一生一品 vol.3 岡本 英樹 さん
文・撮影/長尾謙一 (素材のちから第29号より)
岡本シェフが選んだ一皿には、どんな想いが込められているのでしょう
「一生一品」、第3回目は、ルメルシマン・オカモトの岡本シェフにお話を伺いました。
ご紹介いただいたのは「ポロ葱のテリーヌ鶏のレバームース、トリュフのヴィネグレット」です。さて、このポロ葱の料理に岡本シェフのどのような物語が隠れているのでしょうか。
自分の憧れを確かめたくてフランスへ渡ります
北海道出身の岡本シェフは「シェ・イノ」の系列店で5年半、本格的なフランス料理の修業をして30歳でフランスに渡ります。今から考えるとシェフが修業したこの頃は「シェ・イノ」をはじめ多くの名店が競い合い、日本のグランメゾンがとても活気づいていた時代です。ですから、その修業の内容がとても濃かったことは容易に想像がつきます。
厳しい修業を経てようやく渡仏した岡本シェフのはずですが、「本場のフレンチに接して目から鱗、初めて見て感動した、食材や調理法に驚いた。」というようなお話はほとんど伺えず、それまでのシェフが新たな物を手に入れたいと溢れる想いを持って渡仏したのとは、少し違う印象を受けました。
それどころか最初に働いたパリの「ギー・サヴォワ」では、たった4か月ですべてのセクションを回り、パティシエまでやってしまいます。修業した日本のフレンチのレベルの高さが分かります。ですから、岡本シェフはご自分の憧れを叶えるために、そして自分の技量を確かめるためにフランスへ渡ったように私には感じられました。
「トロワグロ」では1年7か月働きます。しかし、スタートはパティシエからでした。パティシエの仕事は7か月間続き、なかなか調理場へは入れてもらえず、ちょっといじけていたようです。
しかし調理場に回ってからは、ポワソン・ショードではイタリア人のスタッフとタッグを組んで魚を焼き、ソースをつくりました。自分たちのことを〝チームエトランジェ(外国人チーム)〟とネーミングしたりして楽しそうに「トロワグロ」の料理に没頭していきます。
ヴィアンド・レギューム(肉料理の付け合わせ)は120人分を4品ほどひとりでつくりました。ひとりで早出して休憩時間もなく働き遅く帰る。そんな生活を続けました。でも、この時間はシェフの宝物です。
岡本シェフはフランスの古本屋で買った〝ピエール・トロワグロ〟の本に、ピエール・トロワグロ本人にサインしてもらって今も大切にしています。「オカへ」と書いてあるそのサインからは、岡本シェフへのやさしい気持ちを感じました。
「トロワグロ」の後、「ミッシェル・トラマ」、「ジャック・シボア」で働きフランスに渡ってから4年半後に帰国します。
「日本で学んだ技術を試しながら憧れのトロワグロで働く」
ビストロで食べたポロ葱の料理が気になりました
「ポロ葱のテリーヌ」は、フランスのビストロで食べた料理にヒントを見つけます。仲間とワイワイと食べている時に、ポロ葱をただ湯がいてギュッと絞っただけのものがドンと皿にのって出てきました。これにお客が自分で塩胡椒して、ビネガーとオリーブオイルをかけて食べるというとてもシンプルなものですが、これが滅茶苦茶おいしかった。
フランスに来る前にはポロ葱をそんなにおいしい食材とは思っていなかった岡本シェフは、パクパク食べながら、「ポロ葱を主役にした料理をいつか絶対につくってやろう。」と、ポロ葱の力強さをはじめて知ったそうです。
ポロ葱をたっぷりと使った料理は、「トロワグロ」にも「ミッシェル・トラマ」にもあったそうですが、中にフォアグラやアーティチョークなどいろいろなものを入れて細工されていて、岡本シェフは「これもいらない、あれもいらない。」とご自分の料理を頭の中で組み立てていました。
師匠に認められた料理
「ポロ葱のテリーヌ」は、おいしい塩水をつくり、これを沸かしてポロ葱を茹でます。ドレッシングはトリュフとグレープシードオイルとビネガー。使うビネガーは3種、違った酸味を組み合わせます。
ミキシングしますが、わざと分離した状態で提供します。レバームースはやわらかくクリームのようです。お客様には「ぐちゃぐちゃに混ぜてお召し上がりください。」と言葉を添えます。いかにポロ葱の力強さを表現するかを試行錯誤して完成させました。
帰国して何年もたって、ホテルの料理長をしていた時に、師匠の井上氏から連絡があります。氏が恵比寿につくる新店の料理長に抜擢されたのです。
岡本シェフは一生懸命に断ったそうです。師匠が出す店なら素晴らしい先輩方がたくさんいるし、確かにシェ・イノで長く修業したとはいえそれは系列店で、本店で直接師匠の下で働いた経験はなかったからです。おいしいソースはつくれても、師匠のソースはつくれない。
しかし、井上氏はおっしゃったそうです。「トロワグロもピエールとミッシェル、親子の新旧だ。私は恵比寿でそれをやりたい。」と。きっと世代から世代へと渡る料理の魅力を表現したいということだったのでしょう。
岡本シェフは「それなら僕は師匠の子の役をやればいいのか。師匠の料理がつくれなくてもいいんだ。」と吹っ切れたそうです。お客様に「ポロ葱のテリーヌ」を食べていただき、次に師匠のスペシャリテ〝マリア・カラス〟を食べていただこう。これが自分の一番分かりやすい料理で一番分かりやすいコンセプトだから。
以来、「ポロ葱のテリーヌ」は今も岡本シェフのスペシャリテです。そんな岡本シェフの葛藤を知ってか知らでか、未だに井上氏はシェフに会うとおっしゃるそうです。「お前、まだネギつくってんの?」
※この記事は2018年2月に取材したものです。
(2018年3月31日発行「素材のちから」第29号掲載記事)
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