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《ウクライナ情報》 サーロ

ウクライナ人を支える食べ物 

文・撮影/市川路美 

蹂躙されるウクライナの歪んだ平和

ロシアがウクライナを軍事攻撃しています。ウクライナに友人を多く持つ私は、悲嘆に暮れる日々を過ごしています。ウクライナの親ロシア派の大統領が、数か月に及ぶ反対運動を受け2014年に失脚すると、ロシアは一方的にウクライナ南部のクリミア半島を併合し、強力な反政府運動を引き起こしました。ロシアと国境を接するウクライナ東部は紛争地帯となり、2014年から現在まで、1万4000人の犠牲者を出しています。

衝突が東部の国境沿いだけに限られていたので、ウクライナの人達は普通に生活を続けていました。国の一部が紛争地帯に陥っているなんて嘘のように平和に感じるウクライナを、私を含む多くの観光客が訪れていました。

いびつな平和を謳歌するウクライナの首都
紛争国なのに長閑な日々

現在、世界がコロナと共に生きる選択をしつつあるのと同様に、ウクライナの人達は戦争と共に生きる事を余儀なくされていたのです。

そんな異常な日常が8年以上続いた今、遂に大々的なロシアの軍事侵攻が始まってしまいました。テレビに映し出されるウクライナの惨状。あんなにも美しかったウクライナの国が蹂躙されています。

ロシアがウクライナに固執する理由

ウクライナは1991年に独立を果たすまで、ロシアと共にソビエト連邦を構成していました。構成していた15の国々が次々と独立しロシア離れを進める中、ウクライナはロシアとの結び付きを断ち切れずにいました。どの国よりもロシアとの繋がりが強く、ロシアのウクライナに対する執着がとても激しかったからです。

ロシアは他の国々が離れてしまったとしても、ウクライナだけは絶対に手放したくないのです。昔から兄弟国として特別視してきた以上に、ウクライナは軍事的にとても重要な位置にあります。ウクライナとの国境から首都モスクワまではたったの500キロメートル。なだらかな平地が続き、視界を隔てるような山脈はありません。ロシアにとってウクライナは最後の砦。現在欧米の大半の国々がNATOに加盟しているので、何としてでもウクライナを死守しなければロシアは安心出来ないのです。ウクライナのNATO加盟を阻止する事が、ロシアを守る為に必要不可欠だと主張しています。

ロシアがウクライナに執着するのは、軍事的戦略の意味合いだけではありません。ウクライナはロシア民族、そしてロシア正教発祥の地。自分達の原点となるウクライナの地を、心情的にどうしても失いたくない。ロシアにとってウクライナは兄弟国である以上に、自身の一部だと感じているのです。

その一方でウクライナ西部の人達は、オーストリア・ハンガリー帝国に帰属していた歴史を持ち、宗教もカトリックの影響を強く受けています。ウクライナ語しか話せない人も多く、国の成り立ちから現在まで常に自由と独立を求め続けてきた人達なので独立心がとても強いです。ロシアに絶えず苦汁を飲まされてきた地域でもあるので、ロシア憎しの感情を持ち、ロシア語が流暢でも頑なに使わない人が殆どです。

ウクライナを更に複雑にしているのは、ロシアと国境を接するウクライナ東部の存在です。ロシアとの繋がりがとても強い地域で、民族、宗教、言語、歴史、全てにおいてロシア色が強いです。ロシアによる工業化の恩恵を受け、美味しい思いをしてきた地域でもあるので親ロシア派が多いです。言語的にみてもウクライナ語よりロシア語を話します。

同じ国でありながら一枚岩となれなかった。その結果、ロシア系の住民が多い東部では親ロシア系の過激派の活動、独立派の多い西部では民族主義者の活動が活発で、長きに渡って衝突を繰り返してきました。

複雑なウクライナの問題を解決するには時間がかかると誰もが思っていました。でもこんな形でロシアがウクライナを侵略するなんて誰も予想していなかった。第二次世界大戦後初となる、大規模で露骨な侵略戦争が始まってしまったのです。

住民の避難場所にもなる大劇場
美しいキエフの街並み

ウクライナを代表する食べ物

戦争が始まる前、ウクライナの友人から「もしもの時の為にサーロを買った」とのメールが届きました。サーロは豚の背の部分の脂肪層を塩漬けにした、ウクライナを代表する食べ物です。見た目は驚くほどにただの脂身の塊です。肉が申し訳程度にこびりついている。ほぼ脂身なベーコンを見かける事はたまにありますが、ウクライナのサーロのように脂身そのものな食べ物は初めてです。

サーロ

更に興味深い事には、ラードのように調理用として使うのではなく、そのまま生の状態で3ミリ程度の厚さにカットして食べます。実際に口にするまでは、脂のギタギタしたしつこさを想像していたのですが、意外にもとても軽い口当たりでした。塩漬けした後に燻製などの調理過程を経ないので柔らかく、口に含むととろける感じ。脂身独特のねっとりした食感はあるのですがしつこさや臭みはなく、ほんのりとした甘さを感じます。

見るからに脂身のサーロ

ウクライナの人達はサーロを薄くスライスした黒パンにのせ、スプリングオニオンと一緒に食べます。スプリングオニオンは日本語だとワケギ。北欧や東欧でとても好まれている食材で、ネギと玉ねぎの中間にあたります。サーロとスプリングオニオンの組み合わせは最強です。味と食感の対比が素晴らしく、その相性の良さから更にサーロが美味しく感じられました。

サーロにスプリングオニオンを添えて

近年健康志向が強くなり、脂身は悪との風潮が強くなりました。それでもウクライナの人達はサーロを愛で続けてきました。あまりにもサーロをよく食べるので、周辺各国の人達から「サーロを食う人」と呼ばれています。

世界100か国以上を食べ尽くしてきた私。最近はちょっとやそっとでは驚けないのですが、久しぶりに驚きをもって美味しいと感じた食べ物でした。

ウクライナの人達の心を支えるサーロ

サーロの起源がウクライナにあるのかどうかは判明していませんが、誰も覚えていない時代からウクライナに存在していた食べ物です。ビタミンA、ビタミンE、ビタミンD、不飽和脂肪酸が豊富で、高カロリーのとても滋養の高い食べ物。かつての兵士たちは、サーロを保存食として常に持ち歩き戦っていたのだそうです。

サーロは飢えをしのぎ、パワーの源となる役割だけでなく、捻挫や切り傷などにすり込んで薬の代わりもしていたのだそう。そんな時代を忘れられないほど、戦争を身近として生きてきたウクライナの人達。だからこそ今回のロシア軍の侵攻が噂された時、友人のように多くのウクライナ人がサーロを購入し備蓄したのではないでしょうか。

ウクライナのゼレンスキー大統領は、国家総動員令を発しました。国を守る為に18歳から60歳までの男性の出国が禁止されています。運良く他国に逃げられた人、逃げられなかった人、逃げるすべがない人、あえて逃げなかった人、安全な他国に居ながら国を守る為にウクライナへ戻った人。何処にいようと、どんな状況でも、ウクライナ人はウクライナ人であり続けるはずです。不安と恐怖の中で、ウクライナ人である事の誇りと共にサーロを噛みしめているかもしれません。

一日も早くあの美しい国が解放され、ウクライナの人達に平和が訪れる事を願って止みません。


(2022年3月31日発行「素材のちから」第44号掲載記事)

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