近況

漁港で、引き上げられた魚たちと漁船と、魚を狙うわけでもなく近くでくつろぐ猫、船から点々と続く小魚の死骸を遠巻きに眺める。
見かねた漁師の方に声をかけてもらい、漁のための浮いてる枠に乗せてもらって、ふわふわと自分の体重移動や琵琶湖の波で動く感じに、酔いそうになる。
2人乗ると、それはもう大きくぐわぐわ揺れて傾いて、少し恐ろしくなるが、面白いが勝つ。こんなにも文化や技術が発展し、ぬくぬく生きることができるのに、こういう場所では木の板一枚に 全ての体重を預けることもできる。

船同士が擦れる音は、ギュ、グ、ピピ、といった感じで聞き慣れていないと少し怖い。

道路にはロードキルされた狸やらいろんな動物が頻繁に落ちており、それをとんびやらからすやらがつついている。道路だから、それらの鳥もロードキル。からすもとんびも、あのふさふさの中に赤い肉があるのが、当然なのだが何とも不思議な気持ちになる。

都会ではクリーン、綺麗にされた、都市ならではのあれこれがあるが、田舎には自然がある。生と死、実りがあって、来て良かったなあとぼんやり思う。針が手に刺さってチクチクして痛いし、誰に何を話してもうまく通じないし、私の当然は何も太刀打ちできない。

すぐそばの山にでさえ、獣よけの柵があって、それを開けて閉め切らないとその山に近づけない。その奥は自衛隊の演習場でさらに寄りつけない。

何もかもがあって、何もかもがないような気分になる。文字の上とか勉強の上とか、地方とか都会とか、なんか全部しょうもない気持ちにもなる。

左右盲の友人は車の運転が上手だし、かけ算がピンとこないけどめちゃくちゃ料理がうまい友人もいる。
頭だけいい、小手先が器用、考えるのが得意だけではどうにもならない。大きな網を引き上げる時のロープも、着せてもらったツナギと長靴も、小さい手と足では持て余してしまう。

私がここで生きていくにはどのように生きていくことができるんやろかーなんてぼんやり思いながら浮く鉄製の枠と、それを埋めるように置かれた頼りない木の板の上で、ふわふわする足元を正す。しっかり立ててない気もする。でもここで、足元を正すしかない。両手で荷物を持って、サイズの大きな長靴の中で足の裏に波と体重を感じ、死の可能性とともに、琵琶湖の遠くの方を眺める。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?