ロイヤル」入社をきっかけに料理の世界へ。その後25歳で上京し六本木「レジャンス」で働き、翌年渡仏。「トロワグロ」「ジョルジュ・ブラン」「アルケストラート」「ラ・マレ」などで5年間学び帰国。京橋「ドゥ・ロアンヌ」、赤坂「パンタグリュエル」のシェフを務め、90年に「北島亭」を四谷に開店。1951年生まれ、福岡県出身。

北島シェフが選んだ一皿には、どんな想いが込められているのでしょう

「一生一品」の第2回目は北島亭の北島シェフにお願いしました。

シェフとお話しすると、話はいつも若い時シェフがフランスで料理を学んでいた頃のことになります。お金はなかったけれどもすべてが輝いて見えたと、当時の苦労を楽しそうに話してくれます。

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さて、〝ご自分の人生の中から料理を一品選んでご紹介いただく〟という「一生一品」の企画に、北島シェフが選んだ一品は、「仔羊の岩塩包み焼き」でした。この料理は今も北島亭のスペシャリテとして出されています。

「仔羊の岩塩包み焼き」
仔羊のリブに塩胡椒して、網脂で包み、卵白と小麦粉、塩とハーブでつくった生地を巻き、鉄板の上で表面だけを焼く。その後サラマンダーの火と余熱でじっくりと火を入れていく。肉の筋や脂を野菜と一緒に煮てジュをとってソースとして添える。

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ロブションで見た「仔羊の岩塩包み焼き」に挑みました

北島シェフは30歳代後半の頃、日本から予約して食事に行った「ロブション」で初めてこの「仔羊の岩塩包み焼き」を目にします。マスコミにも取り上げられた有名な料理で、他のテーブルに出たのを見て凄く興味が湧いたそうです。その日はいろいろな料理が食べてみたいので〝デギュスタシオン(味見コース)〟を頼んでいたそうで、残念ながらこれを食べることはできずに日本に戻りました。

当時、北島シェフはレストランの料理長として新たな料理を開発することが大きな仕事の一つでした。長年フランスで修業したこともあり、周りからの期待もさぞかし大きかったのでしょう。

そこで、つくり方を知らないにもかかわらず「ロブション」で見た「仔羊の岩塩包み焼き」に挑戦したのです。人から聞いたことやマスコミが伝えることをたよりに、一生懸命に自分で試行錯誤したそうです。

上手くいかないからこそ一生懸命につくり続ける

仔羊を岩塩、卵白、小麦粉とハーブでつくった生地で巻いて焼くのですが、どんな加減で火が中に入っていくのかが分かりません。塩が熱を持って中にぐっと火を入れていくから熱が止まらないのです。どこで、どうやって止めたらいいかが分からない。シェフは何度も失敗したそうです。

「何だ、フランスに行ったくせにできないのか。」と妬みや嫉みもあったのでしょう、周りからも厳しい目を向けられました。新しい料理がうまくいかず料理長がフラフラしているものですから、「なんだ、料理長のくせにできないのか。」とたくさんいたスタッフからもなめられて悔しい思いをずいぶんしたそうです。

「くそっ。」と思ったことは数えきれません。しかし、自分が上手くできないからだと悔しさをこらえました。お客様には試験台になってもらったようなもので、満足のいかない料理を出すのが何よりも辛かったそうです。

しかし、それ以来シェフは今もこの料理をつくり続けています。「『仔羊の岩塩包み焼き』は上手につくれないからこそ、あきらめないで一生懸命ずっとつくり続けてきました。失敗しないということは、何も新しいことに挑戦しないことと同じです。料理人は工夫し考えなくてはなりません。この料理は少しも待ってくれないんですよ。怖がって火を入れないと生なんです。すぐに火は入らないんです。30年つくり続けてやっと最近分かってきましたね。」とシェフは言います。

熱の入り方を読み、肉の中を感じる。火入れが決まった時、それはおいしい世界の特級品になると言います。「ロンドン、パリ、ニューヨーク、どこへ行っても僕のところに勝つものはないよ。誰にも負けない。それくらいこの料理は人生の中ですごく勉強になった。」と言う。そうなるとメニューから外せなくなったのだそうです。

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難しい料理と使いづらい厨房が工夫を生み出しました

どうぞ、料理をご覧ください。仔羊を見るとこの上なく超レアです。シェフはこの火入れをどうやるのでしょうか。

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北島亭の厨房を見ると、おそらく皆さん驚かれると思います。厨房自体も古く、狭くて動線も悪い。北島亭には肉に火を入れるオーブンがないことは有名ですが、「仔羊の岩塩包み焼き」も鉄板と自作のサラマンダーで火入れします。後は余熱です。

北島シェフは、「うちの店は車のラリーレースに古い軽四輪で出場して、大きなレストランの高級車と戦っているようなもの。」だと言います。だからこそ感覚が研ぎ澄まされるのでしょう。この超レアな火入れを感覚で行っていきます。

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北島シェフは店をやる自信もお金もなかった。じゃあどうすればいいかと考えて、自分の身体を使おうと決めたそうです。身体は人並みのものをもらっているから。できるだけ築地へ行って少しでも安くていいものを買おう。無駄はなるべく出さない。

たとえば、肉から出た油もとっておく。牛の油は魚を焼く時に使う。こつこつと積み重ねて大きな無駄を省く。

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店の移転を考えたこともあるそうですが、今の店舗で続けることでコストが抑えられるなら移転せずに、お客様に少しでもいいものを出したい。これが北島シェフの信念です。

こういうこともこの使いにくい厨房が勉強させてくれました。30年間つくり続けてきた難しい料理と28年間働いてきた狭い厨房は北島シェフを料理人として育てました。

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それでもシェフは「プロになりたい。人にできないものをつくりたい。そして、皿の中にフランスを感じる料理をつくりたい。」と店をはじめた時と変わらない気持ちを持ち続けています。

朝、築地へ行ってみてください。北島シェフは毎朝7時にはいますから。

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※この記事は2017年11月に取材したものです。


(2017年12月29日発行「素材のちから」第28号掲載記事)

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