散歩


 眼球が張るような不快感が頭痛に伴う。

 画面に相対しながら、自分の周りを覆っていた、思想や感情の淀み。それが、雨上がりの砂利道を踏みしめる音に、少しずつかき消されていく。
 玄関を出て、人工的ではない光がやや強まった。当たり前として切り捨てていた情報の多さ、流れ込んでは消えていく視界に写る事物に驚かされる。
 遊具のまわりに群生するシロツメクサ、こっそり寂れた玄関先に坐るシーサー。超常への畏怖や自主休講からの後ろめたさで包まれる意識が、事象に満ち溢れた世界に溶けこんでいく。
 いや、世界が私に溶け出しているのかもしれない。さながら大海にポッカリできた穴を大潮が襲うように、たちまちそれは呑み込まれていく。

 私とはどこにあるのだろうか。
 環境の積み重ねで形作られた偏見を保管する装置。そのデータから自我が生み出されるのならば、私とは情報の集合体でしかない。
 森羅万象の一部であるという認識。河原にできた小さな溜まりに絶えず清水が流れ込んでは流れ出ていくように、意識や自我も大いなるナニカを一時的に保管する箱なのかも知れない。
 信号が青に変わった、帰ろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?