見出し画像

《スペイン情報》 古くて新しいマグロの塩漬け

世界マグロ紀行 
スペインの伝統的なマグロ料理 
寿司、刺身以外の美味しいマグロ料理を探して 

文・撮影/市川路美 

世界のマグロ料理 

日本人にとって魚と言えばマグロです。日本人が愛して止まない魚ですが、世界的に見ればマグロはそれほど消費されている魚ではありません。ところが近年の日本食ブームによって寿司や刺身が定着し、世界中でマグロが食されるようになりました。マグロは大幅に需要を伸ばしたのですが、その殆どが日本食レストランなどで寿司ネタや刺身として食べられています。

確かにマグロは生で食べるのが一番美味しい。でもマグロ漁業で有名な土地へ行けば、日本人が慣れ親しんだ生食以外の独自のマグロ料理に出会えるかもしれない。そう思ったのが切っ掛けで、世界中で寿司や刺身ではない、その土地独自の伝統的なマグロ料理を探すようになりました。

スペインとマグロの関係

マグロを考えた時、まず一番に思い浮かんだのがスペイン南部のカディス地方です。カディス県はクロマグロが産卵の為に地中海へ渡っていく入口に位置するので、昔からマグロ漁業がとても盛んな土地なんです。

スペイン南部カディス地方

紀元前14000年の縄文時代からマグロを食べ続けている日本には及びませんが、スペインもマグロとの歴史がとても古い国。紀元前2500年頃には既にカディス県沖で捕獲したマグロを、海洋交易に従事していたフェニキア人がギリシャなどへ送って商売していたといいます。

その後のローマ人は、カディス沖で捕れるマグロをヨーロッパ各国に流通せました。世界史上最初で最大のマグロ産業を確立した人達です。 腐らないよう塩漬けにされたマグロは、当時金と同じ位の高値で取引されていたのだそう。

マグロの解体

そんな古くからマグロ漁業を営んでいるカディス県沖では、海中に迷路のように網を張り、マグロを一か所に追い込んでから最後に一気に引き上げる、アルマドラバと呼ばれる漁法でマグロを捕ります。これはフェニキア人の時代から受け継がれている、世界で最も古い定置網漁法の一つです。

マグロ漁業の船

マグロととても関係の深いスペイン。でもカディス県以外のスペイン人がマグロを食べるようになったのは、ごく最近の日本食ブームからです。それ以前のスペイン人はマグロを殆ど食べず、今でもマグロ料理がメニューにあるレストランは、日本食レストランや和食の影響を受けた今時の創作系レストランに限られています。だからこそカディス県を訪れて一番驚いたのは、どのレストランにも必ずマグロを使った料理がメニューにある事でした。長くスペインで暮らしていますが、これには本当に驚きました。カディス県以外では、決して見る事の出来ない現象だと思います。

スペインの伝統的なマグロ料理

カディス県へ足を踏み入れた途端、レストランのメニューにマグロの文字が溢れます。嬉々として一軒一軒のレストランのメニューをチェックして歩き回りました。

カディスの大聖堂
カディスの街並み

でも私が一番食べたかった料理が見つかりません。スペインに伝わる最も古い料理の一つである、マグロの塩漬けを食べたかったのです。

そもそも塩漬けは、冷蔵技術が無かった時代に食材を保存する目的で考え出された調理法です。冷蔵技術が発達した現在では、マグロを塩に漬けて保存する必要がなくなったので殆ど廃れてしまいました。特に最近は日本食ブームの影響で、マグロを生で食べるのが主流となっています。

カディス県ではどのレストランでもマグロ料理を食べる事ができ、マグロ料理を専門としたレストランも数多くあります。それでもマグロの塩漬けをメニューに持つレストランを見つけるのはとても難しかった。困り果てていたら、地元の人に隣町のレストランを紹介されました。そのレストランでは大トロと中トロの部位を使って作る、2種類のマグロの塩漬けを食べる事が出来るのだそう。

早速レストランへ駆けつけ、ウェイターにマグロの塩漬けを食べたいと告げました。とても親切なウェイターさんは、日本人なのに生のマグロを食べなくてよいのかと、何度も何度も念を押してきます。大トロと中トロと聞いて、日本人の性か、生で食べたい欲求に何度も何度も挫けそうになりながら、2種類のマグロの塩漬けを注文しました。

大トロの塩漬け

マグロの塩漬けはとてもシンプルな料理です。名前そのままにマグロを塩に漬けて作ります。マグロを塩水に数日漬けるだけで完成するのです。ただ漬けこみ時間が足りないと保存が効かず、漬け込み過ぎれば美味しさが失われます。マグロの部位や好みによって理想的な漬け込み期間が異なるので、それを見極めるのが一番大切で難しい作業なのだそう。

塩漬けにしたマグロは乾燥させて、食べる直前に薄く切り、オリーブオイルをかけて食べます。生で食べる刺身とは異なる風味と噛み応え、滑らかさを持ちます。マグロの塩漬けをオーダーした後は、せっかくの大トロと中トロを生で食べられない事をあんなにも悔やんでいたのに、大満足する美味しさでした。

マグロの塩漬け

マグロは塩で熟成させることでタンパク質の分解が進み、旨味成分が増えるので更に美味しくなります。水分が抜けるので、美味しさも凝縮されます。ただ塩で漬けただけなのに、驚くほどの旨味が出るんです。この塩漬けの美味しさを実感する為に、是非皆さんも一度刺身用のマグロの柵を塩で漬けてみて下さい。日頃食べているマグロの刺身とは全く異なる食感と美味しさに変化して、驚愕してしまうはずです。

作り方は本当に簡単。まずはマグロの柵に塩をまぶしてバットにのせ、余分な水分が出るので傾斜させて30分程置きます。塩を洗い流してからキッチンペーパーで水気を切れば出来上がり。スペインのカディス県で食されているマグロの塩漬けは、塩に漬ける時間と塩分量が企業秘密なので全く異なる食べ物となりますが、塩に漬けたマグロの美味しさに触れるには十分です。

厚く切ってわさびをのせて食べるのが一番美味しいのだそう。安いマグロが最高に美味しくなるレシピとしてツイッターで有名になったので、ご存知の方も多いかもしれません。塩で漬ける、ただそれだけで食材はこんなにも美味しくなるのかと驚かされるはずです。本当に魔法のレシピだと思いました。

最高の酒の肴

塩漬けは冷蔵庫が無かった時代に、美味しいよりも保存を重視して考え出された調理法。現在では廃れてしまったレシピですが、今食べると何だかとても新しく感じられました。

スペインのマグロの塩漬けは、かなり塩辛い仕上がりです。だからこそオリーブオイルは絶対必要な要素。オリーブオイルが塩辛さを緩和し、滑らか感を加えます。勿論スペイン産の上質なオリーブオイルと合わせるのが一番。オリーブオイルのフルーティな香りの後に、旨味がギュッと詰まったインパクトのあるマグロの味が口いっぱいに広がります。

右から中トロの塩漬け、マグロのコンフィ、大トロの塩漬け

お酒のツマミに本当に最高な味で、地元の人達はビールやワインのツマミとして食べていましたが、冷たい日本酒が飲みたくなる味でした。

美味しい美味しいと食べていたら、偶然近くに座っていた日本人旅行者の方が、日本の能登にも同じような料理が存在する事を教えてくれました。冬に捕れる脂の乗ったブリを塩漬けにして食べる「巻鰤」と呼ばれる名産品です。まだ冷蔵や冷凍の技術のない江戸時代から伝わる料理なので、スペインのマグロの塩漬けと同じような位置付けの料理なのだと思います。

スペインに古くから伝わる伝統的な料理、マグロの塩漬け。古いけれど何だかとても新しい味のように思えました。長く続いている日本食ブームの先には、再びまたこのスペインの伝統の味が復活するかもしれません。


(2022年6月30日発行「素材のちから」第45号掲載記事)

「素材のちから」本誌をPDFでご覧になりたい方はこちら

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?